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2010-04-03

苦労は買ってまでする必要はない

只今出張中。昨日までの投稿は出張前に書きためておいたものですが、それが途切れてしまいました。あいにく手元に資料がないので、今日は話題を変えたいと思います。

「苦労は買ってでもせよ」といいますが、本当でしょうか?

確かに世の中で偉くなっている人は、買ってでも苦労をした人が少なくないのでしょうが、世の中、みんながみんな偉くなる必要はないわけで(偉くない人がたくさんいるから、偉い人というものに存在価値があるわけです)、わざわざ買ってまで苦労する必要があるかということには非常に疑問があります。

むしろ、私たち普通の人間にとって必要なことは、大切なことは降りかかってくる苦労は避けるな、ということではないでしょうか。

私の知人で、大変責任感の強い女性がいて、それを評価されて責任のある立場におかれているのですが、配下の人たちがいろいろな動きをする、勝手に問題を起こして人間関係が混乱するということで大変苦労をしていました(下も女性ばかりだったので)。

もともと、その女性は人の上に立つようなことは嫌いな控えめな人ですので、そもそもそういう立場にあることが非常に苦痛であるわけです。しかも、細々したことまで気がつく、また、そこで些細なトラブルがあっても気になるというタイプなものですから、すっかり疲れていました。

自分がこういう立場にいていいのだろうかと相談してきたものですから、それは自分の幅を広げるためのチャンスとして受け止めるべきではないかとアドバイスしました。細々したところまで気遣いするのが彼女の長所ですが、以前から、それによって自分自身が疲れてしまっているところがあったからです。

立場がないときは自分だけの気疲れですんだのですが、責任者になると、気にかかることも多くなりますし、当人の気疲れが全体に与える影響も大きくなります。それで疲れてしまった彼女は、疲れたことを恨むよりも、自分はそういう立場にふさわしくないと考えていたのです。

しかし、それまでの自分のやり方ではどうしようもないときこそ、否応なく自分の考え方や行動を変えなければなりませんから、自分を転換させるチャンスになります。

降りかかってくる苦労というのは、言い換えれば、今の自分にとって必要な苦労です。必要な苦労は、わざわざ買いに行かなくても、向こうからやってくるものです。問題は、やってくる苦労を避けようとするところにあるのではないでしょうか。

特に信仰をしている人というのは、苦労を試練、望ましいこととして強調するような宗教であればよいのですが、基本的には苦労は善くないことという価値観を持っていますから(悪いことをしたから、望ましくない結果が起こったのだと考えがち)、信仰によって苦労から逃れる…できれば避けたいという傾向があるように思います。

苦労に対する見方を変えてみると、今、自分に十分な経験や能力がない事柄をしなければならない状況に追いやられていることということができます。自分に能力や経験があることならば、苦労とは感じないわけです。

とすれば、苦労というのは、今、自分にとって必要な幅を広げるチャンスだということでもあります。偉くなる人というのは、今必要でないことでも、先々のことを考えて自分の幅を広げるのでしょうが、私たち一般人は、今必要でないことで、自分がやりたいと思っていないことに取り組んでも、あまり効率が上がらないものです。

だいたい苦労というのは自分の苦手なことですから、効率が上がらないのは当然です。それでも、必要性に迫られているときは、否応なしにそこそこ効率が上がりますから、自分の苦手を克服するという意味ではいいチャンスだというのは、経験的に誰しも感じていることだろうと思います。

あるいは、努力してもいかんともしがたい問題が起きる場合もありますが、それは取り組み方の問題だったりもします。特に何でも自分でやろうとか、適度な休みを取らないという人に起こりがちです。

ならば、無理しない、人に協力してもらう、敢えて手出しをせずに傍観する、というように、やはり自分のそれまでのやり方を変えるためのチャンスにすればいいわけです。

いずれにせよ、苦労というのは自分が次の段階に進むために必要な課題であって、それを悪いものと受け止めるのはもったいない話です。

とすれば、大切なことは、自分に降りかかった苦労から逃げないということが大切で、「苦労は買ってでもせよ」というのは、それを強調するための言葉だと受け止めてよいのではないでしょうか。

特に宗教団体では、案外必要な苦労は避ける割に、不必要な苦労をわざわざ買ってまでさせることが少なくありませんから、注意が必要です。ついでに言えば、苦労を悪い現象ととらえる宗教団体には関わってはいけないというのも大切なことです。

件の女性ですが、自分の細々したところまで気にかかる性格に気づき、多少の問題は大きな問題にならない限り手出しをしない、物事を一歩引いて見るというように、考え方を少しずつ改めていくことで、ずいぶん気楽に仕事がこなせるようになったそうです。

さらに、ご主人や子ども達との関係も少し変わり、家庭の中も雰囲気が変わったということでした。

そういうように考えれば、彼女に降りかかってきた「責任ある立場に立たされる」という苦労は、やはり彼女自身に必要な内容であったということがわかります。彼女の課題を克服するために、そういう目に見える大きな苦労として現れ、それに正しく対処したとき、彼女自身が変わり、それによって家庭まで変わったということです。

苦労は買ってまでしてする必要はない、しかし、降りかかってくる苦労は絶対に避けてはいけない。そういう心構えが大切であり、偉くならないまでも、自分が幸せになっていくための秘訣であろうと思います。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

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