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2010-03-27

桃水雲渓(2)

桃水雲渓(1)

引き続いて桃水雲渓(とうすい うんけい)がまだ寺にいた時代のエピソードを紹介します。

これも、大阪の法巌寺にいた頃のことです。

当時、桃水は托鉢にいって、ある程度お米が貯まると、それを炊いて握り飯を作り、自ら乞食たちの集まる場所に行って分け与えました。また、お金が貯まると餅や団子を買い、乞食の子ども達に配りました。そういう布施行を月に十度ぐらいしていたといいます。それで、心ある商家の人たちは桃水の托鉢を待っていて、いつも余分に布施したということです。

こういう布施行・慈悲行は、寺を捨てた後の行動につながっています。

また、まだ熊本の流長院にいる頃のこととして、次のような話もあります。

ある日、桃水が破れた衣を着て、肥桶を担いで畑に下肥をやっていました(つまり、人の糞尿を撒いていたわけです)。

それを見た法兄の船岩和尚が、「清浄であるべき沙門が、糞尿を扱ったりしてはいかん。早くやめなさい」と言いました。

それを聞いた桃水は笑いながら答えました。

「そうなると、厠で用を足した後に尻をぬぐってもいけないということですかな? 人は誰でも不浄をぬぐった手で仏さんに合掌しますが、仏さんが罰を与えたという話は聞きませんよ。畑に肥をやったからといって、心まで汚れることはないでしょう。肥をやらなかったら茄子が痩せてしまいますわい」

まあ、無分別とか、とらわれやこだわりをなくすと言っても、ものによってはなかなか抵抗があるものです。ましてや、糞尿というと、なかなか浄不浄を問わず、とはいかないでしょう。糞尿を扱うのを汚れ仕事と蔑むのは、人間としてやむを得ない心理といえなくもありません。

しかし、考えてみれば、糞尿というのは自分を含む人間が排出したものです。汚いというのなら、まず自分がそんな汚いものを出すなという話でしょう。

因みに私は、父の独特な教育観から、中学・高校の頃、肥担ぎをやらされました(当時はまだ下水道がなかったので)。私の年代では珍しい経験だろうと思いますが、いざやるときは、自分も出しているのだと思えば我慢もできるものです。まあ、やってみれば、そういう汚れ仕事を卑しんだり蔑んだりはできないと思います。

しかし、当時の普通の僧侶は、学問をし、修行を重ねても、かえってそういう作業は寺男などにさせ、自分でやることはなかったのでしょう。桃水としては、ご立派な説法をしながらも、そういう生の現実を忘れてしまい、知らず知らずに高慢になってしまった僧侶たちに対する反発があったのではないかと思います。

これに似た話で、禅林寺の住職となったときの話があります。

禅林寺の前庭には、前住職の趣味でボタンやシャクヤクがたくさん植えてありました。前住職は大変花の好きな人で、花の盛りには客を呼んで酒宴を開いていたのでした。桃水は、禅林寺の住職になると自ら鋤をとって花園を掘り返し、その後に茶の木を植えたとそうです。

茶の木を選んだ理由はよくわかりませんが、茶は眠気を覚まし、心をすがすがしくして禅境を進めるということで、古くから禅宗で用いられ、日本での茶の普及も禅宗と深く関わっていました。道元禅師は「永平清規(えいへいしんぎ)」で茶礼(されい)作法を定めています。

ボタンの花と茶の木のどちらが禅寺(禅僧)にふさわしいかということを形で示し、無言の教訓を垂れたのではないかという気がします。

いずれにしても、当時の仏教界に対して、かなり不満を持っていたのではないでしょうか。しかも、要領よく権威や権力に自分を合わせ、巧く世渡りするのは好まない人物のようです。それが、寺を捨てて乞食生活に入る大きな動機になったのではないかと思われます。

住職時代のエピソードをもう一つ。

肥後の清水寺で住職をしているとき、熊本の高林・大用という二人の禅僧が訪ねてきました。到着したのは日暮れの頃だったといいます。桃水は大変喜んで二人を迎え、まずは夕食を準備しようということで、奥の部屋に入りました。

やがて奥の部屋から杵で臼をつく音が聞こえてきたのですが、いつまで待っても桃水和尚は現れず、杵の音が続くばかりです。待つうちに四つ時(午後10時)になったため、さすがにたまりかねた大用が戸の隙間から奥を覗きました。すると、襷がけになった桃水が、研ぎ鉢に入れた何かを、研ぎ槌で一生懸命ついていました。

「和尚様、何を作っているのですか」

大用が聞くと、桃水が答えました。

「あいにく米が切れてしまってな。村までは遠いし、夜中のことだし、仕方がないから托鉢でもらった大麦をついて、麦飯を作ろうと思っておるのだ。しかし、気ばかり焦って、なかなからちがあかぬわい」

二人は驚いて、「今から麦をついても、今夜の飯には間に合いませんよ」と言い、朝まで空腹を忍んで桃水の教えを受けました。そして翌朝、自分たちが持っている金を出し合って桃水に供養し、熊本の寺に帰ったそうです。

桃水禅師の人柄が偲ばれる話です。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

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参考まで

内藤辰雄著 「勤労の聖僧 桃水」を45回に分け全篇掲載しております。お暇な折にでも…

Re: 参考まで

ご紹介ありがとうございます。

ご挨拶もせずに申し訳ありませんでしたが、実は、しっかりと参考にさせていただいています。

今後ともよろしくお願いします。
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古今宗教研究所のブログです。

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