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2010-03-26

桃水雲渓(1)

桃水雲渓(とうすい うんけい)は江戸時代前期の曹洞宗の僧で、藩主の菩提寺の住職にまでなるのですが、その立場を捨てて乞食(こつじき)生活に入り(というか、一時は文字通り乞食の群れに混じっていました)、「乞食桃水」と呼ばれた方です。風外慧薫(ふうがい えくん)が寺を捨てても僧侶であったのに対し、桃水禅師は僧侶であることすら捨てました(少なくとも外面的には)。

やはり、あまり知られてない方ですが、まとまった伝記が残っているためか、風外よりは取り上げられる機会が多いようです。

まず、その人生の概略を見てみます。

桃水が生まれたのは慶長17年(1612)筑前国(今の福岡県)柳川の商家で、両親は信心深い人だったといいます。家の仏壇に祀られていた阿弥陀様を外に持ち出して遊び、母親が銭と交換しようとしても言うことを聞かなかったりと、小さいときから普通ではないところがあったようです。「この子は商家にはふさわしくない」と、7歳の時、肥前国(現在の佐賀県)の円応寺の囲巌宗鉄(いがん そうてつ)のもとで出家することになりました。

15、6歳の頃になると、3日間の断食をしたり、寺の中庭で一晩中読経をしたり、2、3日寺に帰らず、一人で山に籠もって座禅をしたりということを繰り返したと伝えられています。

さらに、20歳の頃、寺を出て名僧知識に教えを求め、大愚、愚堂、雲居、沢庵、鈴木正三などに会っています。そして、再び囲巌宗鉄の許に戻ったのですが、この時、囲巌宗鉄は肥後国熊本の流長院に移っていました。

ここで囲巌に仕えること十年余り、その間に長崎に赴き、中国から黄檗宗を伝えた隠元禅師に会っています。そして、囲巌から法を嗣ぎ、請われて大阪の法巌寺の住職となります。さらに肥後の清水寺などを経て、島原藩主・高力左近太夫隆長に招かれて島原・禅林寺の住職となります。60歳前後の頃とされます。

禅林寺は高力家の菩提寺で、禅師の高名を慕って多くの僧が集まり、宗風大いにふるいましたが、5年後、忽然と寺を出奔してしまうのです。以来、京で乞食の群れに紛れ込んだり、大津で草鞋や馬沓を売ったりという生活を続けた後、最後は酢の製造販売をして暮らし、酢屋道全とか通念とか名乗ったといいます。

そのようにして7、8年ほど暮らし、天和3年(1683)示寂したと伝えられます。

60歳を過ぎてから、大名の菩提寺の住職という立場を放り出して乞食の仲間に入るという、文字通り社会からドロップアウトして、ホームレスになるということを実行したわけです。

乞食(こつじき)生活に入ってからのエピソードも興味深いのですが、そのような人柄は寺を出てからできたものではなく、それ以前に形成されていたのは当然です。ですから、住職時代にもいろいろなエピソードがあります。

後年の桃水の行動に至る内面を伺わせる話もありますので、まずはそのあたりから見ていきたいと思います。

大阪の法巌寺にいたころのこと。

肥後から平野某という浪人が、一家で大阪に移ってきました。しかし、初めての土地ということで、住む家もすぐには見つかりそうにありません。そこで、桃水を訪ね、泊めてくれるように頼みました。桃水は彼らを歓迎し、二十人ほどの大人数でしたが、寺への宿泊を快諾しました。

ところが、浪人に対する取り締まりの厳しい時代で、特に豊臣家のお膝元であった大阪は、武器を持った浪人を泊める場合は地元の役人を通じて町奉行まで届け出なければならない規則でした。これは寺も同じで、触頭(各宗派の窓口になる寺)を通じて町奉行に届け出なければなりませんでした。

にもかかわらず、桃水は無許可で20人もの浪人を泊めたわけです。それが町奉行に通報されたものですから、大変なことになりました。大阪の曹洞宗の住職一同が町奉行所に呼び出される事態になったのです。

奉行所に出頭する前日、集まった住職たちが桃水に、浪人たちはいつ頃からいるのかと聞くと、もう一月余りになるとのこと。これを聞いて、住職たちは桃水の無頓着さに頭を抱えました。そして桃水に、正直に答えるとどのようなおとがめを受けるかわからないと言い含め、明くる日を迎えました。

奉行所では、険悪な雰囲気を漂わせた町奉行が、法巌寺に武器を持った浪人が滞在しているというが、それが何日になるか正直に申せ、と問いただしてきました。しかし、桃水は、前日の約束があるので何も答えず、ただ平伏しているだけでした。

そこで、触頭の住職は奉行に対し、どのような噂があるかわかりませんが、一両日ほどのことに過ぎませんと答え、他の一同もそれに相違ないと答えました。それを聞いた奉行は非常に怒り、前月に浪人たちを見たという証言があることを述べ、虚偽の申し立てをすれば出家といえども容赦せぬと言いましたが、触頭の住職は前言を繰り返すばかりです。 

その時、桃水は顔を上げて奉行に言いました。

「今、触頭の申されたことは、昨晩のうちに相談したことを申し上げただけで、実は、先月中から滞在していたということに相違いありません」

奉行はこの正直な告白を聞いて、それ以上とがめ立てはせず、一同は赦免となりました。

それはよかったのですが、住職たちにしてみれば、自分たちの面目は丸つぶれです。それで、帰る道々、桃水の馬鹿正直さを批判しました。これに対して桃水は答えました。

「奉行が、正直に言わなければ出家といえども容赦しないと言ったのが怖かったので、正直に申したのだが、そうしたからこそ何事もなくてすんだではないか」

この話から感じられるのは、桃水は宗教者としては優れた資質を持っていたのでしょうが、世の中を要領よく渡っていく能力は持ち合わせてなかったのではないか、ということです。7歳で出家したというのも、両親がそういう性格を見抜いたからとも考えられます。

ちょうど、良寛和尚がまだ出家する前、実家の名主見習いとなった頃に、代官と漁民の間で争いが起こり、良寛が調停役になったのだが、漁民の代官に対する悪口をそのまま代官に伝え、代官の漁民に対する悪口をそのまま漁民に伝えて、問題がこじれてしまい、代官の譴責を受けたという話があります。それで、人を騙すのが利口といわれる世の中は間違っていると言って出家したという話がありますが、そういう面では似た面があったのかも知れません。

次回に続きます。

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おもしろい!

はじめまして!海外に住む者です。
桃水雲渓様のお話はじめて聞きました。
おもしろい方ですね~
一人声を出して笑ってしまいましたが、
自分の中にもこういう部分があるかも?
なんて感じました。反面、人どう思うか何時も気にしている自分もいる。。。 ここまで自分に正直に生き切れる人って凄い!何か素敵な人生だと感じました。

PS >↓一日一回クリックしてくださった方には、きっと何かいいことが起こると思います。  にも爆笑しました。 あ、クリックしましたよ^^   又、寄らせて頂きます!


Re: おもしろい!

>Mimi様

はじめまして。コメントありがとうございます。

桃水禅師は、一般にはほとんど知られていませんが、知っている人には
非常に人気のある方です。それは、私も含めて、Mimiさんと同じことを
感じるからだろうと思います。

自由に生きるというのは、実は本当に難しいことですよね。

これからもよろしくお願いします。
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