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2010-03-18

真俗二諦(8)

これまで、釈尊当時の出家とは社会からドロップアウトしてホームレスになることだということを書いてきました。その後、仏教が教団として発展する過程で、いつの間にか出家=家を出て寺に入ることのようになっていますが(上座部仏教も含めて)、釈尊の時代とは違っていることを確認しておくことは大切だと思います。

とはいえ、私は釈尊のあり方に忠実でなければ間違いだ、などというつもりはありません。そもそも宗教のあり方は時代に応じ、土地に応じて変わる必要があるわけで、釈尊当時の出家のあり方も、あの時代のインドだから可能だったという側面もあります。気象条件が違っただけで、同じ生活スタイルを維持することは不可能です。

釈尊もそのことはよく心得ていらっしゃったので、戒律については必要に応じて変更可能と遺言されています。しかし、それを聞いた阿難(あなん)尊者が、どの部分について変更してよいかを確認しなかったということもあり、教団の責任者となった摩訶迦葉(まかかしょう)尊者が戒律をそのまま継承することを決めた経緯があります。

さらに言えば、それぞれの歴史を背負った各民族に対して、異なる伝統の宗教をそのまま持ち込むことなど有害無益です。伝統やその時代の風潮に埋没して肝心な核心部分を忘失することは論外ですが、どこかの長老みたいにそれを無視して純正なる教えとかいうものを押しつけてくるのも迷惑です。だいたい、その純正なる教えというのも、それが保存されてきた社会の歴史や伝統を背負っているわけですから。

それはともかく、部派仏教の時代(部派仏教の代表である説一切有部は紀元前2世紀に成立したと考えられている)には、出家者というのは寺院に定住するようになっていました。

まあ、だからこそ高度な仏教哲学が発達したのであり、皆が皆ホームレスみたいなことを続けていたとしたら、純粋な実践はある程度保たれたかもしれませんが、仏教が世界宗教になることはなかったでしょうし、小教団としてでも現代まで存続できたかは非常に疑問です。

そして、実は釈尊ご自身にその方向性の萌芽があります。真俗二諦の問題に関して、釈尊は、ご自身の出家修行者の集いの中においても、完全に世俗を拒絶しているわけではない、俗諦を排除していないという所以です。

釈尊の時代の出家はホームレスで、出家と在家の差ははっきりしていましたが、極端を離れて中毒を説く釈尊は、出家というホームレス生活についても、そのあり方に必要以上の厳格さは求めていません。多分、当時の異教徒の出家修行者からすると、基準が緩やかだったのではないかと思います。

それをほのめかすのが提婆達多(だいばだった)の問題です。提婆達多は釈尊に対する反逆者であり、生きながら無間地獄に落ちたとして知られていますが、実際には釈尊の緩やかな戒律に反発し、戒律の厳格化を目指して教団の改革を意図したということのようです。

提婆達多は、釈尊に対して「五事の戒律」を要求しました。その内容は、経典によって多少の異同があるようですが、Wikipediaから引用すると次の通りです。

1.人里離れた森林に住し、村邑に入れば罪となす。
2.乞食(托鉢)をして、家人から招待されて家に入れば罪となす。
3.ボロボロの糞掃衣(ふんぞうえ)を着て、俗人の着物を着れば罪となす。
4.樹下に座して瞑想すべきで、屋内に入れば罪となす。
5.魚肉、乳酪、塩を食さず。もし食したら罪となす。


説明すると、1は村の中に住むことを禁じるべきだということです。釈尊は、望むものは人里離れたところに住めばいいし、望むものは村の中に住んでもいいと認めていました。

2は、例えばお釈迦様も在俗の信者からたびたび家に招待され、接待を受けていますが、それを禁じるということで、あくまで托鉢で得たものしか食べてはならないようにするべきだということです。

3は、糞掃衣というのは、僧侶が身につける袈裟(けさ)の本来の意味です。ボロ切れを集めてきて縫い合わせ、一枚の布にしたもので、いわばボロ切れのパッチワークです(現代日本ではボロ切れどころか、金襴が使われたりして、何百万円とかもっとするようなのもあるそうですが…)。もともと出家者は財産になるものを持つことが禁じられていましたから、衣もこの糞掃衣だったのですが、釈尊は在家信者から布を布施された場合、それを着用することを許しました。これを禁じるように求めたわけです。

4は、精舎の問題です。釈尊は、有力な在家信者から精舎の寄進を受け(竹林精舎や祇園精舎、重閣講堂、鹿子母講堂などが有名)、雨期の四ヶ月間はそれらの精舎で修行するように定めていました。これをやめ、雨期であろうと屋外に居住して修行することを求めました。

5は、釈尊は魚や肉であっても、それを殺すところを見ず(不見)、聞かず(不聞)、わざわざ自分に施すために殺したという疑いがない(不疑)場合は食べてもよいとしていました。これを禁じ、一切食べてはならないとするべきだということです。

これを見ると、提婆達多は出家というものについての理想主義者・原理主義者であったということが伺われます。そして、釈尊はその要求を拒否したわけです。

とはいえ釈尊も、そういう修行のあり方を否定していたわけではありません。摩訶迦葉は徹底して頭陀行(ずだぎょう)を実践したことから頭陀第一と称されましたが、頭陀行というのは、上記のような厳格な出家者としての生活を維持することです。摩訶迦葉は五事の内容を厳格に実践していたわけで、釈尊はそのあり方を否定していません。

摩訶迦葉と提婆達多の違いは、摩訶迦葉にとっての頭陀行は、あくまで自分自身の実践であって他人に押しつけるものではなかったのに対し、提婆達多の場合は全員にそれを守らせることを意図したということです。そういう提婆達多の原理主義的な要求を釈尊は拒絶されたわけです。

釈尊があくまで中道に立脚し、執着をなくすことを目的としていたのに対し、提婆達多は厳格な出家のあり方にこだわっていた、あるいは釈尊と違って厳格な出家生活が解脱を実現すると信じていたということでしょう。

それはさておき、注目しておきたいのは、例えば在家信者の家に招かれて接待を受ける、在家の人から布施された衣の着用を許す、精舎の寄進を受け、雨期の間とはいえ、建物の中で修行することを許すというのは、完全な出家形態を求めているのではないということです。

もし、釈尊が提婆達多のように、厳格な出家教団としてのあり方を採用していたら、後世、寺院を中心として安定的な宗教活動が営まれるようになったかどうかは非常に疑問があります。当然、世界宗教に成長することもなかったでしょう(ついでに言えば、各地で土着の信仰や宗教を取り込み、習合した…それが可能な力があったという点も重要です)

釈尊は原理主義者ではなかったこと、また、南方上座部仏教を含む全仏教各派の僧侶の大多数は釈尊当時の出家者のあり方をそのまま実践しているわけではないということを確認しておくことは大切なことであろうと思います。

時代や社会的背景による変化はやむを得ないものであり、また、宗教がその土地に根付いていく上でも必要不可欠のものです。もちろん、習慣や時代の風潮に埋没しないよう、絶えず原点に戻って再確認していく作業は必要だということは言うまでもないことですが。

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鳩山邦夫氏

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