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2010-06-17

六根清浄の大祓(28)

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六根清浄の大祓(27)

六根清浄の大祓(古今宗教研究所)

六根清浄の大祓、思ったより長くなりましたが、一通りその内容を見てきました。最初にも書いたように、深く読み込めば読み込むほど中身のある祝詞です。

しかし、結論は非常に簡単で、「心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ」ということに尽きます。

それは、自分の心(阿頼耶識)の中にマイナスのデータを蓄積しないということです。

そのためには、まずマイナスの情報に接しない、マイナスの行為や言葉、思いをしないというのが第一ですが、それを完璧に守ることは不可能ですから、マイナスの情報や行為・言葉・思いがあったとしても、それをプラスに転換する、あるいはマイナスを受け入れないようにすることが大切です。

それを言霊の力によって実現するのが祓詞というわけです。

心神を傷ましめなければ六根は清浄となり、六根が清浄であれば私たちの内なる神様の分霊(わけみたま)がそのまま現れるので天地の神様につながり、そうなればこの世の一切のものと同体であるからすべての願いは成就する、ということです。

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theme : 宗教
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2010-06-15

六根清浄の大祓(27)

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六根清浄の大祓(26)

六根清浄の大祓(古今宗教研究所)

天地の神と同根なるが故に 万物の霊と同体なり

私たちは天地の神、すなわちサムシング・グレートの分霊(わけみたま)をいただいた存在です。言い換えれば、サムシング・グレートのこの世における現れでもあるわけです。

ですから、「心神(わがたましい)を傷」ましめず、その本来の姿である内なる神様の分霊がそのまま現れれば、私たちは神様の現れとなります。それが「天地の神と同根なり」ということでした。

そして、この世に存在する一切のものも、神様の分霊をいただいた存在ですから、神様の現れということになります。つまり、「我」という小さな自分から解き放たれれば、自分もこの世の一切の存在も神様の分霊であり、別々のものとして現れていても同体であるということです。

言い換えれば、私たちはこの世界の一部であって、そこから切り離されて独自に存在しているわけではないということです。

地球をある種の一つの生命体と見る「ガイア理論」などというものもありますが、すでにそういった考え方が六根清浄の大祓の中に見られるわけです。

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2010-06-14

六根清浄の大祓(26)

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六根清浄の大祓(25)

六根清浄の大祓(古今宗教研究所)

六根清浄なるが故に五臓の神君安寧なり

この部分を「心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ」という神宣(当ブログが一番重視している)からも整理しておきます。

「五臓の神君安寧なり」というのは、言い換えれば「心神を傷ましむること莫れ」ということが実現した状態のことです。

入り口である六根が清浄であるということは、そこから入ってきた情報によって心が悩まされたり、腹を立てたり、虚勢を張ったり、といったように心を動揺させることがありません。

「神明(かみとかみとの)の本主(もとのあるじ)たる心が外からの情報に振り回されず、しっかりと安定すれば、私たちの内なる神様の分霊(わけみたま)がそのままに現れてくるわけです。

五臓の神君安寧なるが故に天地の神と同根なり

前の部分で見たように、五臓の神君が安寧になる、つまり身心が安寧になれば、私たちの内なる神様の分霊がそのまま現れてきます。

私たちの内なる神様の分霊というのは、天地の神、現代風にいえばサムシング・グレートにつながっていますから、「天地の神と同根なり」ということになります。

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2010-06-11

六根清浄の大祓(25)

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六根清浄の大祓(24)

六根清浄の大祓(古今宗教研究所)

(わ)が身(み)は則(すなは)ち六根清浄(ろっこんしゃうじゃう)なり
六根清浄(ろっこんしゃうじゃう)なるが故(ゆゑ)に五臓(ごぞう)の神君(しんくん)安寧(あんねい)なり
五臓(ごぞう)の神君(しんくん)安寧(あんねい)なるが故(ゆゑ)に天地(てんち)の神(かみ)と同根(どうこん)なり
天地(てんち)の神(かみ)と同根(どうこん)なるが故(ゆゑ)に万物(ばんもつ)の霊(れい)と同体(どうたい)なり
万物(ばんもつ)の霊(れい)と同体(どうたい)なるが故(ゆゑ)
(な)す所(ところ)の願(ねがひ)として成就(じゃうじゅ)せずといふことなし


我が身は則ち六根清浄なり

前回説明したとおり、祓を修することによって、すべての原因である心が清浄になれば、結果である六根も身口意の三業も清浄になります。

因みに、「六根清浄なり(六根清浄である)と断言しているのは、単に六根が清浄になったという事実をいっているのではなく、これ自体が言霊の力による祓だからです。

六根清浄なるが故に五臓の神君安寧なり

「五臓」とは東洋医学で心臓・肺臓・肝臓・腎臓・脾臓です。因みに「五臓六腑」といいますが、「六腑」は胆・小腸・胃・大腸・膀胱・三焦です。ただし、五臓にせよ六腑にせよ西洋医学の解剖学的な意味での臓器とは必ずしも一致しないとのことです。

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theme : 宗教
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2010-06-10

六根清浄の大祓(24)

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六根清浄の大祓(23)

六根清浄の大祓(古今宗教研究所)

諸の法は影と像の如し

「法(のり)」というと、普通は「法則」とか「真理」という意味で使われますが、仏教用語としての「法(ほう、ダルマ)」には、その他にも「仏の教え」「善い行為」など多くの意味があります。ここでは「事物」とか「存在するもの」という意味、もしくは「思考の対象となるもの」の意味とするのが適切だろうと思います。

「諸の法」で、この世に存在する一切の存在もしくは自分が認識できる対象ということになります。自分が考えられるすべてのもの、というようなところで、この世のすべてのものと考えればよいでしょう。

影と像の如しというのは、影というものは必ず本体に添って離れることがなく、しかも、本体の形と同じに形を変えるのと同じように、密接に関連して切り離すことができないという意味です。

「諸の法は影と像の如し」というのは、この世の存在と自分の心は、影と本体の関係のようなものである、ということです。つまり、自分に関わる事象・現象は、自分の心がそのまま投影されたものだということです。

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古今宗教研究所のブログです。

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