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2010-02-27

嫌な相手は雑巾

ある知人から、どうも上司から不当につらく当たられている気がする、という相談を受けました。無茶な要求をされて、しかも、常識的に考えて両立は不可能というと、心構えが足りない、とか、やるべきことを十分にやってから言え、というようなことを言われ続け、言われ続けているうちに、本当に自分が不足しているのかという気になり、だんだん頭がいっぱいになって、夜も寝られなくなったというのです。

要求されている内容というのは、通常業務に特別業務を押しつけ、しかも権限は渡さず、悪いのは全部部下(中間管理職)で、助言といえば精神論だけという、悪い上司の典型みたいな話でした。

これで、普通の人であれば、上司が悪いということで、だからといって問題が解決するわけではないにしろ、過剰に自分を責めることはありません。

ところが、その知人はなまじ信仰がありますから、やはり自分が不足なのだろうか、とか、相手は自分の鏡だから、まだまだ自分があらためないといけないのだろうか、とか、自分にそういう業があるのだから甘んじて受けなければいけないのだろうか、とか、自分を責めるほうに向いてしまうわけです。

まして、相手は信仰のない一般人ですから、お互いに信仰的な受け止め方をして中和されるなどということもありません。信仰者の陥りがちな罠の典型と言えるでしょう。

まあ、嫌な物事を受けとめるのに、100%自分に責任があると受けとめるのは正しいことですし、相手は鏡であって自分に改めるべきことがある、そういう業が残っているから、そういう目に遭うというのもその通り。

しかし、それによって自分を責め、夜も眠れないほどストレスを溜め込んだのでは本末転倒です。心神(わがたましい)を傷(いた)ましむること莫(なか)れ、というのが一番大切なことであって、信仰的とらえ方といっても、それを基準に考える必要があります。

では、100%自分に責任がある、その他の信仰的受け止め方と、心神(わがたましい)を傷ましめない受け止め方は、どのようにすれば両立するのでしょうか?

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2010-02-26

真俗二諦(2)

俗諦(ぞくたい)レベルの内容しかない宗教ということについて、もう少し考えてみたいと思います。

簡単なことですが、俗諦レベルの内容しかないということは、真諦(しんたい)つまり究極的な真理がわかっていないということです。

では、真諦とは何かというと、「諸行無常、諸法無我」、この世に存在するものは、すべて縁起によって仮にそういう存在としてあるだけであって実体はなく、絶対的なものはないということです。

ところが、このことを知らない(気づいていない)ために、実体がないものを実体がある、絶対的ではないものを絶対的だと錯覚し、それに執着するために、さまざまな苦が生じるというものです。

この立場に立つと、財や名誉といった世俗の価値は当然のこと、法律や道徳、芸術や文化に対しても、特別の価値を置かない、守ったり大切にする必要はない、ということも可能です。それどころか、人類だって生じては滅びるものの一つであって、特別の存在ではないということになります。極めてニヒリズム的なのです。

ただし、仏教の場合は、そういう立場は必ず慈悲によって裏打ちされている点、また、真諦と俗諦の二つの真理を認め(特に業の観念、因果応報)、現実を決して無視しない点において、ニヒリズムとは無縁です。

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2010-02-25

真俗二諦(1)

仏教では真諦(しんたい)俗諦(ぞくたい)という二種類の真理を立て、合わせて真俗二諦(しんぞくにたい)と呼びます。

真諦というのは勝義諦(しょうぎたい)ともいい、最高の真理・究極の真理ということです。これに対して俗諦は世俗諦(せぞくたい)ともいい、世間一般の真理ということです。真諦を絶対的な真理、俗諦を相対的な真理ということもあります。

この真俗二諦についてはいろいろな解釈があるのですが、私は、ブログを始めて間もない頃に書いた二重構造の救いという観点から説明するのがわかりやすいだろうと思います。

つまり、

俗諦…六道輪廻の中でより良い状態を実現するための真理

真諦…六道輪廻を超えて彼岸へ渡るための真理


ということです。

この真諦と俗諦、その説くところは互いに矛盾しています。そして、最高の真理・究極の真理というぐらいですから、仏教の核心は後者なのですが、一般的には前者に関わる内容についての話が多いように思います。

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2010-02-23

「幸福の科学」考(1)

仏教にもいろいろな考え方や形態があり、それこそスリランカやタイの上座部仏教からチベット仏教まで、日本の中でも法相宗や華厳宗といった南都仏教(これらの宗派は葬式をしません)から、高度で総合的な教義を持ちながら、実践においては大衆の現世利益の願いにも応える天台宗や真言宗(密教は仏教から逸脱しているという不当な批判を受けることもあります)、そして禅宗、浄土系の諸宗派、日蓮・法華系の諸宗派に至るまで、きわめて多様な宗派・教団が仏教として分類されています。

しかし、仏教である以上、いかなる宗派や教団であっても、最低限の共通理解というものがあります。

その一つが、お釈迦様(ゴータマ・ブッダ)は絶対に再び生まれてくることがない、ということであるのは間違いありません。

「こうして、わたしは、生もなく、病もなく、老もなく、死もなく、愁いもなく、けがれもない、無上安穏の涅槃(ねはん)を求めて、ついにこれを得ることができた。その時、わたしに一つの智見が生まれた。--私の解脱はもはや不動である。迷いの人生は尽きた。清浄なる修行はすでに確立した。作(な)すべきことはすでに作(な)しおわった。もはや、再び迷妄(まよい)の人生をうけることはない--と」(『聖求経』増谷文雄訳)

これは当然でして、お釈迦様が出家したのは、輪廻からの解脱を求めてでした。言い換えれば、六道輪廻の迷いの生存を抜け出して、二度とこの世に生まれてこないようにするというのが目的だったのです。そして、悟りを開いたというのは、修行を完成し、輪廻の原因を絶ちきったということですから、もはや、二度と生まれてくるということはありえないというのが仏教徒の立場です。

もし、お釈迦様が再び生まれてくるようなことがあったら、お釈迦様の悟りは偽物であったということになります。仏教二千五百年の歴史を根底から揺るがす、大変な問題になってしまうわけです。

ところが、そういうとんでもないことを平然とうそぶき、しかも自ら仏教を称している不埒な教団の教祖がいます。

言うまでもなく「幸福の科学」の総裁・大川隆法氏です。

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2010-02-22

三句の法門

菩提心(ぼだいしん)を因と為(な)
大悲(だいひ)を根(こん)と為し
方便(ほうべん)を究竟(くきょう)と為す


『大日経』住心品(じゅうしんぼん)にある、執金剛秘密主(しつこんごうひみつしゅ)の一切智智(いっさいちち)すなわち仏の智慧とはどのようなものかという質問に対し、大日如来が答えた内容です。

現代語にすれば、「悟りを求める心を出発点(原因)とし、大いなる慈悲心、つまり人々の苦しみから救おうとする心を基本とし、そのための適切な手段・実践を究極の目的とする」というような意味になります。

古来、「三句の法門(さんくのほうもん)と称され、大日経の教えを端的にまとめた内容として重視されてきました。

さて、お経は尊いものだと大切にするのはいいことですし、自分のレベルで理解してしまうというのも非常に危険なことなのですが、だからといって、自分とは無関係のものとして敬して遠ざけるというのでは意味がありません。不十分であっても、それを自分たちの生き方に取り入れることが大切です。

そのためには、教典の言葉や教えを、自分のこと、あるいは具体的な問題に置き換えて理解することが必要になるだろうと思います。

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2010-02-20

先祖の因縁(10)

昨日予告しましたように、先祖の因縁を持ち出すと、必ず考え方が後ろ向きになるということについて考えてみたいと思います。

先祖の因縁に関心を持つ人というのは、たいていの場合、現状に対して問題意識を持っている、有り体に言えばいろいろ困った問題があって、それを解決したいと思っている場合がほとんどです。問題には当然、原因があるはずです。それを先祖の因縁に求めるわけです。

今ある問題を何とか解決したいからということで先祖の因縁に関心を持った場合、それが有効に作用することはよくあることです。

というのは、「先祖の慰霊と因果応報」でも書きましたが、先祖の因縁というのは、自分自身というものを見つめ直すきっかけとしては非常に有効です。先祖の因縁というクッションを置くことによって、自分自身の中にある原因に向き合い、それが自分の問題ということを意識するにせよ、意識しないにせよ、先祖の供養という形を取って自分が変わり、それによって問題が解決するということがあるからです。

また、これは霊界の存在を信じるか否かという前提がありますが、私自身がこれまで見聞してきた中で、確かに慰霊や供養によって状況が変わるということはあります。たいていの人なら、そういう不思議な話の一つや二つは身の回りにあるのではないかと思います。霊界で苦しんだり、現世に何かを訴えてきている霊が、供養されることによって浄められ(成仏したという言葉を使うのは抵抗があるので)、それが現世に生きる子孫によい影響を与えるということは、確かにあるようです。

現実的な努力や対処ではいかんともしがたい場合(あくまで現実的な努力を前提として)、先祖の慰霊や供養をしてみるということは価値のあることだと思います。

しかし、だからといって先祖の因縁を発想の中心に置くようになると、考え方が後ろ向きになってしまいます。そして、問題の発生と先祖の因縁による問題解決の繰り返しを延々と繰り返すことになってしまうのです。

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2010-02-19

先祖の因縁(9)

先祖の因縁ということで書いてきましたが、最後に先祖の因縁という観点の限界について考えてみたいと思います。

その前に、最近聞いたちょっと不思議な話をひとつ。私の知人のご婦人(私の両親と同年代の人)から聞いた話です。

そのご婦人は息子さんが二人いらっしゃったのですが、数年前、次男を交通事故で亡くしました。

その次男さんには女の子が一人、そしてもうすぐ生まれるという二番目の子どもさんが奥さんのおなかにいました。その二番目の子どもは男の子で、お父さんの顔を知らずに育ったわけです。

ところが最近、その子がお父さんの口癖と同じことを言う、とても不思議だ、とお嫁さんから電話があったのだそうです。

まあ、それについては、お腹にいるときにお父さんの口癖を聞いていたのかしら、ということで納得しているのだそうですが、さらに不思議なことは、亡くなったお父さんというのがいわゆるマヨラーで、冷蔵庫のマヨネーズをそのまま食べるぐらい好きだったのだそうですが、その子も同じことをするのだそうです。いや、不思議だということで、そんなことがあるのだと話してくれました。

例えば亡くなったお父さんの生まれ変わりだなどという話がありますが、こういう現象があって、そう考えたんだろうなと思います。まあ、解釈はいろいろできるわけで、獲得形質は遺伝しないというけど本当だろうか、とか、いや、マヨネーズ(酢?)が好きな遺伝子があるのだろうか、とか、死んだ父親が何か影響しているのだろうか、とかいろいろ考えられます。

どのような解釈が適切なのかはともかくとして、もしかすると我々が親に育てられる過程で影響され、身につけたと思っている性質でも、実は先天的に持っていたという可能性があるのかもしれません。それがどういう意味を持つかは、まだ何ともいえませんが、自分の持っている常識というのは常に疑う必要があるなあと思った次第です。

さて、先祖の因縁という観点の限界について考えてみたいと思います。

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2010-02-18

先祖の因縁(8)

先祖の因縁を考えるときに、自分が親や先祖の影響を受けているということについて全面的に否定する人というのは、まずいないのではないかと思います。

例えば、今では胎教の重要性は常識になっていますが、胎教というのは胎児が自分の人生を考えて選択するものではなく、親が一方的に与えるものです。つまり、本人のあずかり知らないところで、人生の重要な部分が決められているわけです。

あるいは、仕事などで行き詰まったとき、自分の父親の世話になったことがあるという人が手助けをしてくれたときなどは、いい意味で親の因果が子に報いたといえるでしょう。当然、逆もあるでしょうが。

生まれる家によって、毎月1,500万円も母親から小遣いをもらえる人もいれば、学費や生活費を自分で稼がなければならない人もいます。いくら人間は平等だといっても、現実にはいろいろな境遇があります。

もし、経済的なスタート地点を平等にするとしても、親や先祖から受け継いだ気質や体質、価値観といった違いは解消されません。

そういう具合に、因果関係がある程度はっきりしていることに限定すれば、先祖の因縁を認めることにはやぶさかでないと思います。

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theme : 宗教
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2010-02-16

先祖の因縁(7)

さて、久しぶりに先祖の因縁の話(のはず)です。

前回まで、先祖の因縁という言葉にマイナスのイメージがあるのは、先祖の因縁を信じる側の人たちの理解が誤っているためだという観点から、その問題点を整理しました。

その第一は、先祖の因縁というのは、自分がいかに生きるべきかという観点から考えられるべきものであるのに、そういう観点が欠落していることが多いということです。

第二は縁起という考え方、すなわち結果が生じるには複数の要因があるということを理解せず、一因一果(一つの原因に一つの結果)という単純な関係性を想定するために、現実に適合しないものになっているということです。

第三に、異熟因・異熟果の関係において、苦楽の結果は善でも悪でもなく、また、その果報を生じた時点で因縁は尽きるので、現に受けている苦楽の果報によってその人の価値を決めることはできないが、それが差別を正当化するものであるかのように錯覚しているということです。

先祖の因縁という問題は、どんなに丁寧に説明したところで、現代の日本人の思考に大きな影響を与えている近代合理主義的な価値観や感覚とは相容れない部分があります。それだけに、分かり切った間違いについてはきちんと潰しておく必要があるのです。

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theme : 宗教
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2010-02-15

清浄歓喜団

亀屋清永の清浄歓喜団(せいじょうかんきだん)。ちょっと不思議な名前ですが、お菓子の名前です。友人が京都のお土産に買ってきてくれました。



箱です。題字は第253世天台座主の故・山田恵諦師です。



箱を開けたところ。

中を見ると、巾着(金袋)の形をした揚げ菓子です。巾着の形をしていますが、非常に古めかしい印象です。それもそのはず、遣唐使が持ち帰った唐菓子で、千年以上の歴史を持つのだそうです。

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2010-02-13

大本「基本宣伝歌」考(8)

一通り、基本宣伝歌の内容を見てきました。最後に、全体を見ながら整理したいと思います。

昨日も書きましたように、基本宣伝歌は最後の三行において「何をすべきか」ということが明確に説かれています。

ただ何事も人の世は
直日(なおひ)に見直せ聞直せ
身の過ちは宣(の)り直せ。


このことはどれほど強調しても十分ということはありません。信仰をしている人でも往々にして錯覚していることが多いのですが、神様をどんな名前で呼ぶか、神様はどんなお方かなどということは、それほど重要な問題ではありません。大事なのは、我々人間の側の姿勢、あるいは何をするかという問題です。

どんなに「神様、仏様」と言ったところで、信じる側の行為が善でなければ、善い結果など期待できようはずもありません。イエス・キリストも「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」と言っています。

ですから、神典や経典、あるいは教義に関心を持つときは、まず自分は何をすべきかということが一番重要で、その他のことは、自分が何をすべきかということを正しく理解し、誤らないための補助として受けとめることが肝要です(何をすべきか、というところだけ見ると、正しく意図を理解せずに、全然別のものにしてしまう可能性があるので)。

あるいは、教団や信者のあり方を見るとき、その教えの善し悪しを見ることも大切ですが、それ以上に、教えを実践しているかどうかを見ることのほうが重要です。なぜなら、教えの善し悪しを判断するのは困難ですが、教えを実践してさえいれば、善い教えなら良い結果が現れ、悪い教えなら望ましくない結果が現れるはずなので、自然に教えの善し悪しもわかるからです。

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theme : 宗教
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2010-02-12

大本「基本宣伝歌」考(7)

昨日、久しぶりに出口すみ二代教主(出口王仁三郎聖師の夫人)の『おさながたり』を読んでいましたら、出口なお開祖が信者の四方平蔵(しかたへいぞう)に芋粥を出した際に言った、次のような言葉がありました。

「平蔵さん、このお土から取れたお米を、日の大神様の御火と、月の大神様の御水で炊いたお粥ぐらい結構なものはありません。ご膳をいただく折には、必ず天地の大神様に御礼を申し上げてから、頂かねばなりませんぞ」

これからすれば、基本宣伝歌二章の「月日と地の恩を知れ」は、私たちを生かしている「火」「水」「大地」の恩徳を知り、日々感謝しなければならないという意味に取るのが正しいかもしれません。

訂正というわけではありませんが、正確を期すためにこのことを付け加えて、引き続き三章を見ていきたいと思います。

この世を造りし神直日(かんなおひ)
心も広き大直日(おおなおひ)


神直日神、大直日神というのは、伊弉諾尊が黄泉国から帰ってきて禊ぎをされた際に誕生した神々の中の二柱で、禊ぎ祓いに関わる神ですが、ここではニュアンスが違うようです。神直日・大直日であって、神直日神・大直日神でないことからも、むしろ古神道の「一霊四魂(いちれいしこん)の一霊である直霊(なおひ)との関連を考えた方がよさそうです。

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theme : 宗教
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2010-02-11

建国記念日

建国記念日、おめでとうございます。

紀元節

雲に聳(そび)ゆる高千穂の
高根おろしに草も木も
なびきふしけん大御世(おおみよ)
仰ぐ今日こそ楽しけれ


今日は建国記念の日。かつての紀元節です。日本書紀における神武天皇が橿原宮で御即位された日を太陽暦に換算したのが2月11日とされます。


橿原宮の跡と伝えられる橿原神宮

もちろん、神話の記述ですから、そのまま事実ではないでしょう。とはいえ、この世を構成しているのは事実だけではありません。例えばイエス・キリストの肉体をもっての復活など、常識的に考えても、常識的に考えなくても、当然フィクションであるわけですが(肉体をもって昇天したイエス・キリストがどこへ行ったのかと考えれば、当時の宇宙観に基づくフィクションであることは論ずるまでもない)、ヨーロッパの二千年の歴史は、そのフィクションを前提として成り立っているわけです。

建国記念日の制定に反対していた人々は、神武天皇の御即位に科学的根拠が薄いなどと批判していたわけですが、そういう人々にしたところで、ユダヤ・キリスト教史観をベースにした近代の迷信であるマルクス主義史観を信奉していたのですから、なにをか言わんやということで、堂々と神話に基づく建国をお祝いするのが健全な日本人であろうと思います。

さて、上記の紀元節の歌にある「高千穂」ですが、瓊々杵尊が天降られた日向の高千穂峰については宮崎県高千穂町という説と霧島連峰という説があります。一応、後者が有力とされ、その宮殿の跡が霧島神宮と伝えられています。

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2010-02-09

大本「基本宣伝歌」考(6)

今日は更新が遅れました。寝込むほどではないのですが、なかなか体が本調子に戻りません。

大本の基本宣伝歌、2章の続きを見ていきます。

月日と地(つち)の恩を知れ

月と太陽と大地の恩を知れということで、文字通りに受け取ってよいでしょう。大本は大地、お土というものを非常に重視します。なのですが、私としてはもう少し考えてみたいと思います。

私がこれを見て、いつも思い出すのは、金光教の「慎戒(しんかい)」の一項です。

天の恩を知りて地の恩を知らぬこと

およそ日本の宗教の中で、信仰・信心というものについて、もっとも突きつめた教えを持っているのが金光教だと思うのですが、この言葉も非常に信仰のあり方について鋭いところを突いていると思います。

だいたい、熱心な信仰者といわれている(自負している)人というのは、神様に熱心になるほど、自分の身の回りから受けている恩というのを忘れがちになるものです。何か、自分だけが、周りの世話になることもなく、神様から生かされているかのような傲慢さを漂わせていたり。

神様から生かされているといっても、実際には周囲の人々を含む環境によって生かされているわけですから、天の恩ばかり知って、地の恩を知らないというのは、確かに信仰者として重大な欠陥があるといわざるをえません。

「月日と地の恩を知る」というのも、月日を天の神の象徴と見なせば、同じような意味を含んでいるのではないかと思うわけです。因みに、天理教のお筆先では「月日」が神様の意味で使われています。もちろん、それをそのまま大本に適用することはできませんが。

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2010-02-08

トヨタ、朝青龍、民主党

2月2日から一昨日まで出張していたのですが、出張先で体調を崩し、大変な思いをしました。まあ、何とか仕事はこなしたのですが、まだ本調子ではありません。

そのため、どうも世間の動きを追いかける余裕がなくて、朝青龍の引退やら、トヨタのリコール騒動やらいろいろありますが、それを論じる余力がありません。まあ、因果応報という観点から見れば、朝青龍にせよ、トヨタにせよ、そういう苦の果を生じる原因があったということですし、それについては出るものが出たかという感覚の人が多いのではないかと思います。

トヨタに関しては、大変でも、ぜひ、誠実な対応をしてもらいたいものです。何度か書いてきたように、苦楽の果は善でも悪でもなく、それをどう活かすかによって、未来への善因とも悪因ともなるわけです。

ビッグスリーなどはここぞとばかりにトヨタを叩くつもりのようです。何でもトヨタ車からの乗り換えに対して最大1000ドルの値引きをするのだとか。まあ、現実的な利害損得だけを考えれば、それがもっともなやり方なのでしょうし、わざわざ親切な対応をする必要もないでしょうが、因果応報を考えれば話は別です。

無論、嫌がらせをすれば、いずれ相応の報いがあるだろうということではありますが、それは神様からの罰というような話ではありません。少し先々を考えれば誰にでもわかることです。

ビッグスリーは敵失によって有利な状況になったわけですが、だからといって車の性能が上がったわけでも、顧客サービスがよくなったというわけでもありません。もしここで、トヨタが不誠実な対応をしたり、技術面等の改善をしなければビッグスリーの思惑通りになるでしょう。

しかし、トヨタが現状の苦の果を善因として活かした場合にはどうなるか。長期的には、トヨタがより確実な信頼を得ることになるでしょう。ビッグスリーも敵失という楽の果をどう活かすかが問われているわけですが、善因として活かす発想はあまりないようです。因果応報という感覚があまりないのかもしれません。

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2010-02-06

大本「基本宣伝歌」考(5)

それでは基本宣伝歌の第二章を見ていきます。

三千世界の梅の花
一度に開く神の教(のり)
開いて散りて実を結ぶ
月日と地(つち)の恩を知れ
この世を救う生神(いきがみ)
高天原(たかあまはら)に神集う


この章は、だいたい理解できると思いますが、大本の教えが前提になっているので、そのあたりを確認しておきたいと思います。

三千世界の梅の花
一度に開く神の教(のり)


これは、大本神諭の中の「初発の神諭(しょっぱつのしんゆ)を踏まえています。

三ぜん世界一同に開く梅の花、艮(うしとら)の金神(こんじん)の世に成りたぞよ。
梅で開いて松で治める、神国の世になりたぞよ。
日本は神道、神が構わな行けぬ国であるぞよ。がいこくはけものの世、強いもの勝ちの、悪魔ばかりの国であるぞよ。日本もけものの世になりて居るぞよ。尻の毛まで抜かれて居りても、未(ま)だ眼が覚めん暗がりの世になりて居るぞよ。
是では、国は立ちては行かんから、神が表に現れて、三千世界の立替え立直しを致すぞよ。用意を成されよ。
この世は全然(さっぱり)、新(さら)つの世に替えて了(しま)うぞよ。
三千世界の大洗濯、大掃除を致して、天下太平に世を治めて、万古末代(まんごまつだい)続く神国の世に致すぞよ。神の申した事は一分一厘違わんぞよ。毛筋の横幅ほども間違いはないぞよ。
これが違うたら、神は此の世に居らんぞよ。


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2010-02-05

大本「基本宣伝歌」考(4)

続けて基本宣伝歌第一章を見ていきます。

誠の力は世を救う

一見すればごく簡単、読んで字のごとくですし、まったくその通りなのですが、なお注意を払う必要がある一節だと考えます。

まず「誠の力」とは何かということから。

出口王仁三郎聖師を救世主と信じる人であれば、王仁三郎聖師を通して表される神の力ということになるのでしょう。以前、霊界物語の講演会に参加したとき、愛善苑の人が基本宣伝歌の解説をされたのですが、誠の力についてはあっさりとそういう説明でした。

しかし、私はそういう誰かを特別な存在にするのは嫌いですし、第一、まだ世の中が救われていないという現実があります。大本の教理では後継の教主を中心として御神業が進められ、弥勒の世ができあがっていくということになっているので、現在そちらに進んでいる最中だという見方もできますが、現実には世界を救うどころか大本自体が三派に分裂している状態です。

とすれば、将来どうなるかはさておき、現状ではそういう安易な説明で納得することはできません。誠の力とは何か、自分たちとの関わりにおいてどういう意味があるかを真剣に考える必要があるだろうと思うわけです。

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2010-02-04

大本「基本宣伝歌」考(3)

基本宣伝歌を1章から見ていきます。

朝日は照るとも曇るとも
月は盈(み)つとも虧(か)くるとも
たとえ大地は沈むとも
曲津(まがつ)の神は荒(すさ)ぶとも
誠の力は世を救う


内容ははっきりしています。世の中がどんなに大変になったとしても、たとえ天変地異が起こったとしても、「誠の力」は世を救うという宣言です。

ここで注目しておきたいのは、第一に「曲津の神」について、第二に「誠の力」とは何か、第三に「世を救う」ということです。

それでは見ていきましょう。

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2010-02-02

大本「基本宣伝歌」考(2)

大本の基本宣伝歌、せっかくですから実際に歌われている動画はないものかと探してみたところ、YouTubeに愛善苑東京豊玉分苑所属の垣内政治さんという方がアレンジし、霊界物語朗読ライブで発表した様子がありました。

基本宣伝歌《五六七調》+八


愛善苑というのは、現在、大本は三派に分裂しているのですが、その中でも王仁三郎聖師絶対主義をとることを特徴とするグループで、霊界物語を極めて重視します(もちろん、他の二派も霊界物語を重視しますし、特に信徒連合会は各地で霊界物語の勉強会を開いていますが)。キリスト教で言えば、プロテスタント的な雰囲気を持っている人たちで、教理に関する関心が強く、勉強熱心ですが、その分内部で衝突しやすく、分裂しやすいという印象があります。

それはともかく、現代風にアレンジされているとはいえ、何となく宣伝歌がどういうものかという雰囲気は感じられるのではないかと思います。

※なお、最後のほうで「ああ惟神(かんながら)惟神、御霊(みたま)幸倍(さちはえ)ましませよ」というのは大本の祈りの言葉、「神素盞嗚大神(かんすさのおのおおみかみ)」と呼びかけるのは、愛善苑は大本・大本信徒連合会とは異なり、神素盞嗚大神を主神とすることによる。

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2010-02-01

SAPIO 誰も知らない日本の宗教「カネと実力」

1月27日発売の発売のSAPIO 2010年 2/17号が「誰も知らない日本の宗教『カネと実力』」として特集を組んでいます。

メインは、民主党が宗教法人への課税を検討しているという内容で、それによって宗教界がどう動くか、また、さまざまな宗教団体の動向などについて紹介しています。

目次を紹介すると、

聖域 巨大教団が激震! 小沢一郎が画策する「宗教法人課税」の「本当の狙い」
国税 巨大宗教法人vs 国税庁最強集団「知られざる徴税暗闘史
大図解 ニッポン「新宗教」大勢力図
選挙 「自民党の集票マシーン」創価学会800万世帯は「国政選挙」に倦み始めている
収益事業 まるで“宗教財閥”加速するサイドビジネスの百花繚乱
特権売買 「宗教法人入荷しました」ネットに出品も!休眠宗教法人に群がる「神様ブローカー」の闇
人物伝 ニッポンの「教祖様」列伝


特に目新しい内容があるというわけではありませんが、あまり実態が知られていない日本の宗教界(特に新宗教)について過不足なくまとまっており、なかなかわかりやすく、面白いです。

ただ、少々甘いところもありまして、例えばニッポン「新宗教」大勢力図の新宗教信者数ランキングなどはかなり不備といわざるをえません。。

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古今宗教研究所のブログです。

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