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2010-03-06

変性女子はニセモノか?(5)

前回までの考察で、問題の部分が、出口王仁三郎聖師が自分のことを偽物だと告白したとか、本物の救世主が美濃か尾張に現れることを予言したというようなものではないことは納得してもらえると思います。

ぜひ、そのようことを根拠に、自分こそが本物の救世主だ、などという人には惑わされないようにお願いしたいものです。

そして、最後に思うところをいくつか書いておきたいと思います。

まず、誤解の原因について。

もし、普通の文章であれば、誤解のないような書き方をしたのでしょうが、七五調の歌であるため、当然読み手にわかると思われることについては、細々した説明が省かれています。それは「信天翁(三)」の他の部分を見れば納得できると思いますが、特に問題の部分は主語述語等がまったく省かれていますから、誤解を生じさせることになったのでしょう。

ただ、『霊界物語』口述当時においては、そこから誤解が生じるとは考えられないほど、当たり前の状況であったということも間違いないと思います。

丁寧に読めばわかるはずのことですが、人間の目と頭というのは面白いもので、少しでも自分に都合よく解釈できる部分があると、細かなところは無視して、自分の思惑通りに解釈するものです。王仁三郎も、まさかそのような読み方をされるとは思っていなかったでしょう。

「一人の目明きが気を付ける なぞと慢神(まんしん)してござる  王仁はこの言(こと)聴くにつけ  お気の毒にてたまらない」という校正後の言葉は、偽らざる王仁三郎の本音であると同時に、思いもよらない取り違えをする人たちに対する呆れた気持ちも込められているだろうと思います。

次に、私自身は王仁三郎を救世主と認めているわけではないということについて。

私がこの問題を扱おうと思ったのは、王仁三郎聖師が救世主であることを証明するためではなく、誤解を根拠に自分(もしくは自分たちの教祖)が救世主だなどと主張するようなことは望ましくないと思うからです。

私自身は、王仁三郎聖師については救世主というものをよく理解し、その如くに生きた人物だと思っています。近代以降の日本の宗教者で、王仁三郎以上に救世主らしい人物は見当たりません。ただし、それはあくまで救世主という存在をよく理解していた、救世主らしい生き方をした、ということであって、救世主として信じているというわけではありません。

というのは、救世主というのは、あくまで世界の救済を実現した人に対して与えられるべき称号であって、未だ世の中が救われていない以上、誰に対しても救世主と呼ぶことはできないと考えるからです。王仁三郎の後継者が世界救済を実現したならば、その時、はじめて王仁三郎聖師は救世主であったということができるはずです。

例えば、中身のないニセモノの救世主であったとしても、その弟子たちが世の中を救い、その上で自分たちの教祖こそ救世主であったと言ったならば、ニセモノの救世主でも本物と認められるべきでしょう。救世主の基準はただ一つ、世界を救うことができたかどうかだけです。

そういうことですから、美濃か尾張の出身か、それとも拠点があるかなどというのはどっちでもいいことで、そんなに救世主になりたいのであれば、王仁三郎がニセモノかどうかなどということを考えるよりも、一人でも二人でも世の中の人を幸せにする方向にエネルギーを使ってもらいたいものだと思います。

要は、救世主が誰であるかを問題にするより、世の中をよくすることにエネルギーを費やしたほうがいいと考えるわけです。で、本当に世界を救いたいと考えている人であれば、この考えには反対しないでしょう。

最後に、もう一点指摘しておきたいことがあります。

最初にも書いたように、一般にこの「王仁三郎が自分をニセモノだと告白し、いずれ本物の救世主が現れると予言している」という話が流布したのは、霊界物語によってではなく、武田崇元氏の『出口王仁三郎の霊界からの警告』(カッパ・ホームス)によってだろうと思われます(自称救世主という人たちの多くはオカルト好きですから、霊界物語は読んでいなくても、武田氏の本は読んでいるでしょう。因みに私も読んでおり、それでこの文章のことは知っていました)

この本で、武田氏は問題の文章を政治家・床次竹二郎の弟・真広に渡した遺書としているのですが、もしそれが本当だとすると一般に公表されている『霊界物語』における「信天翁」とはまったく意味が違ってきます。一般に知らされていない遺書ならば、そこに王仁三郎の隠された本心が書かれていても不思議はないと受け取る可能性が高いからです。

しかし、私は、この床次真広の遺書に件の文章が書かれていたという情報について、怪しいのではないかと考えています。

その根拠は、まず、王仁三郎の遺書に書かれていたという文章が「信天翁(三)」の初版と同じだということです。私が、王仁三郎が偽物であることの告白とすれば文章の意味が通じなくなると考える「女子の身魂を立直し」云々もそのまま入っています。

また、受け取ったという人物について調べてみると、床次竹二郎というのはWikipediaにも項目があり、内務大臣や鉄道大臣・逓信大臣などを歴任している人物ですが、弟の床次真広については、ネットで検索するとこちらが引っかかります。

「霊力担当 故床次真広」

なかなか香ばしいです。だからといって信用できないとはいえませんが、本人ないしは周囲の人が、一般にはなかなか入手できない『霊界物語』の一節を抜き出し、王仁三郎からの遺書だと称した可能性はあると考えます。それを武田氏に教えた人があり、武田氏がそれを信じて自分の著書に入れた可能性は否定できないのではないでしょうか。

その推測の当否はともかく、ネット上でも武田氏の著書を根拠に、王仁三郎は自分を偽物と言っているという言説が見られるのですから、武田氏は最低限、その情報の信頼度についてハッキリさせておいたほうがいいのではないかと思います(もし、信頼できる本物を実見しているというのであれば、それはそれでその通りに)。

『霊界物語』の「信天翁」については、反王仁三郎派をあぶり出すための陽動作戦という立場をとっておられるようですが、床次真広に対する遺書云々の件について説明したという話は聞いていませんし、確認もできていません。

普通の人ならともかく、何といっても武田氏は出口王仁三郎聖師の姻戚になるわけですから(武田氏の夫人は王仁三郎の曾孫)、王仁三郎聖師に対する誤解を防ぐためにも、偽救世主に正統性の根拠を与えないためにも、きっちりと整理しておいたほうがいいのではないかと思うわけです。もし、私が寡聞にして知らないだけであって、既に説明しているのであれば、やはりネットなどで確認できるようにしておいたほうがよいのではないかと。

それはともかく、聖典には隠された意味があることが少なくないので、表面的な読み方だけで善しとすることはできませんが、全体の文脈やきちんとした読解をせずに、パッと見た印象で予言だ何だと早とちりし、自分が救世主である、特別な使命を持っているなどという恥ずかしい思い込みをしたりしないよう願いたいものです。まして、原典に当たらずに、孫引きで自分のことを予言しているなどと思い込むと、とんだ恥をさらすことになりかねません。

これは『霊界物語』に限りません。

また、自分が救世主だなどと思い込めない我々一般人において、そういう困った人たちに惑わされないよう、重々気をつけなければならないということは言うまでもありません。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

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