--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2010-03-19

社会からドロップアウトした名僧たち

これまで、釈尊の時代の出家というのは社会からドロップアウトしてホームレスになることだった、ということを書いてきました。それが、釈尊の時代、雨期のみ精舎で修行をするという形態をとっていたのが、年間を通して精舎=寺院に住むようになり、次第に出家=寺に入ること、という意味になったわけです。

仏教が広がっていく過程においては、気候の条件も違い、特に日本を含む極東やチベットなどでは、屋内に住んではいけないというのは非常に難しいことですから、釈尊と同じことをするというのは不可能です。

また、日本の場合、仏教の公伝当初より、僧になるというのは朝廷の命令によっていました(鎮護国家のために導入されたので)。特に律令時代になると、戸籍と租税の問題があるので、毎年、国家に認められた一定の人数しか正式の僧侶(官僧)になることはできませんでした。

律令制度は、国民全員の戸籍を作った上で均等に口分田を与え、租税を徴収するというシステムでしたが、僧になると口分田を受けず、租税を納める必要もありません。となると、自由に出家を許すと、国家のシステムに支障を来すことになります。

そのため、正式に僧侶になるには国家の認証を受け、得度に当たって度牒(どちょう)という身分証明書が発行されることになっていました。そして、一般人が民部省の管轄にあったのに対し、治部省の監督下に置かれていました。

ですから、日本の仏教というのは始まったときから社会の一部に組み込まれており、最初から出家=寺に入ることだったわけです。

とはいえ、鎮護国家の宗教としてはそれでよいのですが(私は仏教が鎮護国家のために活動することにまったく異論はありません。事実上在家のくせに、出家の論理を振りかざして、その実態は自分が財産や名誉を獲得するため汲々としている連中より、よほど有益です。無論、鎮護国家を名目にしながら、国家国民のことを忘れ、自分の財産や名誉を獲得するために汲々としている連中も困りますが)、仏教本来の目的を達成するため、あるいは大乗仏教の徳目である衆生救済を実践するためには、必ずしも僧侶として望ましいあり方とはいえません。

そこで、かなり早い段階から、正式な国家の許可を受けずに僧になったり、正式な僧侶(官僧)の身分を離れる「私度僧(しどそう)あるいは「遁世僧(とんせいそう)という伝統が生まれました。

ですから、日本にも出家=社会からのドロップアウトという伝統は脈々と受け継がれているのです。ただ、ホームレス(屋根の下に住まない)に関しては、やはりインドと違って屋外での生活は厳しいため、完全に家のない生活というのは困難ですが、それでも、それに近いことをしている人は少なからずいます。

まあ、私自身は、これは仏教の影響ばかりではなく道家や神仙思想の影響も大きいし、もしかすると、修験道のベースになった日本の土着宗教のようなものがあったかもしれないと思いますが、それはここでは論じません。

日本仏教の祖師の中で、社会からのドロップアウトとホームレス生活を実践したのは、真言宗の開祖・空海と時宗の開祖・一遍です。

空海は、大学寮で学んでいた19歳の時、一人の沙門(大安寺の勤操とも戒明ともいわれる)から「虚空蔵求聞持法」を授かり、大学をやめて山林修行に入っています。今で言えば、東大をやめて、自分探しの旅を始めるようなものです。

出家宣言の書とされる『三教指帰』に登場する仮名乞児(けみょうこつじ)は空海自身がモデルとされますが、文字通りの乞食坊主の姿で表されています。まあ、本当にそこまでみすぼらしい姿だったかどうかはともかくとして、文字通り社会からドロップアウトし、ホームレス生活をしていたわけです。

空海が正式に(国家の許可を得て)僧侶になったのは、唐に渡る直前の31歳の時ではないかと考えられていますから、10年余、完全に世俗社会の外にいたと考えられます。

一遍上人は10歳の時に一度出家し(この場合は寺に入り)、法然上人の孫弟子である聖達の下で学んでいます。25歳の時、父親が亡くなったために還俗し、実家へ帰って所領の経営を行っていますが、32歳で再び出家、寺には入らず、一所不住の遊行生活を死ぬまで続けました。

亡くなるときには「一代聖教皆尽きて南無阿弥陀仏に成り果てぬ」と言って、自分の著作を燃やしてしまったというぐらい、徹底した実践をしています。「捨ててこそ」という一遍の生涯は、実に出家本来のあり方を徹底したものといえるでしょう。

あるいは、臨済宗の大徳寺の開山である宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)は、師の南浦紹明(なんぽじょうみん)が亡くなった後、京の五条河原の乞食の中に入って托鉢と座禅の生活をしていました。花園法皇がその徳望を慕って五条河原を探させたけれども見つからなかったと言います。

そこで、宗峰は真桑瓜が大好物なので、瓜でつるとよいということになり、五条河原で真桑瓜を施与するというお触れを出しました。そして、乞食たちが集まってきたのですが、役人は瓜を差し出して「足なくして来るものに、これを与える」と言いました。乞食たちが戸惑っていると、一人の乞食が進み出て「空手にして出せ(手を使わずに出せ)」と言いました。

それで、その乞食が宗峰であることがわかり、役人に連れられれて花園法皇の許に召し出されたと言います。まあ、そういう偉い人の人間的なエピソードを知ると、なんとなく生きていく希望が湧いてくるような気がします。

そんなわけで、社会からドロップアウトした僧侶というのは日本の仏教史において珍しい存在というわけではありません。その元祖と言えば行基菩薩(ぎょうき ぼさつ)でしょうし、有名なところでは一休禅師や良寛和尚の名を挙げることができるでしょう。

そういう伝統の中でも、ホームレス生活を文字通りに実践した江戸時代の偉い禅僧がいます。風外慧薫(ふうがいえくん)桃水雲渓(とうすいうんけい)という方ですが、あまり一般には知られていません。

そこで、この二人のエピソードを紹介してみたいと思います(来週あたりから)

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

↓一日一回クリックしてくださった方には、きっと何かいいことが起こると思います。
人気ブログランキングへ

禅門逸話選〈中〉禅門逸話選〈中〉
(1987/12)
禅文化研究所

商品詳細を見る
スポンサーサイト

theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

こまいぬ

Author:こまいぬ
古今宗教研究所のブログです。

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ランキングに参加しました
人気ブログランキングへ
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。