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2010-07-26

金光大神(17)

金光大神(16)

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文治は金乃神にすべてをゆだね、その教えのままに生きるという訓練が続きます。この頃には、常に直接お知らせがありますから、繁右衛門のところからは足が遠のくようになっていたようです。

この年(安政5年)の秋には、文治と金乃神の関わりが一段と進みました。麦蒔きのために馬鍬を使う少し前のことです。

9月23日、金乃神が天照皇大神に「天照皇大神(てんしょうこうたいじん)様、戌の年氏子(文治のこと)、私にくださいませ」と言いました。すると、天照皇大神が「はい、あげましょう」と答えたので、文治に向かい、「戌の年(文治のこと)、金(乃)神がその方をもろうたから、金神の一乃弟子にするぞ」と言いました。

ところが、すぐに天照皇大神が「金(乃)神様、戌の年をあげましょうとは申しましたが、差し上げることはできません。戌の年のような氏子は他にありませんから」と伝えてきました。金乃神は「それでも、いったんやろうと言うてから、やらないというのでは偽りになります。ぜひもらいます。惜しいというのであれば、せがれの巳の年(三男の浅吉、幼名は延治郎)が成長しましたら、天照皇大神様のお広前に参詣させますから、どうぞくだされ」と頼みました。

それで天照皇大神も「そのようにおっしゃるのでしたら、あげましょう」と答えたので、金乃神は「くだされれば、安心いたします」と言いました。

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theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-07-25

更新が不定期になります

ご愛読ありがとうございます。

諸事情により、ブログの更新が不定期になります。これまでのようなペースでの更新は難しくなりますが、今後ともよろしくご愛読のほど、お願い致します。
2010-07-24

「ひきこもり」推定70万人

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内閣府の行った「ひきこもりに関する実態調査」で、若者のひきこもりが全国で約70万人に上るという推計が出たそうです。

「ひきこもり」70万人、予備軍155万人(読売新聞)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100724-00000081-yom-soci


家や自室に閉じこもって外に出ない若者の「ひきこもり」が全国で70万人に上ると推計されることが、内閣府が23日に発表した初めての全国実態調査の結果から分かった。
将来ひきこもりになる可能性のある「ひきこもり親和群」も155万人と推計しており、「今後さらに増える可能性がある」と分析している。
調査は2月18~28日、全国の15~39歳の男女5000人を対象に行われ、3287人(65・7%)から回答を得た。
「普段は家にいるが、自分の趣味に関する用事の時だけ外出する」「普段は家にいるが、近所のコンビニなどには出かける」「自室からは出るが、家からは出ない」「自室からほとんど出ない」状態が6か月以上続いている人をひきこもり群と定義。「家や自室に閉じこもっていて外に出ない人たちの気持ちが分かる」「自分も家や自室に閉じこもりたいと思うことがある」「嫌な出来事があると、外に出たくなくなる」「理由があるなら家や自室に閉じこもるのも仕方がないと思う」の4項目すべてを「はい」と答えたか、3項目を「はい」、1項目を「どちらかといえばはい」と回答した人を、ひきこもり親和群と分類した。
その結果、ひきこもり群は有効回答の1・8%、親和群は同4・0%で、総務省の2009年の人口推計で15~39歳人口は3880万人であることから、ひきこもり群は70万人、親和群は155万人と推計した。
ひきこもり群は男性が66%と多く、年齢別では30歳代が46%を占めた。一方、親和群は女性が63%を占め、10歳代の割合が31%と高かった。
ひきこもりとなったきっかけは、「職場になじめなかった」と「病気」がともに24%で最も多く、「就職活動がうまくいかなかった」が20%で続いた。
(以上引用)

私も学生時代にひきこもりをしましたので、他人事ではありません。今さら再びひきこもりになることはないでしょうが(というか、そんなことをしたら飢え死にしてしまいます)、自分の奥底には今でもそういう気質が残っているなあと実感することがあります。

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theme : 気になったニュース
genre : ニュース

2010-07-23

金光大神(16)

金光大神(15)

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金乃神は、天気を予告して仕事の進め方を指示することもありました。

ある日、金乃神から「今日、この周りの田の稲を刈って、そのまま干せ。雨が降っても刈って、三日間干せ。明日と明後日の二日間で下淵にある田の稲を刈って、その場で脱穀せよ」というお知らせがありました。

その日はどんよりと曇って、今にも雨が降りそうな天気でした。隣の古川参作も鎌を持って出て来ましたが、「これは間違いなく雨が降る。うちは、まあ、やめておこう」と言って、家に帰りました。

ところが、神様のお知らせ通り、三日間は雨が降りませんでした。文治は神様の指示通り、下淵にある田はその場で脱穀し、干しておいた稲は家に取り込んでおきました。

四日目は早朝から大雨で、外の仕事どころではありませんでしたが、文治は家で運び込んでいた稲の脱穀をすることができました。

またある日、田で牛を使っていると雨が降り出しました。それで、どうするかを神様に伺うと、「やめずに使え。本降りではない」というお知らせがありました。それで、そのまま続けたのですが、一日天気が保ちました。

別の日に牛を使っていると、また雨が降り出しました。すると「今日は牛を追うて帰れ。午後も牛を使うことはできない。雨降りじゃ」というお知らせがありました。

文治は言われる通りに家に帰りましたが、本当に大雨になりました。「降るか、降らないか、どうなるだろう」と言っていた人たちは、びしょぬれになって家に帰ったのでした。

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theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-07-22

金光大神(15)

金光大神(14)

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金乃神による教育は続きます(もちろん、文治は金乃神におかげを受けていると思っていたわけですが、客観的に見れば金乃神による教育です)。

7月の終わりに、近くの村の唐臼(脱穀機)作りの職人に新しい唐臼を作ってもらうよう頼みました。すると、職人は「月が変わったら行ってあげましょう」と言ったのですが、8月になってもなかなか来ませんでした。

8月13日、文治は屋守(現在の倉敷市玉島黒崎)の親類から招かれ、屋守の祭に行くことを神様に願い出ました。すると、「今日は行くな。唐臼の職人が来るぞ」とお知らせがありました。

それで、出かけるのをやめて家で待っていると、午前10時前、本当に唐臼の職人がやってきました。おかげでその日のうちにできあがり、文治は金乃神のおかげを実感してお礼を申しあげました。

9月14日、文治の実弟である香取彦助(かんどり ひこすけ)が久々井(現在の倉敷市玉島阿賀崎)の小幡家へ婿養子に入ることになりました。文治は親代わりとして準備を整え、土産の品も支度して、彦助を伴って小幡家へと向かいました。

14、15日の二日間にわたって祝宴が開かれ、ごちそうが振る舞われました。その時、金乃神からどんぶりに入った酢の物のことでお知らせがありました。

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theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-07-21

お布施定額制

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イオンが手がける葬儀紹介サービスで、お布施に目安を設定したそうです。


http://www.sankeibiz.jp/business/news/100702/bsd1007020057000-n1.htm


流通大手のイオンが、自ら手がける葬儀紹介サービスの中で「布施(ふせ)の価格目安」を打ち出したところ、仏教界が「布施に定価はない」と反発している。戒名(かいみよう)料などを渡す際に、寺から「お気持ちで結構です」と言われて、悩んだ人は多いはず。そんな声を受けて打ち出された価格目安だったが、寺側は「企業による宗教行為への介入だ」と受け止めている。(赤堀正卓)

 イオンが新しく始めたのは、葬儀の際に僧侶を紹介するというサービス。全国に約1700万人いるイオンカードの保有者向けに5月から展開している。

 浄土真宗、曹洞宗、日蓮宗といった伝統教団各宗派の僧侶を、客の要望に沿った形で紹介するという。その中で戒名の種類別や読経の有無ごとに、布施の金額を「目安」として打ち出した。例えば「通夜」「葬儀」「火葬場での読経」「初七日」の読経に加えて、「信士」といった戒名をつけた場合は25万円を目安として示した。

 仲介料は取らない。従前から葬儀社を紹介する事業を展開しており、利益はその中から出すという。

 イオンのコーポレート・コミュニケーション部では「『布施の価格が分からずに困った』『寺に聞いても、はっきりと教えてくれない』といった声が多くあり、それに応えることにした」と説明。「疑問と不安のない明瞭(めいりよう)な価格を提示するのは当社の理念。8宗派、全国約600の寺院の協力も得られることになっている」と話す。
(以下略)

これは、記事にもある通り、企業による宗教行為への介入です。お布施という極めて宗教的な部分を企業側が設定するというのはいかがなものか。無論、一方では葬儀社がお布施の額を事実上設定するということもあるようですが、それを企業側が主体となってはっきり設定するというのは越権行為でしょう。

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theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-07-20

金光大神(14)

金光大神(13)

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安政5年(1858)7月13日、文治の口を通して金乃神が直接に言葉でお知らせを与えるようになりました。これ以降の金乃神と文治の関係は、単に金乃神がおかげを授けるというだけではなく、文治を教育しているように見えます。

この年の秋、稲の穂が出る時期にうんか(稲の害虫)が大発生し、どこの家でも田んぼに油を入れました。当時はうんかが発生すると、田んぼに鯨油などを流し込み、稲をたたいてうんかを油の中に落として窒息死させるという方法で駆除していました。

ところが、文治に金乃神から意外なお知らせがありました。田に油を入れるなというのです。

これは、いくら文治でも簡単にそうしますとは言えません。何しろ、うんかに稲を食われてしまうと、一年の収穫がフイになってしまいます。そこで金乃神は、一つの実験を指示しました。

「うんかが稲を食うか食わないか、今夜、お前は神前で寝てみよ。蚊に食われるか(蚊に刺されるか)。お前は、日頃蚊に負けてほろせ(赤い発疹)が出る。ほろせがでるか、蚊に負けるか。蚊が食わなければ、うんかも食わないと思え。もし封じもれの蚊が食うたら、手で押さえておけ。いつでも少々はうんかもいるものだ。蚊に負けなければ、蚊も食わぬのじゃ」

そこで、文治は金乃神の指示通り、神前で寝ることにしました。蚊がワンワンと飛び回って寝ることができませんでしたが、蚊に刺されることもなく、蚊に負けてほろせがでることもなく、かゆくもありませんでした。

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2010-07-19

金光大神(13)

金光大神(12)

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安政5年(1858)正月元旦、繁右衛門の口を通して「金乃神下葉の氏子(金乃神の庇護のもとにある氏子)」という称号を与えられ、拍手を許された文治は、神棚を改めて作り直し、朝晩拍手を打って熱心に祈願しました。『金光大神御覚書』には「朝晩拍手打ってご奉願、日々のおかげ受け」とありますから、毎日のように神様のおかげを実感していたのでしょう。

そして、いよいよ文治自身が神意を受け取ることができる段階へと進みます。

3月15日、手にお知らせを受けるようになります。これは、後に「手みくじ」と呼ばれるようになりますが、神前で手を合わせて祈願すると自然に手が上下に動くというものです。願い事が成就する時は手が上がり、成就しない時は下がりました。

『金光大神御覚書』には「何事もお伺い申しあげ」とあります。文治にとって、自分自身で直接、神様の意思を知ることができるというのは大変な喜びであったに違いありません。

さらに7月になると、文治の口を通して神様が語るという段階になります。

お盆を迎えた7月13日、文治は先祖の精霊を供養しようと思って、いつもより早めに金乃神に灯明を上げ、お参りをしました。すると、文治自身の口を通して神様が語りかけてきました。

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2010-07-17

「幸福の科学」考(6)

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今回の参院選における幸福実現党の得票数が約23万票であったことはすでに書いた通りです。昨年の衆院選では46万票。とすると、実質的な幸福の科学の実質的な信者数は20~50万というところでしょう。

衆院選での惨敗をきっかけに信者が急激に減っているという可能性がありますが、これは次回の衆院選に幸福実現党が三度目の挑戦をしての得票数を見なければ断言はできません。というのは、票数を比較すると、衆院選と参院選の投票率とだいたい一致するからです。

とはいえ、組織票というのは投票率に左右されにくいのが特徴ですから、世間の投票率につられて、教団の投票率まで下がったとすると、それはそれで教団の求心力に問題があることになります。

それはともかく、この20~50万という数字、どう評価するべきでしょうか。

公称信者数1,100万人からいえば、約2~5%でしかありません。

もちろん、宗教団体の公称信者数は実際より多いのが普通です。これは、しかたがない部分もありまして、普通、宗教団体への所属というのは、入信の時はそれなりの手続きを踏みますから把握しやすいのですが、やめる時については、よほどの場合を除いて、わざわざ退会手続きをとるということはあまりありません。

だいたい、特殊な教団を除いて、信者に強制力を持っているところはあまりありませんから、わざわざ退会の意思を示さなければやめられないなどということはあまりないでしょう。ですから、だんだん教団との距離が遠くなり、自然に行かなくなるというケースの方が多いと思います。

また、例えば仕事が忙しくなったとか、体の具合が悪くなって出歩けなくなったとか、家族を介護しなければならなくなったとかで、別にやめたいというわけではないけれども、行かない期間が長くなるうちにうやむやになるということも少なくないでしょう。

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2010-07-16

金光大神(12)

金光大神(11)

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文治の実弟・香取繁右衛門(かんどり しげえもん)が神懸かりになり、金神の御用を勤めるようになってから、文治は繁右衛門のもとに熱心に通うようになります。

繁右衛門に懸かった金神は、自ら「金之神(かねのかみ)と称します。金光教では「金乃神」とされます。

繁右衛門が神懸かりになった翌年の正月(神前奉仕を始めて約2ヶ月)には、文治に対して「金乃神下葉の氏子」(『金光大神御覚書』での記述)という称号が与えられていますから、かなり早い時点から「金之神(金乃神)」と称していたと思われます。

これは、繁右衛門や文治の信仰していた金神が、単なる方位神・祟り神ではなく、それを越えた神、天地の親神として現れてきたことを示しています。といっても、これは必ずしも金神が天地の親神ということだというより、金神を媒介として、天地の親神が金乃神として現れたというほうがよいと思いますが、この問題はいずれ考えたいと思います。

ともかく、文治は、それまでの人生で、神の意志がわからない中で、自分にできる最善を尽くしてきましたが、四十二歳の大患の時、その限界を悟らされました。ですから、金神の意志を直接に伺うことができるというのは願ってもないことだったに違いありません。

また、それに応じたおかげも受けることができました。

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2010-07-15

金光大神(11)

金光大神(10)

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さて、おかげを受けて病の癒えた文治ですが、よく安政3年(1856)までは体調が悪く、大変だったようです。それで、毎月1日・15日・28日の3日間、朝の時間を使って神様にお参りすれば、合わせて一日分になると思いつき、あちこちの神々を巡拝するようになりました。

安政4年(1857、文治は44歳)10月13日の夕方、文治の実弟・香取繁右衛門(かんどり しげえもん)が住む浅口郡亀山村(現在の倉敷市玉島八島)から使いが来ました。

※繁右衛門については「しげうえいもん」と読ませている資料もある。

「あなたの弟の繁右衛門さんの気が違い、『金神様お乗り移り』と言って乱心したようになって、『早く大谷に行って、兄の文治戌の年を呼んでくれ』と行っています。どうぞ、早く来てください」

急いで亀山に行くと、家族や親類、村内の懇意な人たちが待ち受けていて、「よく来てくださった。なにぶん苗にも稗にもなって(相手の言うとおり逆らわずに聞いて、という意味らしい)、どうぞ繁右衛門さんが治まるようにお願いします」と言いました。

それで、繁右衛門のところへ行くと、繁右衛門(に懸かった金神)が言うには、「戌の年(文治のこと)、よう来てくれた。金神が頼むことがあって呼びにやった。金神の言うことを聞いてくれるか」とのこと。文治は「私の力でかなうことなら、させていただきます」と言いました。

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2010-07-14

「幸福の科学」考(5)

さて、参議院選挙は民主党の大敗に終わりましたが、個人的にはこちらの方にも関心を持っていました。

比例代表の政党別得票数

民主党     18,450,140 (31.56%)
自由民主党   14,071,671 (24.07%)
みんなの党   7,943,650 (13.58%)
公明党     7,639,432 (13.06%)
共産党     3,563,557 (6.09%)
社会民主党   2,242,736 (3.83%)
たちあがれ日本 1,232,207 (2.10%)
新党改革    1,172,395 (2.00%)
国民新党    1,000,036 (1.71%)
日本創新党   493,619 (0.84%)
女性党     414,963 (0.70%)

幸福実現党  229,026 (0.39%)

公称信徒数1千万を称し、雑誌の特集などの新宗教の信者数ランキングでは創価学会を超えてトップとされることもあるわけですが、公明党の得票数の33分の1という素晴らしい数字です。

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2010-07-13

金光大神(10)

金光大神(9)

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文治は「のどけ」によって生死をさまよったとき、義弟の古川治郎に懸かった石鎚の神を通し、神々の意志を直接に知るという体験をしました。

とはいえ、その神との出会いは、これまで文治が、数々の不幸を恨むことなく人一倍真心を込めて信心し、日柄方位にも細心の注意を払ってきた土台の上に、さらにそれを否定されるかのごとき神様からのお知らせを謙虚に受け入れることによって意味あるものになったのです。

これは簡単なようで、なかなか困難なことです。まず、人並み以上に真心を込めて信心するというだけでも大変です。さらに、それでも襲ってくる不幸を恨みに思わず、信心を続けるというのが並大抵ではありません。

さらに、それだけの信心しながら、神の前に自分の至らなさをお詫びしたのです。これ以上できないところまでやりながら、それでも自分の不足を受け入れる。これは理不尽な話のようですが、「我」「自分」というものに対する執着を捨てるということです。

そうして、初めて神意を正しく素直に受け取る基盤ができたのでした。

もちろん、そういう道を歩んだ人はたくさんいますが、しかし、その一つ一つは容易ならざる道です。途中で挫折する人もたくさんいる、というより、ほとんどの人は挫折していきます。その難関を通過するということは、本人にとってはもちろんのこと、神様にとっても得難いことなのでしょう。

金光教祖が自らの半生を記録した『金光大神御覚書』のこの部分を見ると、「正月元旦に、どのように手を合わせて頼んだか。氏神をはじめ、神々はみなここに来ておるぞ」という神の言葉を記した後、大きな丸を書いています。

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2010-07-12

金光大神(9)

金光大神(8)

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文治が「のどけ」を患って、ものも言えず、湯水ものどを通らなくなり、医者からも見放された状態になったため、親類縁者が集まって、石鎚山の先達である義弟の古川治郎を中心に病気平癒の祈願をしました。

この時、古川治郎に石鎚の神が懸かり、「家の建築、移転について豹尾神、金神に無礼がある」とお知らせがありました。それに対して、義父の古川八百蔵は「この家において金神様へのお障りはない。きちんと方位も見て建てた」と言い返しました。すると石鎚の神は「それなら、方角を見て建てたら、この家が滅亡になっても、亭主が死んでも構わないのか」と告げました。

文治は、皆が祈願をしている隣の部屋で寝て、祈願の様子を聞いていたようですが、その言葉を聞いて、ハッとしたに違いありません。

当時の人々は、金神などの祟りを恐れ、ご無礼のないように気をつけていました。そのために日柄や方位を見たり、金神封じをしたりしたのですが、極端な言い方をすると、神様から逃げたり、神様を出し抜いたりしようとするようなものです。

文治も当時の人の常として、小野光右衛門に日柄・方位を見直してもらい、その通りに建てたわけですが、本当にそれだけでよいのかという迷いがあったことは間違いありません。そのことが、建築に懸かる際の「どのようなご無礼をしているか、凡夫なのでわかりません」という祈りにつながっていると思います。

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2010-07-10

教祖といえどもただの人間

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教祖といえどもただの人間です。当然のことですが、往々にして忘れられていることです。

といっても、教祖だからといって偉いわけではない、などと言いたいのではありません。当然のことですが、教祖とされる人たちの中には立派な人がたくさんいます。しかし、普通の人間と隔絶した存在ではなく、本質的には我々と同じ人間であって、特別な存在になったわけではないことをわきまえておくことが大切です。

ところが、「教祖」とかという肩書きがつくと、それだけで色眼鏡がかかって、五割増し、十割増しぐらいで見えるようになってしまい、客観的な判断ができなくなってしまうということがよくあります(だいたいそういうものです)。そして、神聖犯すべからざる存在として祭り上げてしまい、下手をすると教祖も信者も不幸になるということさえ起こります(オウムみたいな極端な例でなくても)。

まあ、人間というのはそうしたもので、人の判断についても、なかなか自分の感覚だけで判断することはできませんから、肩書きや学歴、過去の実績といった情報に影響されます。また、見た目による影響も大きいことは当然のことです。

とはいえ、例えば会社の社長が相手であれば、会社の社長という肩書きの人は世の中にごろごろいますし、よほどカリスマ的(教祖的)な社長はともかくとして、本質的には同じ人間と思っていますから、盲目的に信じるなどということはないでしょうし、社員の間では辛辣な評価が出ることも珍しくないでしょう。

だからといって、社長に価値がないわけではありません。何か人より優れた面があって(それが能力とは限らず、血筋の問題だったりもするわけですが)社長になれたわけですから、人として価値を認められるべきであることは言うまでもありません。

ただ、社長の場合、本質的に社員と変わらない人間だということはわかっていますから、社長というだけで盲目的尊敬を集められるわけではなく、社長個人の実力(能力、実績、カリスマ性など)によって信頼と尊敬を集めなければなりません。

で、私としては、教祖だって同じだということを言いたいわけです。神様から選ばれた特別な存在などではなく、宗教者・信仰者としての姿勢、あるいは教祖としての能力について、社長が社長としての実力が問われるのと同じように問われなければなりません。

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2010-07-09

金光大神(8)

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五男が「四十二の二つ子」になるという問題については、養母が自分が育てるといったので任すこととし、念のために新年生まれということにして、名前も寅年ではなく卯年生まれとするために「宇之丞」とすることで、決着しました。

しかし、この新しい年は文治にとって42歳の大厄です。新年の歳徳神をはじめとする神々へのお礼、氏神様への参拝に続いて、近隣の有名な神社仏閣へ厄晴れの祈願に行きました。

まず1月4日には備後国の鞆(現在の広島県福山市鞆町)の祇園宮(現在は沼名前(ぬまくま)神社となっている)に参拝し、「奉祈念家内安全」と書いた木札をいただいてきました。

14日には備中国一宮である吉備津宮(岡山市北区吉備津の吉備津神社)に参拝し、「鳴釜(なりかま)神事」をお願いしました。

これは、桃太郎のモデルとされる吉備津彦命(きびつひこのみこと)と温羅(うら)の伝説に由来し、上田秋成の『雨月物語』にも取り上げられているもので、今でも吉備津神社の御釜殿でお願いできます。

御釜殿には竈があって、釜で湯を沸かしています。神事を行うときは、竈の前に祈願したお札を祀り、神官と阿曽女と呼ばれる女性が竈をはさんで座ります。
神官が祝詞を奏上すると、阿曽女は釜の上に置かれたせいろに玄米を少し入れます。すると、釜がうなり声のような音を発し、祝詞が終わる頃にやみます。これを「おどうじ」といい、その大小長短で吉凶を占います。鳴らなければ凶とされます。

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2010-07-08

金光大神(7)

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さて、牛二頭を含めて七つの墓を築いたわけですが、それからしばらくは平穏な日々が続きました。

とはいえ、金神の祟りは、知って無礼を犯せば家の主から命を取り、知らずに犯せば牛馬七匹で七つの墓を築かせるとされますから、知らず知らずに犯している金神へのご無礼があるのではないかと気にかかっていたのではないかと思います。

そして安政2年(1855)、文治は本厄の42歳を迎えます。この年が大きな転換点になりますので、これも詳しく見ていきたいと思います。

まず、その前年の安政元年(1854)12月25日、文治夫妻に五男が生まれました。

当時、「四十二の二つ子」といって、親が42歳になったときに2歳になる子は「親を食う」という俗信があったのですが、ちょうど五男がそれに当たります(当時は数え年なので、生まれた時点で1歳、1月1日に2歳になる)。それで、「この子は育てないほうがいい」と言う者もいましたが、養母のいわが「私が育てる」と言ったので、養母に任せて育てることになりました。

そして、念のために翌年の正月生まれとしようといういうことになり、お七夜に当たる1月2日生まれとすることにしました。1月2日生まれであれば、文治が42歳の年に1歳ということになるからです。

年が明けて元旦、早朝から歳徳神をはじめとする神々にお礼をし、氏神様(浅口市大谷の加茂八幡神社)に参拝して四十二歳の厄晴れを祈願しました。そして、神主の神田筑前に頼んで五男がこの年に生まれたことにまつりかえてもらい、守り札を納めてもらいました。

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2010-07-06

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二人の子どもは助かったものの、不幸はそれで終わりませんでした。

7月16日、飼い牛の具合が悪くなりました。牛とはいえ貴重な働き手であり、当時の農民にとっては家族同然の存在です。医者を呼んで、鍼をして薬を飲ませ、つきっきりで看病をしました。

幸い、18日になると具合が良くなり、医者がもう治ったと言いました。そして、「私も帰るから、皆さんも用事をするといい」と言ったので、妻の叔父さんと建築のための材木を買いに玉島(現在の倉敷市玉島)へ行きました。

ところが、用事を済ませ、途中まで帰ってきたところで、妻の弟の古川参作に行き会いました。参作が言いにくそうに「牛が急に悪くなった」と言うので、文治は事情を悟り、「牛が悪くなっただけで、わざわざ言いに来ることはないだろう。よほどのことだろうから、死んだと言われてもしかたがない」と言いました。

すると参作はホッとして、「そう言われると助かります。実は食事の後に急に牛の具合が悪くなって、医者を呼んだのですが、来る前に死んでしまい、どうしようもありませんでした」と言いました。

文治は、帰ったところでしかたがないし、牛を見るのもかわいそうだし、どうするか迷ったものの、後のことは参作に任せて、当初の予定通り、益坂村へ用材を買いに行くことにしました。

それにしても、これで粂治郎から数えて6つ目の墓を築くことになりました。金神の祟りに対する恐れはますます大きくなっていたに違いありません。

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2010-07-05

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金光大神(4)

嘉永3年(1850)の家の改築について、少し詳しく見てみます。

嘉永2年(1849)の年末、いとこの森田八右衛門が来て、須恵村の青木竹治郎の古い家を買わないかという話を持ってきました。といっても、家を買って引っ越すのではなく、買った家を解体して移築する、つまり人間が引っ越すのではなく家が引っ越すという話です。

当時、文治一家が住んでいたのは六畳間と納戸だけという狭い家でした。夫婦揃って勤勉に働き、今では村の有力者となった文治にとって、家の改築というのは心動かされる話でした。

しかし、文治には気になることがありました。

文治は長男・長女を相次いで亡くしていますが、それぞれ、その少し前に風呂と便所、門納屋を建てています。当時の人々の常として、文治も子どもを亡くしたのは日柄や方位に障りがあったのではないだろうかと考えたようです。

だからといって、文治が建築に当たって日柄や方位を気にしなかったというわけではありません。文治は「信心文さ」と呼ばれるほど信心深かったこともあり、日柄・方位についてもきちんと注意を払っています。

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theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-07-03

小野照崎神社の下谷坂本富士

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さる7月1日、台東区下谷二丁目の小野照崎神社境内にある下谷坂本富士のお山開きに行ってきました。


下谷坂本富士

江戸時代、江戸を中心に富士山を信仰する富士講が大変盛んになりました。富士講の信仰の中心は富士山への登拝ですが、誰でも参拝できるというわけではありません。そこで、富士山に登れない人のためにミニチュアの富士山である富士塚を造り、富士山のお山開きの日に登山するようになりました。

一番最初に造られた富士塚は新宿区西早稲田の水稲荷神社境内にある高田富士で、安永9年(1780)のことといわれています(ただし、早稲田大学の拡張のために移築されたため、原形は失われている)。これが評判になって、各地に富士塚が造られるようになったそうです。

失われた富士塚も少なくありませんが、それでも現在、都内だけで約60基の富士塚が残っているといわれます。

中でも豊島区高松の富士浅間神社にある長崎富士、練馬区小竹町の
茅原浅間神社にある江古田富士、そして小野照崎神社の下谷坂本富士は、江戸時代に造られた富士塚の形をよく残しているということで、国の有形民俗文化財に指定されています。

そして、下谷坂本富士は富士山のお山開きとその前日に当たる6月30日と7月1日の2日間だけ開放され、登ることができる上に、その期間だけ授与する特別の御朱印があるということで、時間の合間を縫って参拝することにしたのでした。

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theme : 神社・仏閣巡り
genre : 旅行

2010-07-02

金光大神(4)

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金光大神(3)

天保10年(1839、文治は26歳)長男の亀太郎が誕生し、一家は喜びに包まれました。勤勉に働いたおかげで田畑も広がり、村人たちからの信頼も得て、文治の人生は順風満帆のように思えました。

ところが、それからが苦難の始まりだったのです。

文治が29歳となった天保13年(1842)、文治と亀太郎が親子ともども下痢を伴う病気になり、文治は全快しましたが、亀太郎は亡くなってしまいました。亀太郎はまだ4歳でした。

その後も、弘化4年(1847)に長女のちせが、嘉永3年(1850)には次男の槙右衛門が亡くなっています。養父・粂治郎と義弟・鶴太郎の死から相次いで5人が亡くなったわけです。さらに、飼い牛2頭が相次いで死んだことから、皆は金神(こんじん)の祟り「金神七殺(こんじんしちせつ)」ではないかと恐れました。

金神というのは方位神(ほういじん)の一です。方位神とは、それぞれの定まった規則に従って方位を遊行している吉凶の神々で、吉神のいる方位を吉方位といって、そちらの方位に事を起こすとよいことがあるとされます。身近なところでは、恵方巻を食べるときに向く恵方とは、吉神の代表格である歳徳神のいる方角です。

逆に凶神がいる方位は凶方位といい、そちらの方位に事を起こすと悪いことが起こるとされます。凶神としては金神や大将軍、豹尾神がよく知られていますが、中でも金神のいる方位はあらゆることに凶とされ、この方位を犯すと家族七人が墓を築く、家族が七人いなければ隣の者まで殺されるとして恐れられていました。

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theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

2010-07-01

金光大神(3)

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金光大神(2)

前回は、川手文治郎(後の金光大神)に義理の弟(養父母にとっては実の息子)の鶴太郎が生まれたこと、領主の代替わりに伴い、川手粂治郎・文治郎親子がそれぞれ多郎左衛門・国太郎と改名したところまででした。

ところで、金光教祖について書く場合、名前を何と書くかということに少々悩みます。

正式には「金光大神(こんこう だいじん)ですが、これはわかる人にはいいものの、知らない人には人名とは思えないでしょう(そもそも神様から与えられた神号=神としての名前なので、しかたがありません)。金光大神その人がメインであれば、当然、それでいいのですが、ちょっとした引用の時など考えてしまいます。

戸籍では「神」という字が許されなかったために「金光大陣」とされたのですが、これを使うのはかえって失礼な気がします。

では、それ以前に使っていた名前はというと、何度か改名しているために、これが元の名前と決められる名前がありません。

年代順に改名の経緯を見ると、次のようになります。

文化11年(誕生時) 香取源七(かんどり げんしち)
文政8年(12歳) 川手文治郎(かわて ぶんじろう)通称 文治
天保3年(19歳) 川手国太郎(かわて くにたろう)
天保7年(23歳) 赤沢国太郎(あかざわ くにたろう)
天保15年(31歳) 赤沢文治(あかざわ ぶんじ)
慶応2年(53歳) 金光河内(こんこう かわち)
明治元年(55歳) 金光大神(こんこう だいじん)

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theme : 宗教
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