--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2010-03-30

桃水雲渓(4)

桃水雲渓(3)

桃水雲渓(とうすい うんけい)禅師が京で乞食に混じって生活していた時期については、二つほど逸話が残っています。

桃水には三人の得度の弟子がいましたが、そのうちの琛洲と智伝という二人が、桃水を追って大阪にまで出て来ました。毎日手分けをして探しましたが、どこにも師の姿はありません。

来る日も来る日も師を求めて歩き回っていたある9月の日、二人は京の東山を歩いていました。そして清水寺の下の安井門跡(蓮華光院、現在の安井金比羅宮)のあたりに来たとき、大勢の乞食が集まっている群れの中に、師匠である桃水の姿を見つけました。

その姿は、髪も髭も伸び放題、着ているものといえばボロが肩の辺りに引っかかっているだけで、背中には菰(こも=むしろ)を背負っています。右手には破れ椀、左手には破れた袋を持って、みんなと談笑しているのでした。

二人は師匠を捜し当てた喜びと、変わり果てた師匠の姿に言葉もなく、師匠の前にぬかずいて涙を流すばかりでした。

桃水は二人を見ると、冷たく言いました。

「今すぐ、どこにでも行くがいい。ここにお前たちが来ても、何の用もないところじゃ。生きている間に会う必要はないだろう」

そして、さっさと東山のほうに歩いて行きました。

続きを読む

スポンサーサイト

theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-03-29

桃水雲渓(3)

桃水雲渓(2)

島原藩主・高力左近太夫隆長に招かれ、禅林寺の住職となった桃水雲渓(とうすい うんけい)ですが、ここまでの歩みを見ると、多少変わった言動があるとはいえ、ほぼ順調に「出家としての出世」をしているといえるでしょう。

桃水和尚が禅林寺にあること5年、その徳を慕う多くの修行僧や信者が集まり、寺は大変栄えました。その年の冬安居(冬期3ヶ月間の修行)の結制(安居を結ぶ、つまり修行に入ること)には120名余りの僧が集まったといいます。

ところが解制(安居を解く、つまり修行を終えて解散する)の朝、桃水は寺から姿をくらましてしまいました。弟子たちは寺の中を探し回りましたが、どこにも姿はありません。ただ、方丈(住職が生活している建物)の門に次のような偈(詩)を書いた紙が貼ってありました。

今日解制 大衆送行
老僧先出 東西任情


「今日は解制であり、参加した僧たちは出て行く。老僧(自分)はお先に出発する。行き先は気分任せ」というような意味でしょうか。

知らせを受けた高力隆長は、直ちに渡し場の舟を直ちに止めさせて捜索しましたが、桃水を見つけることはできませんでした。

続きを読む

theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-03-27

桃水雲渓(2)

桃水雲渓(1)

引き続いて桃水雲渓(とうすい うんけい)がまだ寺にいた時代のエピソードを紹介します。

これも、大阪の法巌寺にいた頃のことです。

当時、桃水は托鉢にいって、ある程度お米が貯まると、それを炊いて握り飯を作り、自ら乞食たちの集まる場所に行って分け与えました。また、お金が貯まると餅や団子を買い、乞食の子ども達に配りました。そういう布施行を月に十度ぐらいしていたといいます。それで、心ある商家の人たちは桃水の托鉢を待っていて、いつも余分に布施したということです。

こういう布施行・慈悲行は、寺を捨てた後の行動につながっています。

また、まだ熊本の流長院にいる頃のこととして、次のような話もあります。

ある日、桃水が破れた衣を着て、肥桶を担いで畑に下肥をやっていました(つまり、人の糞尿を撒いていたわけです)。

それを見た法兄の船岩和尚が、「清浄であるべき沙門が、糞尿を扱ったりしてはいかん。早くやめなさい」と言いました。

それを聞いた桃水は笑いながら答えました。

「そうなると、厠で用を足した後に尻をぬぐってもいけないということですかな? 人は誰でも不浄をぬぐった手で仏さんに合掌しますが、仏さんが罰を与えたという話は聞きませんよ。畑に肥をやったからといって、心まで汚れることはないでしょう。肥をやらなかったら茄子が痩せてしまいますわい」

続きを読む

theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-03-26

桃水雲渓(1)

桃水雲渓(とうすい うんけい)は江戸時代前期の曹洞宗の僧で、藩主の菩提寺の住職にまでなるのですが、その立場を捨てて乞食(こつじき)生活に入り(というか、一時は文字通り乞食の群れに混じっていました)、「乞食桃水」と呼ばれた方です。風外慧薫(ふうがい えくん)が寺を捨てても僧侶であったのに対し、桃水禅師は僧侶であることすら捨てました(少なくとも外面的には)。

やはり、あまり知られてない方ですが、まとまった伝記が残っているためか、風外よりは取り上げられる機会が多いようです。

まず、その人生の概略を見てみます。

桃水が生まれたのは慶長17年(1612)筑前国(今の福岡県)柳川の商家で、両親は信心深い人だったといいます。家の仏壇に祀られていた阿弥陀様を外に持ち出して遊び、母親が銭と交換しようとしても言うことを聞かなかったりと、小さいときから普通ではないところがあったようです。「この子は商家にはふさわしくない」と、7歳の時、肥前国(現在の佐賀県)の円応寺の囲巌宗鉄(いがん そうてつ)のもとで出家することになりました。

続きを読む

theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-03-25

風外慧薫(3)

風外慧薫(2)

さて、風外慧薫(ふうがい えくん)禅師は真鶴に20年ほど住んだ後、慶安元年(1648)、天神堂のそばに寿塔(生前に建てる墓)を建て、伊豆のほうへと旅立ちました。齢81歳でした。

さらに駿河や遠江を遍歴した後、遠江国石岡(現在の浜松市北区細江町)に庵を結び、画を描いたり、子どもと遊んだりして暮らしていたようです。

そうして一年ほど過ごした後、石岡を発ち、金指(現在の浜松市北区引佐町)に来たとき、土地の百姓に銭百文を渡し、穴を掘らせました。そして、その中に入ると、「これでよし。土をかぶせて埋めてくれ」と言って、立ったまま亡くなりました。その有り様は木を植えたようであったといいます。

引佐町には今も風外の墓が残っているそうです。

続きを読む

theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-03-23

風外慧薫(2)

風外慧薫(1)

風外慧薫(ふうがい えくん)の話を続けます。

寺を捨て、曽我山中で穴居生活を始めた風外禅師ですが、禅師の噂を聞いて面会を求めてくる人が多くなりました。そこで、真鶴(現在の足柄下郡真鶴町)山中の岩窟に移りました。真鶴の景勝を気に入ってのことのようで、風外60歳の頃といわれます。

風外が住んでいた窟のそばには、今も風外が岩に刻んだ天神様を祀る天神堂が残っているそうです。

ある時、食べ物がなくなったので托鉢に出ようとすると、雨が降ってきました。しかし、笠など持っていません。そこで周囲を見ると、窟の前に根府川石のそげ石がありました。根府川石というのは、小田原あたりの特産の石で、板状に割れる性質を持った安山岩の一種だそうですが、その板状になった百貫(約375kg)ほどの石を笠の代わりに頭に載せ、それで平然と托鉢をしたそうです。

それまで村人たちは風外のことを乞食坊主と馬鹿にしていたのですが、それを見てすっかり驚き、尊敬するようになったといいます。

また、小田原城主であった稲葉侯(春日局の孫・稲葉正則であろう)が、小田原に稲葉家の菩提寺を建立した際、開山に風外を招こうとしました。しかし、当然ながら風外は頑として拒絶します。そこで、やむなく黄檗宗の名僧・鉄牛道機を招いて開山としました。これが長興山紹太寺です。

因みに、風外ゆかりの「翁媼尊」が祀られている墨田区の弘福寺も稲葉正則の開基、鉄牛道機の開山です。

続きを読む

theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-03-22

風外慧薫(1)

東京都墨田区の牛頭山弘福寺の境内に、「翁媼尊(じじばばそん)という二体の石像が祀られています。昔から「咳の爺婆尊」と呼ばれ、口の中に病がある者は翁に、咳のある者は媼に祈願すると霊験あらたかで、おかげを受けた人は炒り豆と番茶を供えて供養する習慣があったそうです。


弘福寺の翁媼尊

素朴で暖かみのある、不思議な印象の石像ですが、これを刻んだのが江戸時代初期の奇僧・風外慧薫(ふうがい えくん)です。

続きを読む

theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-03-20

日蓮大聖人に背く日本は滅びるのか?

一ヶ月ほど前のこと、顕正会の人が布教(折伏?)に来ました。もちろん、顕正会ですなどと名乗るわけではありませんが、日蓮聖人の本を配って云々というので、ピンと来たわけです。

それで、こちらから「顕正会の人ですか」というと、「知っているんですか」という反応。さらに、配っているのは『日蓮大聖人に背く日本は必ず滅ぶ』かと聞くと、そうだというので、持っているから必要ないと断りました(去年、知人から「もらったけどいらないから、資料として使って」と、必要ないと断るのに無理矢理渡されたのです)。

今、新宗教の多くが信者の数を減らし、布教が進まない中で、発表される数字を見る限り、顕正会は大きく信者を増やしているようです。まあ、辞めた人の数がカウントされずに、増えた人の数だけが上積みされているという可能性はありますが、それでも、それだけ新しい人が入っているということではあるでしょう。

で、人が増えている理由ですが、ネット上の情報を見ると、ここも御利益は強調しているようです。信仰において現世利益を軽視したり低俗視したりする向きもありますが、私は御利益は大切で、御利益のない信仰など、本当の信仰がわかっていない証拠だと断言しますが、それだけでは人を集めることはできても、組織化することはできません。

信者を組織化するには思想が重要です。そして顕正会の場合は『日蓮大聖人に背く日本は必ず滅ぶ』だと思われるわけです。因みに、この本の著者は顕正会の浅井昭衛会長です。

続きを読む

theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-03-19

社会からドロップアウトした名僧たち

これまで、釈尊の時代の出家というのは社会からドロップアウトしてホームレスになることだった、ということを書いてきました。それが、釈尊の時代、雨期のみ精舎で修行をするという形態をとっていたのが、年間を通して精舎=寺院に住むようになり、次第に出家=寺に入ること、という意味になったわけです。

仏教が広がっていく過程においては、気候の条件も違い、特に日本を含む極東やチベットなどでは、屋内に住んではいけないというのは非常に難しいことですから、釈尊と同じことをするというのは不可能です。

また、日本の場合、仏教の公伝当初より、僧になるというのは朝廷の命令によっていました(鎮護国家のために導入されたので)。特に律令時代になると、戸籍と租税の問題があるので、毎年、国家に認められた一定の人数しか正式の僧侶(官僧)になることはできませんでした。

律令制度は、国民全員の戸籍を作った上で均等に口分田を与え、租税を徴収するというシステムでしたが、僧になると口分田を受けず、租税を納める必要もありません。となると、自由に出家を許すと、国家のシステムに支障を来すことになります。

そのため、正式に僧侶になるには国家の認証を受け、得度に当たって度牒(どちょう)という身分証明書が発行されることになっていました。そして、一般人が民部省の管轄にあったのに対し、治部省の監督下に置かれていました。

ですから、日本の仏教というのは始まったときから社会の一部に組み込まれており、最初から出家=寺に入ることだったわけです。

続きを読む

theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-03-18

真俗二諦(8)

これまで、釈尊当時の出家とは社会からドロップアウトしてホームレスになることだということを書いてきました。その後、仏教が教団として発展する過程で、いつの間にか出家=家を出て寺に入ることのようになっていますが(上座部仏教も含めて)、釈尊の時代とは違っていることを確認しておくことは大切だと思います。

とはいえ、私は釈尊のあり方に忠実でなければ間違いだ、などというつもりはありません。そもそも宗教のあり方は時代に応じ、土地に応じて変わる必要があるわけで、釈尊当時の出家のあり方も、あの時代のインドだから可能だったという側面もあります。気象条件が違っただけで、同じ生活スタイルを維持することは不可能です。

釈尊もそのことはよく心得ていらっしゃったので、戒律については必要に応じて変更可能と遺言されています。しかし、それを聞いた阿難(あなん)尊者が、どの部分について変更してよいかを確認しなかったということもあり、教団の責任者となった摩訶迦葉(まかかしょう)尊者が戒律をそのまま継承することを決めた経緯があります。

さらに言えば、それぞれの歴史を背負った各民族に対して、異なる伝統の宗教をそのまま持ち込むことなど有害無益です。伝統やその時代の風潮に埋没して肝心な核心部分を忘失することは論外ですが、どこかの長老みたいにそれを無視して純正なる教えとかいうものを押しつけてくるのも迷惑です。だいたい、その純正なる教えというのも、それが保存されてきた社会の歴史や伝統を背負っているわけですから。

それはともかく、部派仏教の時代(部派仏教の代表である説一切有部は紀元前2世紀に成立したと考えられている)には、出家者というのは寺院に定住するようになっていました。

まあ、だからこそ高度な仏教哲学が発達したのであり、皆が皆ホームレスみたいなことを続けていたとしたら、純粋な実践はある程度保たれたかもしれませんが、仏教が世界宗教になることはなかったでしょうし、小教団としてでも現代まで存続できたかは非常に疑問です。

そして、実は釈尊ご自身にその方向性の萌芽があります。真俗二諦の問題に関して、釈尊は、ご自身の出家修行者の集いの中においても、完全に世俗を拒絶しているわけではない、俗諦を排除していないという所以です。

続きを読む

theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-03-16

真俗二諦(7)

釈尊の時代の出家は、ホームレスになることでした。現代でも、インドにはサドゥーと呼ばれる出家修行者がいます。出家修行者は家を持たず、財産を蓄えず、社会の倫理や法律に束縛されません。

こういう社会の枠外にいる出家修行者の存在はインド世界の特徴ではないかと思います。

日本などにもそういう宗教者はいましたが、それは仏教の影響、すなわちインドの伝統を受け入れたことによります。

中国の仙人は、俗世を離れているという意味では同じようですが、仙人が完全に俗社会を離れているか、逆に見た目は完全に俗社会に紛れ込んでいるのに対し、インドの出家修行者は乞食(こつじき)という形で俗社会と関わっています。

ここが出家の大きなポイントであり、事実上のホームレスだという所以です。文明を否定し、原始に帰ろうなどというのではなく、文明社会の中でなければ存在し得ない形態ということです。

誤解を恐れずに言えば、文明社会に寄生していると言ってもあながち間違いとは言い切れません。なぜなら、釈尊は生産活動を一切禁じ、行為も含めて食物を得るために対価を払うことを許していないからです。

続きを読む

theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-03-15

「幸福の科学」考(2)

人身受け難し 今すでに受く
仏法聞き難し ニセモノを聞く


幸福の科学の考察について、不定期的にとはいったものの、あまりに間隔が開いてはどうかと思います。そこで、今日は幸福の科学について考える二回目ということにしました。

第一回目では、「ブッダが再び生まれてくることはない」という、仏教徒にとっては常識中の常識から、仏教徒幸福の科学の根本的な違いについて指摘しました。

これは、「地球系霊団」などという神智学協会によって生み出され、GLAに採用された教義を、そのまま無批判に利用した(最初の段階で、仏教ではなくGLAの教えに立脚した)ことによるもので、別に大川隆法氏の画期的誤解というわけではありません。

それにしても、大川氏の不適切な仏教理解、あるいは仏教用語の使い方は随所に見られます(まあ、根本的に違っているのだからしかたがありませんが)。

例えば、大川氏は信者に向かって比丘(びく)、比丘尼(びくに)と呼びかけます。

比丘とはサンスクリット語で乞食者を意味するビックの音写で、比丘尼はその女性形ビックニーの音写です。つまり出家修行者に対して使う言葉であり、幸福の科学の信者のような在家の人たちには優婆塞(うばそく)、優婆夷(うばい)というべきです。

まあ、大川氏自身が在家ですから、信者も在家の比丘・比丘尼でもいいのかもしれませんが…

とはいえ、そういう本来の仏教との違いを指摘しても、幸福の科学の信者さんたちは、本来の仏教といわれているものは不完全な内容で、大川氏の説く教えこそ完全な内容だと信じているでしょうから、どう批判されたところで平気でしょう。

そういう意味では、いくら論じたところで水掛け論になりますから、結局のところ、理想の世界を実現できれば本物の救世主だし、できなければ本物でも偽物になるということでいいのですが、大川氏に限っては、ご自分が仏陀の再誕であることを客観的に証明する非常にいい方法があります。

それができれば、世界の仏教者や仏教学者から感謝されるであろう内容です。

続きを読む

theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-03-13

真俗二諦(6)

原始仏教の経典の一つ『サンユッタ・ニカーヤ』に、次のような神と釈尊の対話があります。

(神曰く)「子ある者は子について喜び、また牛のある者は牛について喜ぶ。執着するよりどころによって、人間に喜びが起こる。執着するよりどころのない人は、実に喜ぶことがない」
(釈尊曰く)「子ある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。執着するよりどころによって人間に憂いが起こる。実に、執着するよりどころのない人は、憂うることがない」
(『ブッダ 神々との対話』中村元訳)

また、こういう言葉もあります。

「鉄や木材や麻紐でつくられた枷(かせ)を、思慮ある人々は堅固な縛(いましめ)とは呼ばない。
〔愚鈍な人が、〕宝石や耳輪・腕輪をやたらに欲しがること、妻や子にひかれること、--これが堅固な縛であると、思慮ある人は言う。
それは低く垂れ、緩く見えるけれども、脱れ難い。
かれらは、これをさえも断ち切って、顧みることなく、欲楽をすてて、遍歴修行する」
(同上)

これを見てもわかるとおり、釈尊は家族や財産、あるいは地位・名誉といったものは自分に憂いや苦しみを与えるものだと考えていました。先日も書いたように、釈尊は「楽」を得ようとしないことによって「苦」を滅しようとしたわけです。

考えようによっては非常にマイナス思考のような気もしますが、それは釈尊の目的が輪廻からの解脱にあったからです。解脱という究極目標がなければ、何もわざわざ苦を滅するために楽を望まないなどという消極的態度をとる必要はありません。

もし人生が一回だけのものであり、死ねば終わりだというのであれば、まあ、どんな悪いことをしても人生が楽しければいいじゃないかとまでは言いませんが、普通の人なら、多少苦しいことがあっても、そのために楽しみや喜びを犠牲にしようとは考えないのではないでしょうか。むしろ、憂いや苦しみがあるからこそ、喜びや楽しみが引き立つという考え方だってあります。

続きを読む

theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-03-12

真俗二諦(5)

真諦(しんたい)すなわち仏教における究極の真理と俗諦(ぞくたい)すなわち世俗の真理について、前回までは、どちらかというと俗諦レベルの内容しかない宗教の問題点を取り上げてきました。

しかし、何度か書いてきたように、真諦と俗諦は両方必要であって、真諦だけではこの世で生きていけません。釈尊はそのあたりをハッキリわきまえていましたから、真諦レベルの教えを世俗の信者には押しつけていませんが、そこを間違えて、真諦レベルの話をそのまま世俗に適用しようとする人たちもいます。

真諦レベルの教えをそのまま俗世間で適用すれば、社会的立場や財産とは無縁の人生を送らなければならなくなります。

もちろん、そういう人生を送っている本物もいらっしゃるでしょうが、真諦の世界に徹した生き方と、この世で人並みもしくはそれ以上の生活を維持することが水と油のように相容れない以上、俗諦を蔑視しながら真諦の価値観を説くような宗教者は(某仏教思想家の如く)実際の生き方はまったく別である可能性が高いということを見極めておく必要があります。

まあ、他人がどういう価値観で生きていようと、自分がしっかり生きていればいいだけの話ではあるのですが、例えばオウム真理教のように実際に人生を狂わせるような例もありますから、気をつけなければなりません。

そこで今回は、真諦の世界とこの世の関わりについて考えてみたいと思います。それは、出家とは何かということが問題になります。

続きを読む

theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-03-11

独礼と大石寺

江戸時代の寺格制度の中で、「独礼(どくれい)格というのがあります。独礼寺とか、独礼席を許されるという使い方をするようです。

私が、自分の御朱印サイトで御府内八十八ヶ所を取り上げたとき、江戸時代の札所を知るために、谷中の49番多宝院が開版したガイドブック『御府内八十八ヶ所大意』を調べました。そこで「独礼」という格式があることを知ったのです。

「独礼」という名前からして、たぶん、将軍への拝謁に関わる格式だろうとは想像できましたが、念のためにネットで調べてみました。そして、独礼の内容はほぼわかったのですが、その過程で、日蓮正宗の総本山・大石寺の独礼席の許可に関わる、日蓮正宗の人たちの興味深い誤解と妄想が存在していることを知りました。

日蓮正宗といえば法華系の伝統宗派ですが、破門した元信徒である創価学会や顕正会と、三つ巴の見苦しい争いを続けている恥ずかしい教団です。本人たちは大まじめにやっているのでしょうが、第三者から見ると、身内で恥のさらし合いをしているようにしか見えません。

言ってみれば、父親と、家出した金持ちの息子と、勘当された元気のいい息子が、他人様の前で身内の恥をばらし合ったり、ストーカーみたいなことをして警察に捕まったりしているようなものですが、ご近所の皆さんは、金持ちの息子ににらまれると厄介なので、関わり合いにならないよう見て見ぬふりをしている状態といえるでしょう。

まあ、一番迷惑を被っているのは日蓮聖人と日興上人でしょうね。「宗論はどちらが負けても釈迦の恥」といいますが、この三派の争いは、していることが祖師の恥ですから…

それはさておき、独礼の問題です。

続きを読む

theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-03-09

真俗二諦(4)

引き続いて、俗諦(世俗の真理)レベルに留まる宗教について考えてみましょう。

真諦(仏教における究極の真理)というのは、諸行無常(あらゆるものは常に移ろいゆく)・諸法無我(あらゆるものは因縁によって生じたもので、実体性がない)で、この世のあらゆる物事は絶対的なものではなく、思い通りにはならないということです。

ですから、真諦のレベルに到達した宗教あるいは宗教者は、除災招福(不幸を避け、幸福を願う)のために祈祷したり、実践を指導したりするときでも、それを前提にしたものとなります。

ところが、俗諦レベルに留まる内容しかない宗教あるいは宗教者は、この世にも何か絶対的なものがあると考えています。そもそも、何か絶対的なものがあると信じ、それが宗教の世界にあると思っているからこそ、それを追い求めて宗教をやっているわけです。そして、その絶対的なものを見つけたと思っているから、その宗教をやっているのです。

この世の物事には絶対的なものはないということだけが絶対だという真諦レベルの宗教と、この世には何か絶対的なものがあり、自分たちの宗教こそがそれだという俗諦レベルの宗教には根本的な違いがあるということです。

無論、絶対的なものはないということが、人間の力を超えた何者かの力が働くことを否定するわけではないのは言うまでもありませんし、それがなければ宗教とはいえないわけですが、俗諦レベルの宗教というのは、それを人間の力で100%コントロールできると考えているわけです(真諦では必ずしも思い通りにならない、コントロールはできないと考える)。

その結果、俗諦レベルの宗教というのは、自分たちの宗教に入れば必ず救われるとか、教祖は完全無欠の存在であるとか、自分たちの指導に従えば必ず問題が解決するとか、この世において一切の問題がない理想的な状態が実現できるといったことを信者に信じさせ、あるいは自分たちでも信じています。

そこに致命的な問題があるわけです。絶対的ならざるものを絶対視する以上、そこに望ましくない現実を突きつけられる事態が起きることは避けられませんので。

続きを読む

theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-03-08

真俗二諦(3)

仏教では真諦(しんたい)俗諦(ぞくたい)の二種類の真理を説きます。真諦とは勝義諦(しょうぎたい)ともいい、仏教の究極の真理を指します。また、俗諦とは世俗諦(せぞくたい)ともいい、世間の真理を指します。

そして、宗教団体、とくに新宗教においては俗諦レベルの内容しか備えていないところが多く、そういう教えではいずれ必ず行き詰まるというようなことを「真俗二諦(1)」で書きました。

さて、先日、世間からカルトと批判される某教団の古参信者の人と話す機会がありました。この方自身はしっかりした考えの持ち主で、教団のあり方についても極めて客観的に見ており、世間の批判は当然だという意見を持っていました。と同時に、それは教えの問題ではなく、信者が教えを誤解していることによるもので、正しく教えを理解し、実践すれば、世間から批判されるようなことにはならないという考えでした。

それで、この方の教えの解釈についても一通り聞いたのですが、厳密な教義通りの解釈かどうかは私の論評するところではないので棚に上げると、常識的に考えてもいちいちもっともという内容でした。

ただ、私としてその考えに納得はできても、賛同はできませんでした。というのは、その方の考え方というのが俗諦の世界、しかも倫理道徳の段階に留まっていると思われたからです。

続きを読む

theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-03-06

変性女子はニセモノか?(5)

前回までの考察で、問題の部分が、出口王仁三郎聖師が自分のことを偽物だと告白したとか、本物の救世主が美濃か尾張に現れることを予言したというようなものではないことは納得してもらえると思います。

ぜひ、そのようことを根拠に、自分こそが本物の救世主だ、などという人には惑わされないようにお願いしたいものです。

そして、最後に思うところをいくつか書いておきたいと思います。

まず、誤解の原因について。

もし、普通の文章であれば、誤解のないような書き方をしたのでしょうが、七五調の歌であるため、当然読み手にわかると思われることについては、細々した説明が省かれています。それは「信天翁(三)」の他の部分を見れば納得できると思いますが、特に問題の部分は主語述語等がまったく省かれていますから、誤解を生じさせることになったのでしょう。

ただ、『霊界物語』口述当時においては、そこから誤解が生じるとは考えられないほど、当たり前の状況であったということも間違いないと思います。

丁寧に読めばわかるはずのことですが、人間の目と頭というのは面白いもので、少しでも自分に都合よく解釈できる部分があると、細かなところは無視して、自分の思惑通りに解釈するものです。王仁三郎も、まさかそのような読み方をされるとは思っていなかったでしょう。

「一人の目明きが気を付ける なぞと慢神(まんしん)してござる  王仁はこの言(こと)聴くにつけ  お気の毒にてたまらない」という校正後の言葉は、偽らざる王仁三郎の本音であると同時に、思いもよらない取り違えをする人たちに対する呆れた気持ちも込められているだろうと思います。

続きを読む

theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-03-05

変性女子はニセモノか?(4)

ようやく問題の部分です。現行版(昭和10年に王仁三郎聖師が校正したもの)は誤解のしようがない形に改められていますので、初版のものを再掲します。

今 大本にあらはれた
変性女子(へんじょうにょし)は似而非(にせ)ものだ
誠の女子(にょし)が現はれて
やがて尻尾が見えるだろ
女子の身魂(みたま)を立直し
根本改造せなくては
誠の道はいつまでも
開く由(よし)なしさればとて
それに優りし候補者を
物色しても見当たらぬ
時節を待つて居たならば
いづれ現はれ来(きた)るだろ
みのか尾張の国の中
変性女子が分りたら
モウ大本も駄目だらう
前途を見こして尻からげ
一足お先に参りませう
皆さまあとから緩(ゆっ)くりと
目がさめたなら出て来なよ
盲目(めくら)千人のその中
一人の目明(めあ)きが気を付ける
アア惟神(かんながら)々々(かんながら)
かなはんからたまらない
一足お先へさようなら。


それでは順番に見ていきましょう。

続きを読む

theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-03-04

変性女子はニセモノか?(3)

『霊界物語』第13巻「信天翁(あほうどり)(三)」の最後の部分を根拠として、王仁三郎聖師は偽物の救世主だとする説について、それは全体の文脈を無視して一部を切り取ったことによる誤解であり、また、大本の歴史と当時の状況をきちんと踏まえれば、問題の箇所を見ただけでも王仁三郎が自ら偽物と告白した内容でもないし、本物の救世主を予言した内容でもないことがわかるということを考えてきました。

前回は問題の『霊界物語』第13巻が刊行された当時の反王仁三郎勢力について整理しましたので、その上で、今回は実際に「信天翁(三)」を見ていきたいと思います。

長いので要約しようかと思いましたが、現物を見たほうが雰囲気や内容がよくわかりますし、七五調の歌なので、調子を合わせるために言葉が省略されていることもあって要約しづらいので、原文そのままを掲載し、説明を加えたいと思います(時間がないので要約の手間を稼ぎ、ついでに分量を稼ぐつもりではないかとの説もあり)

原文は、問題の箇所を除いて王仁三郎ドット・ジェイピー霊界物語ネットを活用させていただきます。

ただし、ルビについては王仁三郎による厳密な指示があり、本来はその指示に従うべきなのですが(霊界物語オンラインは、その指示に従っています)、ここでは読みやすさを優先し、現代仮名遣いに改めます。本来の形をご覧になりたい場合は、霊界物語オンラインを参照してください。

信天翁(三)

続きを読む

theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-03-02

変性女子はニセモノか?(2)

出口王仁三郎聖師は『霊界物語』13巻「信天翁(三)」において自らが偽物であると告白し、美濃か尾張に本物が現れると予言しているという説があります。

昭和10年の王仁三郎聖師による校正で問題の部分は書き換えられ、誤解を生じない形には改められていますが、世の中には霊界物語そのものを読まず、武田崇元氏の著書を孫引きする形で引用したり、書き換え自体が予言の正しさを証明しているみたいな解釈をしたりして、自分(もしくは自分たちの教祖)こそ予言された救世主だなどと主張している人がいます。

これは、都合のよい一部分だけを切り取り、全体の文脈を無視していることが大きな原因ですが、大本の歴史や当時の状況を考えれば、問題の部分を見ただけでも、王仁三郎が予言として書いたわけではないことがわかります。

昨日に続き、そのことについて考えたいのですが、まず、前提として、当時の大本や霊界物語の口述を取り巻く環境を見ておきたいと思います。。

大正10年、第一次大本事件のさなか、王仁三郎は『霊界物語』の口述を始めるとともに、それまで唯一の聖典とされてきた『大本神諭』(開祖のお筆先=自動書記を王仁三郎が漢字仮名交じりの文章に改めたもの)と、多くの信者を惹きつけた鎮魂帰神(神がかりを起こす方法)を封印し、大本を『霊界物語』を中心とする教えに切り替えようとしました。

これは、それまでの大本のあり方を否定し、完全に王仁三郎聖師を中心にする方向性でしたから、幹部や信者から大きな反発を招いたことは言うまでもありません。

続きを読む

theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-03-01

変性女子はニセモノか?(1)

変性女子とは出口王仁三郎聖師のことで、体は男性だが御魂は女性されることによります。出口なお開祖は、体は女性ですが御魂は男性ということで、変性男子とされます。

さて、ネット上でも散見しますが、出口王仁三郎は「今大本に現れし変性女子はニセモノだ」と書き残しており、自らニセモノであることであることを告白しているという説があります。

まあ、文脈を無視して一部分だけを取り出すと、まったく別の意味を持つという典型的な例なのですが、これを根拠に自分こそ(あるいは自分たちの教祖こそ)本当の救世主だなどと称する困った人も少なからずいました。オウム真理教なんかもそうだったように聞きますし、今でもそう主張している人たちがあちこちにいるようで、先日もこのことについて聞かれました。

そこで、そういう困った人たちに惑わされないようにするために、今回はこの問題について考えてみたいと思います。

問題の文章は、霊界物語の刊行当時から大本の関係者には知られていたようで、いわゆる裏神業グループ(王仁三郎から密命を受け、本当の大本の経綸は自分たちが継承していると主張する人たち)や大本系の教団では、自分たちの正統性を主張する根拠として使われていたようです。

しかし、これが広く大本関係以外にも知られるようになったのは、霊界物語が読まれたからではなく、武田崇元氏の『出口王仁三郎の霊界からの警告』(カッパ・ホームス)によるのではないかと思います(後年、武田氏は出口和明氏の娘さん、つまり王仁三郎の曾孫と結婚し、王仁三郎を永遠の苑主と仰ぐ愛善苑に関わっています。自分の書いたことが王仁三郎否定に利用されているというのは不本意なことではないかと…)。

武田氏は、それを王仁三郎が政治家・床次竹二郎の弟・真広に渡した遺書としているのですが、この本以外にこのことは書かれていませんから、確認できません。ただ、同じ文章が『霊界物語』13巻「信天翁(三)」の最後の部分にあり、公刊されている内容ですから、裏神業グループなどが根拠にしたのはこちらでしょう。ただし、現行版は後に王仁三郎が校正したもので、問題の部分が書き換えられています。

この書き換えの解釈が問題となるのですが、それは後に回して、まず問題の部分を見てみたいと思います。

王仁三郎ドット・ジェイピー「王仁三郎はニセモノ?」に、問題の部分が初版本の画像付きで掲載されていますので、そちらを参考にします。

続きを読む

theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

プロフィール

Author:こまいぬ
古今宗教研究所のブログです。

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ランキングに参加しました
人気ブログランキングへ
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。