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2010-03-29

桃水雲渓(3)

桃水雲渓(2)

島原藩主・高力左近太夫隆長に招かれ、禅林寺の住職となった桃水雲渓(とうすい うんけい)ですが、ここまでの歩みを見ると、多少変わった言動があるとはいえ、ほぼ順調に「出家としての出世」をしているといえるでしょう。

桃水和尚が禅林寺にあること5年、その徳を慕う多くの修行僧や信者が集まり、寺は大変栄えました。その年の冬安居(冬期3ヶ月間の修行)の結制(安居を結ぶ、つまり修行に入ること)には120名余りの僧が集まったといいます。

ところが解制(安居を解く、つまり修行を終えて解散する)の朝、桃水は寺から姿をくらましてしまいました。弟子たちは寺の中を探し回りましたが、どこにも姿はありません。ただ、方丈(住職が生活している建物)の門に次のような偈(詩)を書いた紙が貼ってありました。

今日解制 大衆送行
老僧先出 東西任情


「今日は解制であり、参加した僧たちは出て行く。老僧(自分)はお先に出発する。行き先は気分任せ」というような意味でしょうか。

知らせを受けた高力隆長は、直ちに渡し場の舟を直ちに止めさせて捜索しましたが、桃水を見つけることはできませんでした。

さて、ここで疑問となるのが、なぜ桃水禅師は禅林寺の住職になったのかということです。桃水の気性や逸話を考えると、藩主の菩提寺の住職になったのは相応しくないのではないか、と考える人もいるようです。

島原藩主・高力家は4万石ですが、隆長の曾祖父・清長が三河時代から家康の側近として仕えたという譜代中の譜代大名です。

島原に転封になったのは父・忠房の代ですが、これは島原の乱で荒廃した島原地方を復興させるため、敢えて徳川家光が信頼する忠房を送り込んだとされています。忠房もその期待に応え、一年間の年貢の免除や領内への移民奨励策などにより、島原を復興させました。

しかし隆長は不肖の息子で政治には熱心ではなく、厳しい年貢を課すなど苛政を敷いたため、領民からは怨嗟の声が上がっていました。後には領民の訴えにより、改易になっています。典型的な暴君です。

禅林寺の住職となる前、桃水は島原の清水寺にいましたから、そのようなことを知らなかったはずはありません。しかし、それを知りながら、敢えて隆長の請を受け入れ、菩提寺の住職になったのはなぜかということです。

名誉や安楽な生活を望んだとは思われません。また、当然ながら高力隆長の人物を評価してということもありえないでしょう。むしろ、もっとも嫌いな類の人種だったと思われます。

では、なぜかということですが、これはやはり、領民たちを助けるためだったのではないでしょうか。

島原の清水寺にいた桃水は、その気性から考えて、苛政に苦しむ人々を助けるために心を砕いたと思われますが、一寺院の住職ではできることにも限界があります。

しかし、領主の菩提寺の住職として招かれるということは、その精神的な師としての役割を持つということでもあります。敢えて禅林寺の住職という立場を引き受け、それによって隆長に善い影響を与えて、多少なりとも領民の生活が楽になるのであれば、という気持ちがあったのではないでしょうか。

格式の高い寺の住職になるというのは、一般的に言えば名誉なことですが、桃水にとっては極めて不本意なこと、むしろ本来の気持ちからいえば避けたいことだったのではないかという気がします。

それは、自分の気持ちの問題だけではありません。桃水に対する評価には、学識や禅僧としての境地も当然ですが、清貧を貫き、権威になびかないという生き方に対する評価もあっただろうと思います。しかし、禅林寺の住職になったということは、それまでの生き方を捨て、名誉や経済的安定を選んだという目で見る人も少なからずいたはずです。

もし、それまでの清貧な生き方に見栄や体裁があったとすれば、とてもできない選択でしょう。領民の苦難を救うために、敢えて自分の価値観に反し、不本意な藩主の菩提寺の住職という立場に身を置くことにしたのではないかと思います。事実、桃水は隆長に対してたびたび諫言をしていたといわれます。

ただ、これも私の想像ではあるのですが、桃水の諫言は隆長に対して非常に気を使い、決して機嫌を損ねないものであっただろうという気がします。

そう考えるのは、まず桃水が出奔したとき、隆長が非常に驚いて、渡しを止めてまで桃水を引き留めようとしたことが一つの理由です。もし、隆長が桃水の諫言を煙たく思っていたら、そこまでして引き留めようとはしなかったでしょう。これは、隆長が桃水を非常に大切にしていたことを感じさせます。第二に、にもかかわらず隆長が行いを改めようとしていません。


つまり、隆長は何度も諫言されながら、それを煩わしく思って桃水を遠ざけるようなことはせず、だからといって行いを改めようともしていないわけですから、桃水が隆長の機嫌を損ねないように気を使っていたと考えられるわけです。

これもまた、愚直で正直であることを大切にし、権威的なことを嫌う桃水の生き方に反することです。

桃水が保身を考えたためのこととは思えません。むしろ、領民を救うために、敢えて不本意な接し方を選んだのだと思われます。あるいは、それ自体も一つの修行と考えていたのかもしれません。

こう考えれば、禅林寺の住職になったというのは、外見的にはともかく、内面的には、後に乞食桃水と呼ばれる人生を送ったのと何ら矛盾はないのではないかと思われるのです。

しかし、5年が経って、隆長が行いを改める可能性がないと見限ったのか、それとも我慢の限界がきたのか、いずれにせよ、これ以上寺に留まることに意味はないと思い、寺を抜け出すことにしたのではないでしょうか。

密かに寺を抜け出した桃水は、故郷・柳川に立ち寄って両親の墓に参り、それから山城国宇治の万福寺(黄檗宗の大本山)におもむき、高泉性敦(こうせん しょうとん)禅師の許に参じます。

それから、京都に向かい、乞食の群れの中に身を投じました。乞食桃水と呼ばれる後半生の始まりです。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

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超ブ酢だらけ!

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