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2010-07-26

金光大神(17)

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文治は金乃神にすべてをゆだね、その教えのままに生きるという訓練が続きます。この頃には、常に直接お知らせがありますから、繁右衛門のところからは足が遠のくようになっていたようです。

この年(安政5年)の秋には、文治と金乃神の関わりが一段と進みました。麦蒔きのために馬鍬を使う少し前のことです。

9月23日、金乃神が天照皇大神に「天照皇大神(てんしょうこうたいじん)様、戌の年氏子(文治のこと)、私にくださいませ」と言いました。すると、天照皇大神が「はい、あげましょう」と答えたので、文治に向かい、「戌の年(文治のこと)、金(乃)神がその方をもろうたから、金神の一乃弟子にするぞ」と言いました。

ところが、すぐに天照皇大神が「金(乃)神様、戌の年をあげましょうとは申しましたが、差し上げることはできません。戌の年のような氏子は他にありませんから」と伝えてきました。金乃神は「それでも、いったんやろうと言うてから、やらないというのでは偽りになります。ぜひもらいます。惜しいというのであれば、せがれの巳の年(三男の浅吉、幼名は延治郎)が成長しましたら、天照皇大神様のお広前に参詣させますから、どうぞくだされ」と頼みました。

それで天照皇大神も「そのようにおっしゃるのでしたら、あげましょう」と答えたので、金乃神は「くだされれば、安心いたします」と言いました。

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2010-07-23

金光大神(16)

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金乃神は、天気を予告して仕事の進め方を指示することもありました。

ある日、金乃神から「今日、この周りの田の稲を刈って、そのまま干せ。雨が降っても刈って、三日間干せ。明日と明後日の二日間で下淵にある田の稲を刈って、その場で脱穀せよ」というお知らせがありました。

その日はどんよりと曇って、今にも雨が降りそうな天気でした。隣の古川参作も鎌を持って出て来ましたが、「これは間違いなく雨が降る。うちは、まあ、やめておこう」と言って、家に帰りました。

ところが、神様のお知らせ通り、三日間は雨が降りませんでした。文治は神様の指示通り、下淵にある田はその場で脱穀し、干しておいた稲は家に取り込んでおきました。

四日目は早朝から大雨で、外の仕事どころではありませんでしたが、文治は家で運び込んでいた稲の脱穀をすることができました。

またある日、田で牛を使っていると雨が降り出しました。それで、どうするかを神様に伺うと、「やめずに使え。本降りではない」というお知らせがありました。それで、そのまま続けたのですが、一日天気が保ちました。

別の日に牛を使っていると、また雨が降り出しました。すると「今日は牛を追うて帰れ。午後も牛を使うことはできない。雨降りじゃ」というお知らせがありました。

文治は言われる通りに家に帰りましたが、本当に大雨になりました。「降るか、降らないか、どうなるだろう」と言っていた人たちは、びしょぬれになって家に帰ったのでした。

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2010-07-22

金光大神(15)

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金乃神による教育は続きます(もちろん、文治は金乃神におかげを受けていると思っていたわけですが、客観的に見れば金乃神による教育です)。

7月の終わりに、近くの村の唐臼(脱穀機)作りの職人に新しい唐臼を作ってもらうよう頼みました。すると、職人は「月が変わったら行ってあげましょう」と言ったのですが、8月になってもなかなか来ませんでした。

8月13日、文治は屋守(現在の倉敷市玉島黒崎)の親類から招かれ、屋守の祭に行くことを神様に願い出ました。すると、「今日は行くな。唐臼の職人が来るぞ」とお知らせがありました。

それで、出かけるのをやめて家で待っていると、午前10時前、本当に唐臼の職人がやってきました。おかげでその日のうちにできあがり、文治は金乃神のおかげを実感してお礼を申しあげました。

9月14日、文治の実弟である香取彦助(かんどり ひこすけ)が久々井(現在の倉敷市玉島阿賀崎)の小幡家へ婿養子に入ることになりました。文治は親代わりとして準備を整え、土産の品も支度して、彦助を伴って小幡家へと向かいました。

14、15日の二日間にわたって祝宴が開かれ、ごちそうが振る舞われました。その時、金乃神からどんぶりに入った酢の物のことでお知らせがありました。

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2010-07-20

金光大神(14)

金光大神(13)

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安政5年(1858)7月13日、文治の口を通して金乃神が直接に言葉でお知らせを与えるようになりました。これ以降の金乃神と文治の関係は、単に金乃神がおかげを授けるというだけではなく、文治を教育しているように見えます。

この年の秋、稲の穂が出る時期にうんか(稲の害虫)が大発生し、どこの家でも田んぼに油を入れました。当時はうんかが発生すると、田んぼに鯨油などを流し込み、稲をたたいてうんかを油の中に落として窒息死させるという方法で駆除していました。

ところが、文治に金乃神から意外なお知らせがありました。田に油を入れるなというのです。

これは、いくら文治でも簡単にそうしますとは言えません。何しろ、うんかに稲を食われてしまうと、一年の収穫がフイになってしまいます。そこで金乃神は、一つの実験を指示しました。

「うんかが稲を食うか食わないか、今夜、お前は神前で寝てみよ。蚊に食われるか(蚊に刺されるか)。お前は、日頃蚊に負けてほろせ(赤い発疹)が出る。ほろせがでるか、蚊に負けるか。蚊が食わなければ、うんかも食わないと思え。もし封じもれの蚊が食うたら、手で押さえておけ。いつでも少々はうんかもいるものだ。蚊に負けなければ、蚊も食わぬのじゃ」

そこで、文治は金乃神の指示通り、神前で寝ることにしました。蚊がワンワンと飛び回って寝ることができませんでしたが、蚊に刺されることもなく、蚊に負けてほろせがでることもなく、かゆくもありませんでした。

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2010-07-19

金光大神(13)

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安政5年(1858)正月元旦、繁右衛門の口を通して「金乃神下葉の氏子(金乃神の庇護のもとにある氏子)」という称号を与えられ、拍手を許された文治は、神棚を改めて作り直し、朝晩拍手を打って熱心に祈願しました。『金光大神御覚書』には「朝晩拍手打ってご奉願、日々のおかげ受け」とありますから、毎日のように神様のおかげを実感していたのでしょう。

そして、いよいよ文治自身が神意を受け取ることができる段階へと進みます。

3月15日、手にお知らせを受けるようになります。これは、後に「手みくじ」と呼ばれるようになりますが、神前で手を合わせて祈願すると自然に手が上下に動くというものです。願い事が成就する時は手が上がり、成就しない時は下がりました。

『金光大神御覚書』には「何事もお伺い申しあげ」とあります。文治にとって、自分自身で直接、神様の意思を知ることができるというのは大変な喜びであったに違いありません。

さらに7月になると、文治の口を通して神様が語るという段階になります。

お盆を迎えた7月13日、文治は先祖の精霊を供養しようと思って、いつもより早めに金乃神に灯明を上げ、お参りをしました。すると、文治自身の口を通して神様が語りかけてきました。

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