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2010-07-21

お布施定額制

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イオンが手がける葬儀紹介サービスで、お布施に目安を設定したそうです。


http://www.sankeibiz.jp/business/news/100702/bsd1007020057000-n1.htm


流通大手のイオンが、自ら手がける葬儀紹介サービスの中で「布施(ふせ)の価格目安」を打ち出したところ、仏教界が「布施に定価はない」と反発している。戒名(かいみよう)料などを渡す際に、寺から「お気持ちで結構です」と言われて、悩んだ人は多いはず。そんな声を受けて打ち出された価格目安だったが、寺側は「企業による宗教行為への介入だ」と受け止めている。(赤堀正卓)

 イオンが新しく始めたのは、葬儀の際に僧侶を紹介するというサービス。全国に約1700万人いるイオンカードの保有者向けに5月から展開している。

 浄土真宗、曹洞宗、日蓮宗といった伝統教団各宗派の僧侶を、客の要望に沿った形で紹介するという。その中で戒名の種類別や読経の有無ごとに、布施の金額を「目安」として打ち出した。例えば「通夜」「葬儀」「火葬場での読経」「初七日」の読経に加えて、「信士」といった戒名をつけた場合は25万円を目安として示した。

 仲介料は取らない。従前から葬儀社を紹介する事業を展開しており、利益はその中から出すという。

 イオンのコーポレート・コミュニケーション部では「『布施の価格が分からずに困った』『寺に聞いても、はっきりと教えてくれない』といった声が多くあり、それに応えることにした」と説明。「疑問と不安のない明瞭(めいりよう)な価格を提示するのは当社の理念。8宗派、全国約600の寺院の協力も得られることになっている」と話す。
(以下略)

これは、記事にもある通り、企業による宗教行為への介入です。お布施という極めて宗教的な部分を企業側が設定するというのはいかがなものか。無論、一方では葬儀社がお布施の額を事実上設定するということもあるようですが、それを企業側が主体となってはっきり設定するというのは越権行為でしょう。

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2010-06-05

浄行菩薩

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日蓮宗系統のお寺に行くと、境内に浄行堂というのがあって、中に浄行菩薩をお祀りしています。たいてい石像か銅像で、宝冠をいただいて合掌している立像なのですが、水盤の中央に立っているか、脇に水盤があるかのどちらかで、柄杓で水をかけるようになっています。


池上本門寺の浄行菩薩

参拝者の中には浄行菩薩に水をかけたり、注いだりしている人がいますが、まあ、他宗派の水掛不動や水掛地蔵のようなものだろうぐらいに思っていたのでした。

ところが先日、柴又帝釈天に参拝したところ、ここの浄行菩薩堂には柄杓とタワシが置いてあって、参拝者が次々と浄行菩薩に水をかけては、タワシでゴシゴシこすっているのです。その熱心なこと、人の切れ目がないので、なかなか写真が撮れないほどでした。


柴又帝釈天の浄行菩薩

一人の小父さんなどは、全身くまなく、掃除をしているんだろうかと思うぐらい熱心にタワシで磨いていました。その様子を見て、どういう意味があるのだろうかと興味を覚えたのでした。

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theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-04-26

日本仏教と輪廻転生(後編)

日本仏教と輪廻転生(中編)

前回は、中国の士大夫層(知識階級)が仏教に出会った時、輪廻と因果応報という思想を知った時、儒教における道徳的実践と幸不幸の不一致という問題を一挙に解決するものとして非常に感銘を受け、それこそ仏教の根本義だと考えたということを見てきました。

彼らは仏教そのものに関心を持ったのではなく、儒教を補完するものとして輪廻と因果応報を受け入れたので、輪廻からの解脱ということには深く関心を持ちませんでした。

そして、輪廻を苦の生存と考えるインド人と違い、現世肯定的な中国人は、輪廻を死んでもまたこの世に生まれてくることができると肯定的に受け止めたわけです。

このように、日本に伝わった仏教は、すでに中国に受容された時点で輪廻と因果応報を中心とする宗教に変わっていましたから、日本人が仏教を輪廻と因果応報を説く宗教だと受け取ったのは仕方がないこと、あるいは自然なことといえるでしょう。

仏教が中国に受容された時に儒教との関わりで変質した部分というと、もっぱら先祖崇拝の問題ばかりが注目されてきたように思います。しかし、士大夫たちが輪廻と因果応報こそ仏教の根本と考え、それがそのまま日本に伝わったのだというところに着目すれば、釈尊は輪廻を肯定したか、否定したかなどという不毛な議論をする必要はなくなるだろうと思います。

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2010-04-24

日本仏教と輪廻転生(中編)

日本仏教と輪廻転生(前編)

前回は、日本の仏教において輪廻と因果応報が中心とされていることについて、森三樹三郎氏の『老荘と仏教』によると、中国の士大夫層(知識階級)が仏教を受け入れた際、輪廻と因果応報、彼らの言葉を使うと「三世報応」の教義に大変な感銘を受け、それを仏教の根本義と考えたということまで書きました。

今回は、それはなぜかというところから考えたいのですが、その前に、仏教を含むインドの輪廻観について確認しておきたいと思います。

まず、インド宗教の輪廻では、今生で人間であったとしても、来世で人間に生まれ変わるとは限りません。天界の神々や地獄の亡者、さらには牛や馬などをはじめとする人間以外の動物に生まれる可能性もあります。牛や馬、あるいはミジンコに産まれるかもしれません。

人間以外の動物に生まれた場合、よりよい生存を目指すために善行を積むなどということはできません。再び人間に生まれるのは極めて困難になりますから、インドの人たちや上座部仏教の在家信者たちにとって、来世において人間以上に生まれることができるようにというのは切実な問題になるわけです。

仏教を含むインドの宗教では、このような輪廻の生存を苦と見なし、そこから解脱することを切望するわけです。そして釈尊は、輪廻の原因とそれを消滅させる方法を発見し、自らそれを達成したと主張したのでした。

ですから、輪廻と因果応報は仏教の前提であり、核心などではありません。そこからどう解脱するかこそが眼目であるわけです。

では、なぜ中国の士大夫たちは、輪廻と因果応報を仏教の中核と考えたのでしょうか。それは、輪廻こそが彼らの抱えていた深刻な問題を解決する回答と思われたからです。

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2010-04-23

日本仏教と輪廻転生(前編)

「僧侶となってみると、世間の大方の人々は、私がこだわる問題を仏教のテーマとは考えていないことがわかった。そうではなくて、僧侶がただの葬祭執行者でないとすれば、『あの世』や『霊魂』や『輪廻転生』の専門家、よくて『親の因果が子に報い』式『因果応報』説の広報官のように見ていることがわかった」南直哉「『正法眼蔵』を読む」講談社選書

仏教とは、もともと輪廻からの解脱を目的とする宗教です(南先生がおっしゃる「私がこだわる問題」は、また別の内容だろうとは思いますが)。ですから、輪廻を前提とするものの、それ自体については主たる関心の対象とはなりません。解脱できさえすれば、輪廻がいかなるものであろうと関係ないし、来世を考える必要もないからです。来世を考える必要がなければ、因果応報も深刻な問題にはなりません。

しかし、解脱できない場合は、事前の目標として、よりよい生存の状態が望ましいということになります(地獄道や畜生道に生まれたのでは、解脱など考えることもできないでしょうから)。その意味で、輪廻や因果応報ということが問題になりますが、本来、それが主たる関心事というわけではありません。

ところが日本では、南先生がおっしゃるように、仏教とは霊界や霊魂、あるいは輪廻転生や因果応報を説く宗教と見なされています。特に輪廻転生や因果応報こそ仏教の核心と思っている人が少なくないのではないでしょうか。

その反動だと思いますが、日本の一部の仏教者や仏教学者には、輪廻はもともと仏教とは相容れないもので、釈尊は輪廻を否定していたなどという人もいます。

しかし両者とも、釈尊の出家の動機であり、何度も自分はそれを成し遂げたと主張している解脱の問題を軽視している点で、同次元の過ちを犯しています。

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古今宗教研究所のブログです。

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