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2010-04-30

大岡越前守と池上本門寺の門

先日、東京都大田区池上の長栄山本門寺、通称池上本門寺に参拝しました。平成17年以来、二度目の参拝だったのですが、前回はちょうど大堂の改修中だったため、写真を撮り直したいと思っていたのです。



天気も上々、言うことなしでした。ただ、さすがに参拝者が多いので、どうしても写真に人が入るのはしかたのないところ。

因みに、前回の参拝時はこうでした。



池上本門寺は日蓮聖人の入滅の地として知られる日蓮宗の大本山で(厳密には、麓にある大坊本行寺の「ご臨終の間」が、日蓮聖人が亡くなった場所とされる)、日蓮宗の宗務院もこちらに置かれています。

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2010-04-29

昭和の日に思うこと

昭和の日、おめでとうございます。我々が生まれ育った頃は天皇誕生日、平成になって「みどりの日」となり、平成19年より「昭和の日」となりました。

祝日法では次のように定義されています。

昭和の日 四月二十九日 激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。

激動の昭和とはいえ、私は高度経済成長を遂げた最後の三分の一しか知りません。物心がついた頃、うちのテレビはまだ白黒でしたし(祖父母のところにはカラーテレビがありましたが)、小学校に上がる頃まで自宅に電話がありませんでした。隣に住んでいた伯父さんの家には電話がありましたから、我が家に用事があるときもそちらに電話してもらい、わざわざうちまで呼びに来てくれていました。

考えてみると、のどかな時代でした。

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2010-04-27

「幸福の科学」考(4)

日本仏教と輪廻転生(前編)
日本仏教と輪廻転生(中編)
日本仏教と輪廻転生(後編)

幸福の科学の大川隆法総裁が書いた『仏陀再誕』に、次のような文章があります。

「もろもろの比丘、比丘尼たちよ。
 私は、おまえたちに、これだけはどうしても言っておきたいのだ。
 お前たちの最低限の仕事として、
 人々に永遠の生命を教え、
 また人間が
 この世とあの世を転生輪廻している存在であるといういうことを
 教える必要があるということなのだ。
 実は、この思想こそが、
 人間として生まれ、生き、成長してゆく過程において、
 発見するところの最大の真理であるのだ。
 ほかにいかなる地上的真理を学ぼうとも
 それらの真理の値打ちは、この真理にはかなわない。
 この真理から見れば、子供だましにしかすぎない。
 人間が永遠の生命を生き、転生輪廻をしているという事実、
 その事実を知った時に、人々の価値観は変わらざるをえない」

 (大川隆法『仏陀再誕』幸福の科学出版)

3回にわたって、輪廻と因果応報を仏教の中心的思想と考えるのは、中国に仏教が受容される際、儒教の矛盾を解消する思想として輪廻と因果応報に感銘を受けた士大夫たちが、それらをもって仏教の根本義だと考えたためということを見てきました。

もともと輪廻と因果応報は仏教の前提、言い換えれば「仏教以前の内容」であって、文学を学ぶのであれば読み書きができるのが前提、数学を学ぶのであれば四則演算は当然わかっていなければならないというようなものです。

それはそのはずで、本来、仏教はどうすれば輪廻の生存から解脱できるのかという教えですから、輪廻を前提としなければ輪廻からの解脱もしようがありません。

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2010-04-26

日本仏教と輪廻転生(後編)

日本仏教と輪廻転生(中編)

前回は、中国の士大夫層(知識階級)が仏教に出会った時、輪廻と因果応報という思想を知った時、儒教における道徳的実践と幸不幸の不一致という問題を一挙に解決するものとして非常に感銘を受け、それこそ仏教の根本義だと考えたということを見てきました。

彼らは仏教そのものに関心を持ったのではなく、儒教を補完するものとして輪廻と因果応報を受け入れたので、輪廻からの解脱ということには深く関心を持ちませんでした。

そして、輪廻を苦の生存と考えるインド人と違い、現世肯定的な中国人は、輪廻を死んでもまたこの世に生まれてくることができると肯定的に受け止めたわけです。

このように、日本に伝わった仏教は、すでに中国に受容された時点で輪廻と因果応報を中心とする宗教に変わっていましたから、日本人が仏教を輪廻と因果応報を説く宗教だと受け取ったのは仕方がないこと、あるいは自然なことといえるでしょう。

仏教が中国に受容された時に儒教との関わりで変質した部分というと、もっぱら先祖崇拝の問題ばかりが注目されてきたように思います。しかし、士大夫たちが輪廻と因果応報こそ仏教の根本と考え、それがそのまま日本に伝わったのだというところに着目すれば、釈尊は輪廻を肯定したか、否定したかなどという不毛な議論をする必要はなくなるだろうと思います。

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2010-04-24

日本仏教と輪廻転生(中編)

日本仏教と輪廻転生(前編)

前回は、日本の仏教において輪廻と因果応報が中心とされていることについて、森三樹三郎氏の『老荘と仏教』によると、中国の士大夫層(知識階級)が仏教を受け入れた際、輪廻と因果応報、彼らの言葉を使うと「三世報応」の教義に大変な感銘を受け、それを仏教の根本義と考えたということまで書きました。

今回は、それはなぜかというところから考えたいのですが、その前に、仏教を含むインドの輪廻観について確認しておきたいと思います。

まず、インド宗教の輪廻では、今生で人間であったとしても、来世で人間に生まれ変わるとは限りません。天界の神々や地獄の亡者、さらには牛や馬などをはじめとする人間以外の動物に生まれる可能性もあります。牛や馬、あるいはミジンコに産まれるかもしれません。

人間以外の動物に生まれた場合、よりよい生存を目指すために善行を積むなどということはできません。再び人間に生まれるのは極めて困難になりますから、インドの人たちや上座部仏教の在家信者たちにとって、来世において人間以上に生まれることができるようにというのは切実な問題になるわけです。

仏教を含むインドの宗教では、このような輪廻の生存を苦と見なし、そこから解脱することを切望するわけです。そして釈尊は、輪廻の原因とそれを消滅させる方法を発見し、自らそれを達成したと主張したのでした。

ですから、輪廻と因果応報は仏教の前提であり、核心などではありません。そこからどう解脱するかこそが眼目であるわけです。

では、なぜ中国の士大夫たちは、輪廻と因果応報を仏教の中核と考えたのでしょうか。それは、輪廻こそが彼らの抱えていた深刻な問題を解決する回答と思われたからです。

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2010-04-23

日本仏教と輪廻転生(前編)

「僧侶となってみると、世間の大方の人々は、私がこだわる問題を仏教のテーマとは考えていないことがわかった。そうではなくて、僧侶がただの葬祭執行者でないとすれば、『あの世』や『霊魂』や『輪廻転生』の専門家、よくて『親の因果が子に報い』式『因果応報』説の広報官のように見ていることがわかった」南直哉「『正法眼蔵』を読む」講談社選書

仏教とは、もともと輪廻からの解脱を目的とする宗教です(南先生がおっしゃる「私がこだわる問題」は、また別の内容だろうとは思いますが)。ですから、輪廻を前提とするものの、それ自体については主たる関心の対象とはなりません。解脱できさえすれば、輪廻がいかなるものであろうと関係ないし、来世を考える必要もないからです。来世を考える必要がなければ、因果応報も深刻な問題にはなりません。

しかし、解脱できない場合は、事前の目標として、よりよい生存の状態が望ましいということになります(地獄道や畜生道に生まれたのでは、解脱など考えることもできないでしょうから)。その意味で、輪廻や因果応報ということが問題になりますが、本来、それが主たる関心事というわけではありません。

ところが日本では、南先生がおっしゃるように、仏教とは霊界や霊魂、あるいは輪廻転生や因果応報を説く宗教と見なされています。特に輪廻転生や因果応報こそ仏教の核心と思っている人が少なくないのではないでしょうか。

その反動だと思いますが、日本の一部の仏教者や仏教学者には、輪廻はもともと仏教とは相容れないもので、釈尊は輪廻を否定していたなどという人もいます。

しかし両者とも、釈尊の出家の動機であり、何度も自分はそれを成し遂げたと主張している解脱の問題を軽視している点で、同次元の過ちを犯しています。

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2010-04-22

統一教会談議(後編)

統一教会談議(中編)

前回までの内容で、A氏の、統一教会の問題は弟子たちが文氏の教えを実践せず、誤解・曲解によって教会内にサタン圏を作ってしまったことにあるという主張と、それに対するB氏の、教会特に末端信者の惨状に対し、文氏をはじめとして誰も責任をとろうとしていない実態を見れば、そもそも最初からインチキで、ちょうど詐欺師が責任をとるつもりがないからこそ平気でもっともらしいことを言うのと同じだと考えるのがもっとも合理的だという主張を紹介しました。

そこで、私としての見解ですが、基本的にB氏と同じですが、少々スタンスが違います。

まず、統一教会の悲惨な状況については、弟子たち(幹部)が文氏の教えを正しく理解せず、自分に都合よく誤解・曲解しているためだということについては、私も同意します。

例えば、統一教会で信者を服従させるための理論として批判されるアベル・カインの関係について、『原理講論』なり文氏の教えなりを見ると、実際の教会で押しつけられていること、あるいは実践されている内容とはまるで反対のことが説かれています。

統一教会の本来の教えで説かれるアベル・カインの関係は、カイン(部下)がアベル(上司)に絶対服従するというものではなく、カインがアベルに絶対服従するようになるまで、アベルがカインに尽くし愛するというものです。アベルがカインに対して徹底的に愛し尽くし、カインがそういうアベルの姿勢に感動した結果として、カインがアベルに絶対的に服従するようになる、というのが本来の趣旨です。

ところが、そのアベルがカインに愛し尽くすという肝心の過程が省かれ、カインはアベルに絶対的に服従しなければならないとしたのが根本的な間違いです。かくして、ある人曰く「ヤクザの論理」になってしまったのが統一教会の現状だというわけです。

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2010-04-20

統一教会談議(中編)

統一教会談議(前編)

前回は、A氏が、統一教会の問題は、文鮮明氏の弟子たち(つまり統一教会の幹部たち)が、文鮮明氏の教えを理解せず、自分に都合よく誤解・曲解することによって、教会をサタン圏にしてしまったことにあるという主張をしたところまで書きました。

つまり、A氏の主張では、文氏及びその教えは正しいが、幹部がそれを理解していないために、組織はまったく間違ったものになった。教会員が教会に失望するのはしかたがないが、それが文氏や教えの間違いにつながるとはいえないという立場です。

それに対して、B氏が猛然と「責任」という観点から反論し、私もやや違う立場から、同じく「責任」の問題を論じました。

まず、B氏は自分がもともと統一教会や文鮮明氏に懐疑的だったわけではなく、人並み以上に理想に燃え、『原理講論』も42回読み、御言も読んで、言われることを実践し、納得ができないことは教えを請うために人を求めていったという歩みがあったことを最初に断りました(確かにそれは私も知っており、初めて出会った頃は信じたい心と信じられない心が葛藤している最中でしたが、それでもかなり熱心で真摯な信仰を持っていました…それだけに葛藤も大きかったのでしょうが。その後、統一教会はインチキであるというスタンスが明確になっていきました)。

わからないことがわかるようになると、そこからさらに大きな疑問が生じてきます。それが解決すると、またさらに大きな疑問が起きます。しかし、教会内部で質問すると、「それは考えてはいけない」という回答が返ってくるというわけです。教会の幹部たちは、自分も信者も思考停止状態に置くことによって、組織を維持しようとしていたからです。

※私は、そればかりではなく、単に幹部たちにもわからず、答えようがなかったという要素も大きいと思います。そもそも、統一教会の教えは俗諦レベルにとどまるものですから、その範疇を超える問題には答えようがありません。ただし、俗諦レベルにとどまるからこそ、一見わかりやすく、もっともなもののように見えるわけです。

しかし、B氏はそれでも追求を続け、教えの整合性を維持しようとしているうちに、ふと、もしすべてがインチキであったと仮定したら…ということを思いついたのだそうです。そして、恐る恐る「すべてがインチキである」という前提で考えると、見事にすべてのつじつまが合ったというのです。

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2010-04-19

統一教会談義(前編)

昨日、私を含めた元統一教会員及び休眠中の教会員3人で、統一教会のについて議論をする場がありました。本来の目的は別件で、仕事の話をするために私が二人を紹介したのですが、当初から統一教会の話で盛り上がり、結局、気づいたときには約5時間も熱い議論を闘わせていたのでした。

その議論の中で、私自身も以前から漠然と考えていたことが明確になり、統一教会もしくは文鮮明氏についてどう向き合うかという点について、誰も拒絶できない、しかし、特に統一教会なり文鮮明氏なりを擁護する立場の人が意識的・無意識的に目をそらしている問題が整理されましたので、 今回はそれについて書いてみたいと思います。

昨日の参加者は、年齢順に次の通り。

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2010-04-17

「幸福の科学」考(3)後編

「幸福の科学」考(3)中編

昨日に引き続き、「宗教立国」の問題を考えてみたいと思います。

まず、確認のために問題の項目を引用。

5.最高の幸福と繁栄を実現する「宗教立国」を目指します。

人間が尊いのは神仏の子であるからであり、基本的人権の根本には信仰があります。正しい宗教こそ国民を幸福にする基であり、宗教の尊厳を取り戻さなければなりません。
本来、宗教と国家は融合的であり、切り離すことはできません。
よい宗教とよい政治が連動したとき、国民にとって最高の幸福と繁栄がもたらされます。
幸福実現党は、宗教が尊敬される理想の国を目指します。


それでは「本来、宗教と国家は融合的であり、切り離すことはできません」という一節から。

宗教には神道に代表されるような共同体の宗教と、プロテスタントや新宗教に典型的に見られるような個人の宗教があります。実際には画然と二つに分けられるわけではなく共同体の宗教からも個人の宗教的な流れが生じることがありますし、個人の宗教もその地域で主流を占めるようになれば共同体の宗教的な機能を果たすようになります。

共同体の宗教というのは、儀礼や儀式によって国家や地域社会など共同体の維持・繁栄を願う宗教です。個人の幸福というよりは、共同体全体の幸福や繁栄を願う傾向があります。

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2010-04-16

「幸福の科学」考(3)中編

「幸福の科学」考(3)前編

幸福実現党の幸福実現党の2010年4月主要政策に見る幸福の科学の問題について、前回は「霊言」の問題を取り上げましたが、今回は「宗教立国」ということについて考えてみたいと思います。

この冊子の26ページから27ページに「2030年の未来ビジョン」というのがあり、5つの項目があげられています。その5番目が「宗教立国」となっていますので、引用してみます。

5.最高の幸福と繁栄を実現する「宗教立国」を目指します。

人間が尊いのは神仏の子であるからであり、基本的人権の根本には信仰があります。正しい宗教こそ国民を幸福にする基であり、宗教の尊厳を取り戻さなければなりません。
本来、宗教と国家は融合的であり、切り離すことはできません。
よい宗教とよい政治が連動したとき、国民にとって最高の幸福と繁栄がもたらされます。
幸福実現党は、宗教が尊敬される理想の国を目指します。


つっこめないところがないというぐらい見事な内容です。まあ、ありがちな内容ではありますが。

まず「人間が尊いのは神仏の子であるからであり、基本的人権の根本には信仰があります」という一文。統一教会にいたときにも、これと同じようなことを聞いた記憶がありますが、その影響を受けたというより、神の子・仏の子ということの意味を取り違えていることによる共通点ではないかと思います。

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2010-04-15

「幸福の科学」考(3)前編

幸福実現党の2010年4月主要政策なるものがありました。

まあ、政策三本柱という「新・富国」「新・強兵」「新・学問のすすめ」については、詳細に見れば突っ込みどころなどあるのかもしれませんが(というか、結構雑な内容なので、専門的な知識を持っている人にはいくらでもつっこむことが可能なのではないかと推測しますが)、私自身は政治や経済について詳しいわけではありませんので、特に意見はありません。

まあ、政策についてパッと見た感じでは、保守の側のいいとこどりというか、自民党その他の保守政党にしっかり言ってもらいたいことをちゃんと言っているという印象です。ただ、当面、宇宙への大規模進出が期待できない状況で、高度経済成長を目指すというのは時代錯誤ではないかと思いますが。

経済の縮小は避けるべきだし、景気の回復を図ることは当然としても、その後は安定成長でなければ、地球が保たないでしょう。そういう意味での価値観の転換が求められていると思うのですが、地球系霊団の最高指導者であるエル・カンターレには、21世紀に必要とされる新しい価値観や発想がないようです。

だいたい幸福の科学は、自分たちでは唯物論を否定する立場のように思っていますが、基本が19世紀から20世紀初頭の(そして、その残滓である戦後日本の)進歩至上主義ですから(だから仏教的=インド的な輪廻が理解できず、神智学協会などの魂の成長という輪廻観を持っている)、時代を先取りしているつもりのようで、実際には百年遅れています。

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2010-04-13

桃水雲渓(13)

桃水雲渓(12)

昨日は、三点のうちの第一として、桃水和尚は徹底した自由の境地を目指したのであろうということを述べました。

最終的に角倉の好意により、経済的安定が保証された上に、在家信者の信施ではないという保証まで得た桃水和尚の最晩年は、実に理想的な境遇だったと思います。因果応報ということから考えれば、それまでの生き方が正しかったということではないでしょうか。

第二には、確かに桃水和尚は、寺に住んで衣食住が保障された生活を捨て去り、乞食(こつじき)生活に入りましたが、その内容は釈尊が実践されていた出家生活ともずいぶん違っているという点には留意が必要だということです。

釈尊の時代の出家についてはは、確かに真俗二諦(7)などで「社会からドロップアウトしたホームレス生活」とは書きましたが、それは大げさな書き方であって、実際には出家者としての規則と秩序を持っており、粗末な衣をまとっていても、在家の人々に清々しい印象を与えていました。剃髪や糞掃衣など、見るからに出家者というのが仏教の出家者です。

この点において、桃水和尚が剃髪の僧侶とはわからない姿になって乞食の群れに混じって暮らしたり、駕籠かきや馬子、馬沓売りなどをして暮らしたというのは、明らかに釈尊の時代の出家とは異質です。

また、これも以前書いたことですが、釈尊は出家した弟子に対して一切の生産活動を禁止し、布施によって生活を維持するように規定しました。自分の行為の対価として布施を受けることすらせず、教えを説いたことに対して捧げられた布施すら受け取りませんでした。

この点においても、生産活動(馬沓売り)や肉体労働に従事して生活の糧を得た桃水和尚は異質です。それどころか、角倉が指摘したように、古来、布施によって生きるのは出家者のならいであるのに、それを嫌がっていたわけです。

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2010-04-12

桃水雲渓(12)

桃水雲渓(11)

鷹峰に住むようになった桃水(とうすい)和尚は、角倉からつかわされた使用人に酢を売らせ、病気もせずに晩年の7、8年を過ごしました。ある時は酢屋の通念、またある時は道全と名乗ったそうです。

そして天和元年(1681)9月19日、座禅を組んだまま亡くなりました。そのそばには自筆の遺偈(死に臨んで、自分の境地を漢詩にしたもの)が残されていました。

七十余年快哉
屎臭骨頭
堪作何用

真帰処作麽生
鷹峰月白風清


(七十余年、楽しかったものだ。屎臭い老いぼれになってしまい、何をすることもできなくなった。イー。涅槃の境地とは如何に。鷹峰の月は白く、風はすがすがしい)

桃水が亡くなると、使用人は急いで角倉に伝えました。角倉がすぐに仏国寺に連絡すると、琛洲と智伝が来て遺骸を仏国寺に引き取り、高泉和尚を導師として葬儀を行いました。

墓所は今も仏国寺にあり、そのかたわらには琛洲と智伝の墓が並んでいるそうです。

ということで、ようやく桃水和尚の生涯を一通り見終えたわけですが、最期は坐脱(ざだつ)、すなわち座禅を組んだまま遷化するという見事な生涯でした。

最後に3点ほど思うところを書いてみます。

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2010-04-10

桃水雲渓(11)

桃水雲渓(10)

さて、角倉某は心から桃水和尚に帰依するようになりました。そして「和尚様も年を追って老衰されているから、遠方に行った途中でお亡くなりにならないとも限らない。どうか、近くに御在所を定めていただきたいものだ」と考えるようになりました。

それである日、桃水を招いて茶飲み話をする中で切り出しました。

「およそ世の中では昔から今に至るまで、出家者というのは信者の供養施物によって生きていくのがならいですが、どうも和尚様はそれを嫌がっておいでのように思います。心底にどのようなお考えをお持ちかは我々俗人の理解できるところではありませんから、無理に供養の施主になろうとも思いません。
しかし、もし和尚様が施物を受けるのが嫌だとお思いになっているのでしたら、少しも信施にはならないもので、一生をとどこおりなく暮らしていける方法を思いつきました。お聞きになりますか?」

桃水は言いました。「そんなことが世間にあるものだろうか。合点のいかないことだ」

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2010-04-09

桃水雲渓(10)

桃水雲渓(9)

有馬温泉で雲歩和尚と一緒に湯治した前後から、桃水(とうすい)和尚も寄る年波には勝てず、遠くに出かけたり、肉体労働をしたりするのが難しくなり、京都の東山の庵に住むようになりました。このことは、有馬で吟じた詩の中にも触れられていました。

桃水の元弟子で、師の指示に従って仏国寺の高泉和尚のもとに移った琛洲と智伝4回5回を参照)は、桃水の様子を聞き及んではいたそうですが、かつての言いつけがありましたので、敢えて訪ねることはしなかったそうです。

それでも、この頃から桃水の評判を聞いて帰依する信者も増えてきました。桃水はそれがわずらわしく、1年ほど摂津の池田に移ったことがあったそうです。

その頃、泉州の成合寺(泉南郡熊取町。近年、不審火で焼失したらしい)の開山である雲山愚白(うんざん ぐはく)和尚が桃水を訪ねた話が残っています。

愚白は肥後(熊本県)の出身で、桃水とともに修行したことがあり、桃水が姿をくらました禅林寺での冬安居にも参加しています。やはり桃水のことを敬愛していたのでしょう。

あらかじめ聞いていた場所に行くと、町裏の廃屋で、戸は閉められていました。それで近所の人に聞くと、托鉢に行ったのだろうとのこと。それで、しばらく待っていると、未の刻(午後2時頃)に帰ってきました。

木綿の合わせに薄い破れた衣を身にまとい、剃髪の僧侶とは思えないほど髭も髪も伸び放題だったそうです。

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2010-04-08

桃水雲渓(9)

桃水雲渓(8)

今日は灌仏会、お釈迦様のお誕生日です。しかし、それがらみのことは昨日少しばかり書きましたので、桃水雲渓(とうすい うんけい)禅師の話を続けたいと思います。

行巌雲歩(こうがん うんぽ)禅師が関わる逸話がもう一つ伝わっています。

雲歩和尚が江戸からの帰り、湯治のために一ヶ月ほど有馬温泉に滞在していた時のことです。

ある日、湯上がりに散歩をしていたところ、向こうから竹の棒を天秤にして、醤油徳利と十把ほどのネギを担いだ老人がやってきました。そして、雲歩を見かけると、「雲歩、湯治かな?」と声をかけてきました。

雲歩が驚いて老人を見ると、なんと二度と会うこともないだろうといっていたはずの桃水です。雲歩は喜んで尋ねました。「これは桃水和尚ではありませんか。今はどちらにいらっしゃるのですか?」

「この春から腰が痛くてな、ここで奉公をしながら湯治をしているのだが、人に使われている身ではなかなかゆっくり湯に浸かることもできん。どうだ、貴殿と一緒に湯に入れてもらえないかな」

もちろん雲歩に否やのあろうはずがありません。「それでは拙僧の宿にご一緒しましょう」

桃水は大変喜び、荷物を道ばたに置くと、雲歩と一緒に歩き出そうとしました。そこで雲歩は「その荷物は下男に運ばせましょう。どちらの宿に送ればいいですか?」と聞くと、「いや、その必要はない。こうしておけば、わしの帰りが遅いからといって、誰かが取りに来るだろう」平気な顔でそう言い、雲歩の宿へと向かいました。

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2010-04-06

桃水雲渓(8)

桃水雲渓(7)

桃水雲渓(とうすい うんけい)禅師の大津時代については、もう一つの逸話が残っています。

桃水と同じく囲巌宗鉄(いがん そうてつ)禅師の弟子で、桃水の法弟になる行巌雲歩(こうがん うんぽ)禅師という方がいました。肥後の出身で、江戸で鈴木正三にも師事しています。

生涯、絹布を身につけなかったといいますから、名利に惑わされない立派な方だったのだろうと思います。豊後国高田(現在の大分市)に能仁寺を開いて教化に努め、多くのキリシタンを改宗させたそうです(豊後では、キリシタン大名の大友宗麟が神社仏閣の焼き討ちなど宗教迫害をした過去がありました)

肥後熊本藩主・細川綱利は雲歩和尚を非常に尊崇し、参勤交代で江戸にあるときも、わざわざ呼び寄せて聞法をしていたといいます。

この話も、雲歩はお伴の僧を4、5人連れて江戸に赴く途中の出来事だったそうです。

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2010-04-05

桃水雲渓(7)

桃水雲渓(6)

しばらく京で乞食の群れに混じって暮らしていた桃水雲渓(とうすい うんけい)禅師は、その後、伊勢の神宮のあたりで乞食の群れに混じっていたそうです。

さらにその後は乞食生活をやめ、奈良の大仏で掃除男をしたり、草津のあたりで駕籠かきをしたり、京の粟田口で馬子をしたりと、職業を変えながら各地を転々とし、俗人に紛れて暮らしていました。

その頃のことについては、大津で馬沓(馬に履かせる草鞋)を作って売っていた時の話が残っています。

桃水は商家の蔵と蔵の間の6、7尺ほど(約2メートル前後)の空き地を借り、藁葺きの小屋を建てて寝泊まりしていました。馬沓を作っては馬子たちに売っていたのですが、みんなから「爺、爺」と呼ばれ、「大津の爺さん」が作った馬沓としてなかなか評判がよかったそうです。

小屋には煮炊きの道具もなく、馬沓を売ったお金で餅などを買い、それを食べるような生活だったといいます。

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2010-04-03

苦労は買ってまでする必要はない

只今出張中。昨日までの投稿は出張前に書きためておいたものですが、それが途切れてしまいました。あいにく手元に資料がないので、今日は話題を変えたいと思います。

「苦労は買ってでもせよ」といいますが、本当でしょうか?

確かに世の中で偉くなっている人は、買ってでも苦労をした人が少なくないのでしょうが、世の中、みんながみんな偉くなる必要はないわけで(偉くない人がたくさんいるから、偉い人というものに存在価値があるわけです)、わざわざ買ってまで苦労する必要があるかということには非常に疑問があります。

むしろ、私たち普通の人間にとって必要なことは、大切なことは降りかかってくる苦労は避けるな、ということではないでしょうか。

私の知人で、大変責任感の強い女性がいて、それを評価されて責任のある立場におかれているのですが、配下の人たちがいろいろな動きをする、勝手に問題を起こして人間関係が混乱するということで大変苦労をしていました(下も女性ばかりだったので)。

もともと、その女性は人の上に立つようなことは嫌いな控えめな人ですので、そもそもそういう立場にあることが非常に苦痛であるわけです。しかも、細々したことまで気がつく、また、そこで些細なトラブルがあっても気になるというタイプなものですから、すっかり疲れていました。

自分がこういう立場にいていいのだろうかと相談してきたものですから、それは自分の幅を広げるためのチャンスとして受け止めるべきではないかとアドバイスしました。細々したところまで気遣いするのが彼女の長所ですが、以前から、それによって自分自身が疲れてしまっているところがあったからです。

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2010-04-02

桃水雲渓(6)

桃水雲渓(5)

京で乞食に混じっていたころの桃水雲渓(とうすい うんけい)禅師について、もう一つ逸話が残っています。

桃水和尚の弟子に、知法という尼僧がいました。島原の豪商の先代夫人でしたが、桃水の下で得度し、尼になったという人です。

知法尼は一目でも師にお会いしたいと熱望し、手を尽くして桃水を探し、さらに日夜神仏に祈願していました。そうするうちに、ある夜、京で桃水と出会うという夢を見たのでした。

知法尼は桃水のために新しい夜具を準備し、さらに伊勢神宮参詣のためという名目でまとまった金子を準備しました。そして、まず伊勢に参詣して桃水と出会えるように祈願し、それから京へと向かいました。

京では知人の家に滞在し、下男と下女を一人ずつ連れてあちこち捜し回り回ったのですが、なかなか見つかりませんでした。

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2010-04-01

桃水雲渓(5)

桃水雲渓(4)

翌朝、桃水と琛洲は祠を出て、坂本の町で物乞いをしてまわり、そのまま堅田のほうへと向かいました。

しばらく行くと、道の傍らに年老いた乞食が倒れて死んでいるのに行き会いました。桃水はそれを見ると、琛洲に向かい、近くの村の入り口にある小屋に行って、鋤を借りてくるように言いました。

そして、もし何をするのかと聞かれたら、「我らの仲間が一人死んだのですが、そのまま捨てておいたならば、往来の人が悪臭で迷惑するでしょう。それで死骸を隠したいのですと言うように教えました。

琛洲が鋤を借りてくると、桃水は自ら穴を掘り、乞食の遺体を埋めました。それを見ていた琛洲は、思わず「本当に不憫なものよ」と言いました。

すると、それを聞いた桃水は「不憫じゃと? なぜ、この死人だけが特別に不憫だというのか」と言いました。

「上は天子や将軍から下はこの死人に至るまで、糸一筋、米一粒も携えずに生まれてくるものだ。とするなら、死ぬときに裸で飢えて死んでいったとしても、帳尻があったというだけのことだ。たとえ百万石の米を設けたとしても、その時節が来たときには一さじの粥ものどを通らなくなる。また、衣装を倉いっぱい貯めたとしても、死ぬときには経帷子(きょうかたびら)一枚だけで旅立つのだ。ここのところに気づかないものが多くて、天子や将軍、大名が死ぬのは何か特別のことのように思っているが、まったく愚かなことじゃ」

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