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2010-01-31

「信仰熱心な」信仰者

卞牧師(国際福音キリスト教会)の本国には、こんな信仰熱心(?)な信者もいるようです。

“信仰心低い”教会に火をつけた疑惑30代女性立件(東亜日報)
http://www.excite-webtl.jp/world/korean/web/?wb_url=http%3A%2F%2Fnews.donga.com%2FSeries%2FList_70030000000116%2F3%2F70030000000116%2F20100127%2F25727529%2F1&wb_lp=KOJA&wb_dis=2


江原(カンウォン),平昌(ピョンチャン)警察署は26日自身が通った教会に不満を抱いて火を付けた疑惑(一般建造物放火)でイ某氏(33・で・平昌郡(ピョンチャングン))を捕まえて調査中だ。

警察によればイ氏は去る21日午後6時53分頃平昌郡(ピョンチャングン),大関嶺面(テグァルリョンミョン),横渓里(フェンゲリ)某教会に入ってカスライトで椅子などに火を付けて500万ウォン余りの財産被害を出した疑惑を受けている。

警察は昨年12月から1ヶ月余りの間この教会一般信者で活動したイ氏が'教会が自身の信仰心に達し得ない'などの不満を抱いて犯行を犯したと明らかにした。

またイ氏は去る19日にもこの教会にタマゴ10ヶ余りを投擲したと分かった。

警察は教会で火事が起こる当時イ氏が教会に入って出てくる場面が入れられたCCTVを土台にイ氏を捕まえたし,調査を終え次第拘束令状を申請する方針だ。

しかしイ氏は自身の疑惑を全面否認していると伝えられた。
(ここまで引用)

教会の信仰が、自分の信仰のレベルに達していないということで、腹を立てて放火したという容疑だそうです。ただし、本人は全面否認しているようです。この話が本当だとすればですが、腹を立てて放火したということだけで本人の信仰のレベルがわかろうというものです。

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2010-01-30

国際福音キリスト教会前主任牧師逮捕

昨日に引き続き、大本の基本宣伝歌について考える予定でしたが、このニュースを外すわけにはいきませんので、予定変更。

女性信者にわいせつ行為 韓国人牧師逮捕(産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100128/crm1001281441017-n1.htm


キリスト教系教団「国際福音キリスト教会」の施設内で、女性信者にわいせつな行為をしたとして、茨城県警捜査1課とつくば中央署は28日、準強姦(ごうかん)の疑いで、同教会の代表だった牧師で韓国籍の卞(ビュン)在昌(ジェーチャン)容疑者(61)=土浦市小岩田東=を逮捕した。卞容疑者は容疑を否認している。

同課などの調べでは、卞容疑者は平成19年2月ごろ、同教会の施設内で、県南地域に住む20代の元女性信者に対して乱暴した疑いが持たれている。

卞容疑者のわいせつ事件をめぐっては昨年7月、20~30代の元女性信者ら4人が卞容疑者にわいせつ行為をされたとして、卞容疑者と同教会を相手取り、約4620万円の損害賠償請求を求める訴訟を東京地裁に起こしている。元女性信者側は「(牧師は)指導者の霊的権威は絶対不可侵であるなどと欺瞞(ぎまん)的説法を繰り返し、被害女性を抗拒不能にさせた」と主張している。

被害を受けたという女性は産経新聞の取材に対し「『君には癒やしが必要だ』といってセクハラをエスカレートさせた。衝撃的すぎて声も出なかった。嫌だと感じるのは自分の信仰が足りないせいだと思ってしまっていた」と話していた。
(ここまで引用)

国際福音キリスト教会は、宗教法人としては「小牧者訓練会」と称し、文化庁管轄の単立法人です。

偏見といわれるかもしれませんが、どうも韓国から日本に来ている宗教者というのは、あまりいい評判を聞きません。出稼ぎ感覚というのでしょうか。

まあ、それはさておき、「こんな牧師はけしからん!」などというだけであれば、余りにもひねりがなさ過ぎて、わざわざ取り上げる値打ちがありませんので、ちょっと観点を変えてみたいと思います。

なぜ聖職者の性犯罪というと、キリスト教ばかりが目立つのか?

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2010-01-29

大本「基本宣伝歌」考(1)

昨日までの内容で、先祖の因縁についての誤った解釈について一通り説明しました。しかし、先祖の因縁の問題というのは、しょせん「莫令傷心神(わがたましいをいたましむることなかれ)」という主旨からいえば中心的課題ではありません。

まあ、誤った先祖の因縁だの前世の因縁などを信じていると、心神(わがたましい)を傷め、また変な宗教もどきにつけ込まれることになりますから、これを正しておくことは必要なのですが。

ただ、延々と同じような内容を続けてきましたので、ちょっとこのあたりで気分転換をしたくなりました。そこで、これまでとは趣向を変えて、大本(大本教)に関する話題を取り上げてみたいと思います。先祖の因縁はしばらくお休み。

※なお、大本教というのは通称で、正式には「大本」です。

タイトルの『基本宣伝歌』とは、大本の聖典である『霊界物語』の冒頭にある七五調の歌です。

※大本には出口なお開祖と出口王仁三郎聖師という二人の教祖がいます。そして、出口なおのお筆先を出口王仁三郎が整理した『大本神諭』と出口王仁三郎の口述筆記になる『霊界物語』を二大聖典としています。『霊界物語』は81巻83冊(64巻が上下二冊、さらに特別篇一冊がある)に及ぶ大部の著です。本来は120巻を予定していたとされますが、昭和10年の第二次大本弾圧により、中断してしまいました。

大本では、他宗教における伝道・布教を「宣伝」といい、伝道師・布教師を「宣伝師」と呼びます。真の神の宣べ伝えるということによります。霊界物語には数多くの宣伝師が登場し、さまざまな場面で宣伝歌を歌います。そして、その言霊の力で人々を感化したり、悪神を言向(ことむ)け和(やわ)します。

言向け和すとは、言霊の力によって荒ぶる神々をなだめ、帰服させることです。

その宣伝歌の中でも、もっとも教えの核心を端的に表したものが基本宣伝歌であり、大本の祭祀において賛美歌としても歌われています。これについて考えてみようというわけです。

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2010-01-28

先祖の因縁(6)

前回は、さまざまな問題で苦しんでいる人に対し、それは先祖の因縁だからしかたがない、むしろ苦しむことによって因縁が解消されるのだというような態度をとるのは不適切だということについて、因果応報における善悪の因(楽・苦の果を生ずる原因)と道徳的な善悪は一致しないという点から説明しました。

そもそも因果応報を信じるならば、苦しんでいる人に対して無慈悲な態度を取ること自体が悪因縁になることをわきまえるべきなのですが。

今日は、同じ問題について、異熟因(いじゅくいん)異熟果(いじゅくか)という観点から考えてみたいと思います。

異熟因・異熟果については「善因楽果・悪因苦果」において説明しましたが、善なる因には楽(望ましい果)が、悪なる因には苦(望ましくない果)が生じるという因と果の関係性です。ただし苦・楽の結果は無記(善でも悪でもない)なので、原因と結果の性質が違うということから「異熟因・異熟果」といいます。

なぜ楽や苦の結果が善でも悪でもないか。例えば、強盗をして逮捕され、刑務所に入れられたとします。刑務所にはいるというのは苦(望ましくない)結果ですが、それをきっかけとして改心し、善良な人生を送るようになるかもしれませんし、逆に、悪い仲間と知り合って、より悪い犯罪に手を染めるようになるかもしれません。つまり、苦の結果であっても、それをどのように活かすかによって善とも悪ともなりますから、無記に分類されるわけです。

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2010-01-26

先祖の因縁(5)

先祖の因縁という言葉にはマイナスのイメージが強い原因は、先祖の因縁を信じている側の理解に問題があるということについて、引き続き考えてみたいと思います。

因果応報は自分がいかに生きるかという観点から考えるべきものであるということが欠落している、先祖の「因縁」といいながら縁起説に基づいた理解がないということについて説明してきました。

次に指摘しておかなければならないことは、「善悪について(3)」以降で論じましたが、苦楽の果を生じる善悪の因は、必ずしも道徳的な善悪とは一致しないという点です。それを誤解しているために、いろいろな問題が起きる、場合によっては悲劇というべき事態まで引き起こすのです。

前世の因縁においてもそうですが、さまざまな問題で苦しんでいる人に対し、それは先祖の因縁だからしかたがない、むしろ苦しむことによって因縁が解消されるのだというような態度をとる人がいます。あるいは、かつてはそれを根拠として差別を正当化するようなこともありました(それが先祖の因縁云々に対する批判の根拠ともなっています)。

しかし、そういう態度はまったく間違っています。むしろ、本当に因果応報ということを理解していれば、そんな態度など取れるはずがないのです。なぜならば、それは自分の作る悪因縁になるからです。

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2010-01-25

先祖の因縁(4)

知人から電話が来たことから少々話題がそれましたが、話を元に戻します。

先祖の因縁というと、納得する人は多いのだけども、しかしマイナスのイメージが強い。それは先祖の因縁を信じている側の問題が大きいということを説明してきました。というのは、一般に信じられている先祖の因縁というものが、あまりにも単純化され、不適切なものになっている上に、悪質な宗教者もどきが人を脅し、信者を獲得したり、お布施を強要する手段になっているためです。

そして、その問題の第一として、先祖の因縁に限らず、因果応報というのは自分が以下に生きるべきかという観点から考えられるべきであるにもかかわらず、そういう視点が欠落していることが多いということがあります。問題の原因から自分が抜け落ち、そのため、一生懸命に供養しても自分としての必要な努力が抜けている人が少なくありません。ですから当然、いくら供養しても物事が解決しないわけです。

以上が、これまでの話でした。

今日は、第二の問題として、先祖の因縁といいながら、縁起ということがわかっていないということを取り上げたいと思います。一般に信じられている先祖の因縁というものが単純化されすぎ、不適切なものになっているという問題です。

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2010-01-23

これは宗教迫害だ

結論から言えば、司法を悪用した悪意ある一部のクリスチャンによる宗教迫害です。

市有地神社「違憲」、氏神様など数千件影響も(読売新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100121-00000182-yom-soci

憲法の政教分離原則に違反するかどうかが争われた、北海道砂川市を巡る住民訴訟。神社の敷地として市有地が無償提供されていたことに、最高裁大法廷は20日、政教分離訴訟として2件目となる違憲判断を示した。

 公有地上に宗教施設があるケースは、「全国的に数千件にとどまらない」(砂川市の上告理由書)との指摘もあり、判決が与える影響は大きそうだ。

 砂川市ではこの日、「違憲」判断を受け、菊谷勝利市長が記者会見。訴訟となった2神社のほかにも市内に2か所、市有地を無償で使わせている神社があることを明らかにした。空知太(そらちぶと)神社について「関係者や弁護士らと相談し、最高裁の決定に従って一日も早く解決したい」と述べた上で、訴訟外の和解協議についても検討していく考えを示した。

 財務省や文化庁などによると、神社は明治時代に国家管理となり、敷地も公有地化された上で無償で貸与された。しかし戦後、政教分離の観点から、「社寺等に無償で貸し付けてある国有財産の処分に関する法律」に基づき、無償で譲渡されるなどした。

 国有地以外の公有地も国の通知によって同様の扱いになっており、現在、宗教法人化している神社約8万社の敷地は基本的に神社の所有になっていると見られる。

 ところが、国内には宗教法人化していない“地域の氏神様”のような小さな神社や、神社と一体化し、ふだんは公民館として利用されている施設も多数ある。今回の両神社もこうしたケースで、大法廷は「無償譲渡の申請が出来ないまま、神社などの敷地になっている公有地が相当数残っていることがうかがえる」と指摘している。

 また、公有地である公園内の慰霊施設で仏教式による慰霊祭が営まれていたり、殉教碑の前でカトリック式のミサが行われていたりするケースもあるなど、神道だけの問題ではないとの指摘もある。


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2010-01-22

先祖の慰霊と因果応報

昨日のエントリーを読み返してみて、もしかすると私が先祖供養を単なる方便としてのみ見ているのではないかという誤解を与えそうな気がしました。そこで、そのあたりについて補足しておきます。

まず、私の書いてきた内容を見れば、私が先祖の因縁に肯定的であることは、敢えて言うまでもないことだと思います。ただ、過剰に先祖の因縁を言い過ぎると、バランスを欠いたものになるし、かえって弊害が大きい。まして、宗教団体が信者を脅す道具になりかねないということに注意すべきだといういうことです。

それで、先祖供養の問題なのですが、因果応報という観点に限定すれば、やはり私は、先祖というクッションを置くことによって自分を見つめ直すためのきっかけにするべきだと考えます。なぜならば、因果応報によって先祖の問題が自分に影響しているのだとすれば、供養や儀式によって問題が解消することなどありえないからです。

むしろ、その結果は私たちの日常生活の中に現れているのですから、日々の生活における楽しいこと、つらいこと、苦しいこと、喜ばしいこと、悲しいこと等々を受けとめ、その中で正しい選択、正しい行動をしながら、先祖を含む過去の因縁を解消し、自分を改めていくことこそが、因果応報という観点から考えた先祖の救いということになるはずです。

ただ、最初は問題の原因を自分のこととして見つめるのが難しいので、先祖供養という形を通しながら、そういう方向に意識を転換していくというのは、非常に有効であることは間違いありません。

では、先祖供養の意義とは何か。それは感謝報恩と慰霊ということになるだろうと思います。

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2010-01-21

先祖の因縁(3)

一昨日の昼過ぎ、このブログのことは知らない知人から(仕事で最低限必要なメールしかしない人なので、教えていないブログを見ているはずがない)電話があり、ちょうど一昨日のエントリーで書いた内容と関連する内容について質問を受けました。

まあ、偶然というべきか共時性というのか。

その知人は、先祖供養を中心とする教団で支部の幹部をしている人なのですが、いろいろやってきて、問題解決のために先祖供養をしましょうと信者に勧めると、その問題が先祖の問題ということになり、先祖が救われれば何かよくなるだろうという感じで、自分自身の努力がなくなってしまう。教えとしては先祖の問題は自分の問題で、自分の努力が不可欠というのだけど、先祖を供養しようとする時点で、自分と先祖の問題が別物になってしまうように思うという内容でした。

その教団では、霊界の先祖の状態が現実の自分の問題となって起きてくるので、霊界の先祖の問題が解決すれば自分の問題も解決すると教えます。また自分の中に先祖がいるのであり、先祖の問題というのは自分の問題でもあるので、先祖の供養と同時に自分自身を改める努力もしなければならないとも教えます。

しかし、どうしても先祖の問題として供養を始める時点で、先祖と自分が分離し、知的には自分の問題と思っていても、先祖の問題という感覚が変わらないために、結局、供養はしても自分を改める努力がされず、問題が解決しないとのこと。また、やはり供養を勧めるときには、供養によって改善するという期待を持たせるようにしますから(でなければ、供養しようとは思わないでしょうし)、信者はたとえ本人の努力がなくても、何かよくなるはずだという期待を持っているわけです。

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theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-01-20

現在のために未来を捨てる人たち

世の中が大変興味深くなってきました。衆議院と参議院のねじれは解消されたわけですが、その結果として、過去と現在のねじれ、あるいは偽善的な建前と利害に基づく現実のねじれが顕在化してきたように思います。

例えば鳩山首相。野党時代には、秘書の責任は議員の責任だといっておきながら、いざ自分がその立場に立つと、自分は知らなかったでしらを切り通し、上申書だけですましてしまいました。どうも、過去の自分の発言はなかったことにするようです。

あるいは小沢幹事長。まあ、この人は昔からいろいろ言われてきた人ですから、別にねじれているとは思いませんが、それに巻き込まれた人たちがねじれを起こしています。

「政治とカネよりも景気対策!」ごもっともです。しかし、かつて「政治とカネ」を最優先にしてきた自分たちの言動はどうなるんでしょうね。もし、景気対策が優先だというのであれば、まず過去の自分たちの過去の言動を不見識と懺悔した上で、ご理解を願うべきでしょう。でなければ、単なるご都合主義です。

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genre : 心と身体

2010-01-19

先祖の因縁(2)

昨日に続き、先祖の因縁について考えてみます。今日は、先祖の因縁について否定的な人が少なくないことのもっとも大きな原因は、先祖の因縁を信じる側にあるということについて考えてみたいと思います。

なぜ信じる側に問題があるかというと、昨日も書いたように、一般に信じられている先祖の因縁というものが、余りにも単純化され、不適切なものになっている上に、悪質な宗教者もどきが人を脅し、信者を獲得したり、お布施を強要する手段になっているためです。

言い換えれば、先祖の因縁を信じているとはいっても、その理解が間違っており、しかもそれが悪事の原因になっているということです。間違った理解をしている以上、そこで想定されている先祖の因縁は道理に合わないものですから、それに対して否定的な見方がなされてもしかたがないでしょう。

ただ、通俗的な先祖の因縁の理解が間違っているからといって、ただちに先祖の因縁を否定するというのも変な話です。むしろ、冷静に観察すれば、先祖の問題が子孫に影響を及ぼす事例などいくらでも見られるわけですから、先祖の因縁とはいかなるものかというところから考察すべきだと思いますが、なかなかそうはいかないようです。

このことについて、非常に象徴的な一文がありますので引用したいと思います。

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genre : 学問・文化・芸術

2010-01-18

先祖の因縁(1)

先祖の因縁。よく聞く言葉です。

親を含む先祖の作った業(カルマ・行為)が因(原因・直接的原因)や縁(条件・間接的原因)となって、子孫の人生に影響を及ぼすということと整理できるでしょう。

この「先祖の因縁」、すんなりと納得する人が多い一方で、抵抗を感じる人も少なくないように思います。中には、よく考えもせずに否定する人もいます。また、認めるにせよ認めないにせよ、一般的にはあまり善いイメージがないような印象を受けます。

我々が否応なく先祖の影響を受けているということは、少し考えればわかるごく当たり前のことです。ですから、先祖の因縁などないなどということはありえません。

『易経』(儒教の聖典である五経の第一であり、東洋の占術においてもっとも重要な書物)に「積善の家には余慶(よけい)あり、積不善の家には必ず余殃(よおう)あり(善行を積み重ねた家系では、必ずその恩恵の余沢が子孫に及ぶし、悪行を積み重ねた家系では、必ず災いが子孫に及ぶ)とあり、またことわざにも「親の因果が子に報い」といいます。

先祖の因縁が子孫に及ぶという実感・実体験の世界から出てきた言葉だろうと思います。

しかし、先祖の因縁という言葉には抵抗も多いですし、あからさまに否定的なことを言う人もいます。結構高名な仏教者の中にもいたりします。

なぜ認めたがらなかったり、否定したりするのかということについては、いくつかの原因があるように思います。

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2010-01-16

『偽書「東日流外三郡誌」事件』斉藤光政著

戦後最大の偽書とされる『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)。地元紙の記者として、この書物を巡る事件を追及してきた斉藤光政氏が、その顛末をまとめたのが『偽書「東日流外三郡史」事件 』(新人物往来社/新人物文庫)
。2006年に出版された書籍を、その後の事情を加筆して文庫化したものです。

私は昔、古史古伝に非常に興味があった時期がありましたので(古史古伝や超古代史への関心から、毎月『ムー』を読むようになって、結構影響されていたというのは、ばれてもいい「ここだけの秘密」です)、当然、『東日流外三郡誌』についても知っていました。ただ、反体制的な志向が濃厚なので、あまり関心は持てなかったのですが。

それはともかく、この本は文句なく面白いです。

ただし、裏表紙の紹介にある「なまじの推理小説よりはるかに面白い」という言葉には違和感があります。

というのは、推理小説は謎を解いていくことにおもしろさの中心があるのに対して、この書物は謎解きそのものよりも(真相はほとんど最初からわかっています)この書物を巡って人間心理が織りなす「小説より奇なる現実」こそこの書物の興味深いところなので、推理小説と比較することに抵抗があるためです。

ともかく、まあ、全編にわたって、人間というものについていろいろなことを考えさせられます。

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2010-01-15

因果応報に関する質問へのお答え

大変遅くなりましたが、昨年11月27日のエントリー「悪人になろう」への荻野さんの質問に対して、お答えします。

質問の内容は次のようなものでした。

> さて、因果応報が出ていましたので、この際お聞きしたいと思います。因果応報は、実に好ましい法則だと思いますが、存在しているのかどうか疑問に感じています。

> 例えば若者や子供が殺人事件の被害者になることがありますが、そんなひどい報いが来るような人生を歩んでいたとは思えないからです。それとも事件は報いではないのでしょうか。また、大きな天災、人災で大勢の人が亡くなりますが、千差万別の人生を歩んでいた人達がどうして同じ報いを受けることになるのか、理解できないわけです。


また、この質問に加えて、

> ところで、某宗教では、私の疑問に対しては、前世の罪、先祖の罪があるからだ、という回答をすると思います。それも信じれば、納得できるので、悪いとは思いませんが・・・。

というコメントもいただきました。

まず、後半の質問に対する答えですが、これは縁起(因+縁=果)という観点からいえば、「大きな天災・人災」という重大な縁(条件)に遭遇したことよるということでご理解いただけると思います。むしろ、同じ大きな天災・人災であっても、亡くなる方と生き残る方がいるということのほうに意味があると思います。

前半の質問に対する答えは、普通に考えれば荻野さんがコメントされたように、前世もしくは先祖の因縁の果報だということになると思います。

しかし、私は因果応報を信じる立場において、そのような答えは不適切だと考えます。なぜなら、そのような答えをするのは因果応報を他人事と考えているからだと思うからです。

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2010-01-14

因果応報を信じるとは

今日は、いったん因果応報の考察は一休みして、因果応報を信じることの意味について論じてみたいと思います。

これまで、因果応報の前提となる縁起・業(カルマ)・善悪といった問題について考え、また、因果関係を整理した「六因・五果」のうち、因果応報に深く関わる「異熟因・異熟果」「同類因・等流果」について説明してきました。

どの程度的確に説明できたかはともかくとして、これまで説明してきた内容からだけでも、本来の仏教の考え方に基づく因果応報というのは、一般的に考えられている神仏から与えられる賞罰のような感じの因果応報とはずいぶん違うものだし、合理的なものだということがおわかりいただけるのではないかと思います。

そして、これからいよいよ先祖の因縁だの前世の因縁だのというやっかいな問題に入っていくわけですが、まあ、率直に言いまして、そんなもの論証できるのかというと、無理なのですね。

先祖の因縁につきましては、「親の因果が子に報い」などというように、事実としてそういうことがある、という程度なら可能です。しかし、自分が作った業(=因縁)の報い以外の出来事は、すべて親先祖の業を引き継いだものであるなどという論証は非常に難しいでしょう。

まして、前世や来世に至っては、それがあるかどうかも証明できないわけですから、最終的には信じるか、信じないかという話にならざるをえません(仏教では、悟りを開けば神通力によって前世や来世がわかるようになるとはいいますが、もしわかったとしても、それが客観的事実であることを証明するのは非常に困難です)。

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2010-01-12

善と悪について(7)

善と悪についての考えてきましたが、とりあえず、このあたりで一区切りしたいと思います。

まず、昨日も書いたように、純然たる善や純然たる悪は滅多にありません。というより、まずないと言って間違いないでしょう。「ほとんど白」とか「ほとんど黒」であっても、実は灰色だということです。

もともと日本人が物事を曖昧にするというのは、そのあたりのことがわかった上で、結論を双方が合意できる一番適切な落としどころに持っていくためでした。しかし、現代においての曖昧な結論は、意味が違うように思います。

現代の日本では、何でも善か悪かに分類しようとします。白か黒に分けようというわけです。

ところが、実際には灰色ですから、見る立場によって、白(善)と言える根拠もあれば、黒(悪)と言える根拠もあります。「ほとんど白」とか「ほとんど黒」という場合は、まあ、一般的通念として普通の人なら白、黒に分けます。しかし、それほど明確でないことについては、それぞれの価値観や思惑、都合によって白と言ったり黒と言ったりします。

つまり、「善と悪について(3)」でも書いたように、一般に善悪の基準については自分の都合によって決められているわけですが、それは灰色の、善と言える要素もあれば、悪と言える要素のあるものを、善か悪かのどちらかに分類しようとするために起こることです。

もともと善とでも悪とでも言えるわけですから、善と思いたい人には善と見え、悪と思いたい人には悪と見える。世の中の大半の人は、物事を厳格な基準に基づいて考えることはありませんし、自分の心の動きというのにも無頓着ですから、その基準が自分の都合によるものであっても、それに疑問を抱く人はそうそういません。

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2010-01-11

善と悪について(6)

善と悪の問題について、いよいよ肝心なところにさしかかってきました。

前々回のエントリーにおいて、

例えば、佐藤さんのところに言って「鈴木さんがあなたの悪口を言っていた」という嘘を言い、鈴木さんのところに行って「佐藤さんがあなたの悪口を言っていた」という嘘を言ったとすれば、当然、これは悪だといえるでしょう。

なぜなら、たいていの場合、その嘘によって佐藤さんと鈴木さんが仲違いをすることになるからです。あるいは、佐藤さんと鈴木さんが直接に話の内容を確認して、それが嘘だとばれた場合、嘘をついた本人が信用をなくすことになりますが、いずれにしても、善い結果にはつながりません。

そのような結果によって、悪だという判断ができます。


としましたが、ここで疑問を持たれた方も少なくないのではないでしょうか。

普通、こういう形で嘘をつき、佐藤さんと鈴木さんを仲違いさせようとするのは、それによって何らかの利益があるからと考えられます。とすると、うまく佐藤さんと鈴木さんを仲違いさせることができれば、それは自分にとって「望ましい」結果だということになります。

となると、楽(望ましい)と苦(望ましくない)の果によって善か悪かを判断するというのであれば、自分にとって「望ましい」結果をもたらした「嘘(をつくという行為)」は善ということになるのではないか、という問題です。

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2010-01-09

善と悪について(5)

昨日の内容について、縁起という観点から補足しておきたいと思います。

まず、昨日の内容は、例えば一般的には悪と考えられている「嘘をつく」という行為でも、あるいは通常は善だと考えられるであろう「がんばれ」という励ましでも、状況によってプラスの結果になったり、マイナスの結果になったりするということでした。

よって、嘘をつくとか、「がんばれ」と励ますとか、あるいは体罰にしたところで、それ自体が必ずしも善悪といえるわけではなく、結果によって善悪を判断するべきだと考えるわけです。

次に、縁起について再確認しておくと、

因(原因)+縁(条件)=果(結果)

つまり、いかなる結果も必ず因(原因)と縁(条件)という複数の要因から生じるというものでした。つまり、因(原因)は同一であっても、縁(条件)が変われば果(結果)が変わるということです。

「状況によって結果が変わる」というのは、「縁(条件)によって果(結果)が変わる」ということと同じです。ですから、縁起から考えれば、嘘であれ、「がんばれ」という励ましであれ、状況によって結果が変わるというのは当然のことです。

そして、状況というのは常に違いますから、同じことをやっていれば、いい結果になることもあれば悪い結果になることもある。つまり、縁(条件=状況)に応じて因(原因=何をするか)を変えなければならないということになります。

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2010-01-08

善と悪について(4)

昨日は、一般的な善悪の基準というのは、それぞれ自分あるいは自分の所属する社会集団の(道徳や倫理に基づくとはいえ)都合によって決められているため、因果応報の実際とは一致しないという観点から、善と悪の基準を楽と苦の結果によって判断すべきということを説明しました。

先に決められた善悪の基準から世の中の有り様を判断するのではなく、世の中の有り様を謙虚に学んで、そこから善悪の基準を設定しなければならないということです。

今日は、別の観点から、善と悪の基準は、それが楽の果をもたらすか、苦の果をもたらすかによって判断すべきということを説明したいと思います。

世の中には、一般的に善いこと、悪いこととされていることがあります。

例えば、嘘をつくというのは悪いこととされています。嘘をつくのはいいことだと言う人は滅多にいないと思いますし、そう我が子に教える人など、まずいないと思います。仏教の十善戒にも不妄語戒(ふもうごかい)すなわち嘘をついてはいけないという戒がちゃんと入っています。

しかし、実際生活上では、絶対に嘘をつかない、必ず本当のことを言わなければならないと思っている人は少ないのではないでしょうか。世の中には、嘘をついたほうが、物事がうまくいく場合が少なくありません。

子供に「嘘をついちゃいけない」と教える親でも、実際に我が子が何でも馬鹿正直に話していたら、逆にたしなめるでしょう。

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2010-01-07

善と悪について(3)

仏教においては、すべての業(カルマ)を善・悪・無記(善でも悪でもない)の三性(さんしょう)に分類します。

その説明として、前回は

・善…楽(自分にとって望ましい)の果を生ずるもの
・悪…苦(自分にとって望ましくない)の果を生ずるもの
・無記…楽の果も苦の果も生じないもの


善が楽の果を生じ、悪が苦の果を生じるということから、楽の果を生じさせる業(カルマ)は善、苦の果を生じさせる業(カルマ)は悪と定義すれば、因果応報は100%の確立で成立することになります。

よって、善と悪は、それが楽の果を生じるか、苦の果を生じるかによって定まるというのが「善と悪について(1)」での内容でした。

善悪の定義についてはいろいろな議論がありますが、因果応報を考える上でも、実際の生活上でも、この定義に基づくのがもっとも有効だろうと思います。

なぜ、この定義が有効かということについてはいくつかの理由があり、また、突っ込んだ解釈が必要なのですが、わかりやすいところから説明していきたいと思います。

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2010-01-05

善と悪について(2)

まず、昨日のエントリーでもっとも訳がわからないであろう部分、すなわち何が善で何が悪かは苦楽の結果から決めるべきと言いながら「必ずしも苦楽の結果で善悪を決めきれない」と書いたことについて説明をしておきたいと思います。

意味不明になった直接的原因は、時間がない中で無理にまとめたからため、言葉足らずになったことによりますが、それは単なる言い訳として…。

わざわざこのようなことを書いたのは、往々にして見られる「★★教をやめたら不幸になる」というような脅しの文句を念頭に置いてのことです。あるいは、因果関係が不明確なことについて過剰な縁起担ぎをして、物事の判断を誤らないようにという意図もあります。

もちろん、物事の予兆を感じ取る手段として、因果関係が不明確なことについての過剰な縁起担ぎというのも意味がないわけではありません。しかし、基本的には「思い込み」の可能性が大きいことを忘れるべきではありません。

例えば、宗教団体の信者であれば、教団の打ち出した方針がおかしいと思い、指導者に疑問をぶつけたが、それに対して「信仰が足りない。もっと素直にならないといけない」と言われたとします。たいていの人は、頭の一部では「もっと信仰的に受けとめないといけない」と思いながらも、一部では「でも、納得できない」という気持ちになるだろうと思います。

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2010-01-04

善と悪について(1)

しばらく年末年始に関わる話題を取り上げてきましたが、気分を切り替えて、因果応報についての考察を再開したいと思います。

因果応報については、荻野さんからいただいた質問のように、普通の人なら漠然とそういうこともあるだろう、あるいはあってほしいと思いながらも、現実には一時的にせよ悪が栄えたり、善意でしたことが報われなかったりということが多いために、今ひとつ信じがたいという人が多いのではないかと思います。

これについては、まず因果応報は単純な一因一果の関係にあるのではなく、仏教の基本である縁起、すなわちすべては複数の要因から生じるという観点から見るべきだということを説明してきました。

また、因果関係には善因楽果・悪因苦果「異熟因・異熟果」善因善果・悪因悪果「同類因・等流果」があることも説明しました。

このような内容を知るだけでも、因果応報というものに対するイメージがずいぶん変わるのではないかと思います。

しかし、因果応報ということを考える際には、もっと基本的な問題を検討する必要があります。

その問題とは、善悪とは何かということです。言うまでもないことですが、何が善で何が悪かを明確にしなければ、実際には善を行ったつもりが悪であったり、相手のしたことが悪だと思っていたら善だったなどということが起こりうることになります。というか、現にそういうことが多いのではないでしょうか。

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2010-01-02

終わりなき世のめでたさを

年の初めの例とて
終わりなき世のめでたさを
松竹たてて門ごとに
祝う今日こそ楽しけれ


ご存知『一月一日』の歌です。

この歌詞、作詞は千家尊福(せんげたかとみ)です。第80代出雲国造(出雲大社宮司)にして出雲大社教の初代管長、後に貴族院議員となり、東京府知事や司法大臣を歴任した傑物です。

とはいえ、何も一日遅れで『一月一日』について考えようというわけではありません。注目したいのは歌詞の二行目、本日のタイトルにもした「終わりなき世のめでたさを」という一節です。

で、何が言いたいかというと、2012年人類滅亡説などくそ食らえ! ということです。

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2010-01-01

謹賀新年



謹んで新年のお慶びを申し上げます。本年も宜しくお願いいたします。

さて、上の写真は左甚五郎作と伝わる秩父神社拝殿の「子育ての虎」ですが、よく見ていただくとわかるように母親が豹です。これは当時、虎の雌が豹だと考えられていたためです。

現代人の感覚からすればおかしな話ですが、未来の人から現代を見れば、同じようにおかしな常識が跋扈しているかもしれません。

混沌とした時代だからこそ、常識や誤った情報にとらわれず、真実を見抜く目を持つようにしたいものです。

皆さまの御健康と御多幸を心よりお祈り申し上げます。

平成廿二庚寅歳元旦

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