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2010-04-08

桃水雲渓(9)

桃水雲渓(8)

今日は灌仏会、お釈迦様のお誕生日です。しかし、それがらみのことは昨日少しばかり書きましたので、桃水雲渓(とうすい うんけい)禅師の話を続けたいと思います。

行巌雲歩(こうがん うんぽ)禅師が関わる逸話がもう一つ伝わっています。

雲歩和尚が江戸からの帰り、湯治のために一ヶ月ほど有馬温泉に滞在していた時のことです。

ある日、湯上がりに散歩をしていたところ、向こうから竹の棒を天秤にして、醤油徳利と十把ほどのネギを担いだ老人がやってきました。そして、雲歩を見かけると、「雲歩、湯治かな?」と声をかけてきました。

雲歩が驚いて老人を見ると、なんと二度と会うこともないだろうといっていたはずの桃水です。雲歩は喜んで尋ねました。「これは桃水和尚ではありませんか。今はどちらにいらっしゃるのですか?」

「この春から腰が痛くてな、ここで奉公をしながら湯治をしているのだが、人に使われている身ではなかなかゆっくり湯に浸かることもできん。どうだ、貴殿と一緒に湯に入れてもらえないかな」

もちろん雲歩に否やのあろうはずがありません。「それでは拙僧の宿にご一緒しましょう」

桃水は大変喜び、荷物を道ばたに置くと、雲歩と一緒に歩き出そうとしました。そこで雲歩は「その荷物は下男に運ばせましょう。どちらの宿に送ればいいですか?」と聞くと、「いや、その必要はない。こうしておけば、わしの帰りが遅いからといって、誰かが取りに来るだろう」平気な顔でそう言い、雲歩の宿へと向かいました。

桃水は「いいところで貴殿に出会った。これで腰の痛みの養生ができる」と上機嫌で、十日ほど一緒に湯治をしました。

ある日、雲歩が風呂に湯に入りながら「和尚は定めしたびたび改名されるのでしょうが、今は何と名乗っているのですか?」と聞きました。

「有安じゃ。三界無安(この世は苦労が多くて気の休まることがない、ということ)から思いついたのだ」桃水はそう言って笑いました。

また雲歩が「有馬へはいつごろいらっしゃったのですか。その前はどちらにいらっしゃいましたか」と聞くと、「去年から京の東山の庵に住んでいたのだが、湯治をしたいと思って正月の末にこちらにきたのだ。帰って、その庵に住むのも自由だ」と答えました。

またある夜、雲歩は「今も詩は作っておられますか?」と言い、自作の詩を示しました。桃水は横になってそれを見ていましたが、「そういえば、ずいぶんそういうことはしたことがないなあ。若い頃が思い出される」というと、詩を吟じました。

行脚昔年鬧利名 相依未尽老夫情
東山幸卜閑居地 来伴洛陽風月清

(行脚をしていた昔は名利を追い求めていたものだ。あなたと会って、昔のことが思い出される。京の東山に幸いにして静かに暮らすことのできる地を見つけた。訪ねてきたら、京の清い風月でもてなしましょう、というような意味か)

「まあ、だからといって訪ねてこられても、そこにいるかどうかはわからないがなあ」と言って笑いました。

その晩、二人は二回ほど入浴しましたが、翌朝になると桃水はいなくなっていました。以来、雲歩が桃水に会うことはなかったといいます。

桃水が詠んだ詩にあるように、このころになると、さすがに乞食と一緒に生活したり肉体労働をするのはきつくなっていたらしく、京都の東山の庵に住み、托鉢をして暮らすようになっていたようです。

この詩の中で私が感銘を受けるのは、やはり「行脚昔年鬧利名」すなわち、修業時代は名利を追い求めていたという一節です。

確かに桃水は禅林寺の住職に至るまで、曹洞宗の僧侶としての出世の段階をきちんと踏んでいます。その点では、むしろ雲歩のほうが住持の資格を得ることを断り、黒衣のままで衆生の教化に当たっていましたから、それとの比較というわけではないでしょうが、形として見たとき、名利を追い求めていたという見方もできないわけではありません。

しかし、大阪の法巌寺で托鉢したものを乞食に分け与えたという話や、肥後の清水寺で、客を迎えたときに米がなかったなどという逸話を考えると、一般で考えられるような「名利を追う」というのとは感覚が違う、もっと厳密なレベルから考えているのではないかと思われます。

個人としての求道を考えれば、名利を拒絶した生き方というのは素晴らしいことでしょうが、しかし、衆生済度ということを考えれば、お寺の住職さんというのも必要な役割です。大名や豪商も衆生の一種ですから、それらの人を導くためには、大寺院の住職もなくてはならない存在だと私は思います。

ただ、住職という立場は、うかうかしていると安逸に流されやすく、堕落の危険が大きいところです(新宗教の教祖などはもっとそうです)。宗教者としては名誉な立場というより、利他行のために厳しい修行をさせられている立場だとも言えるのではないでしょうか。

このブログでも「真俗二諦」仏法の究極的真理と世俗の真理ということについて少しばかり考えてみましたが、お寺の住職とか、教団の教祖などは、そのわきまえがもっとも強く求められる立場だろうと思います。

世俗の真理を心得ていなければ、住職や教祖といった役職をまっとうすることができません。しかし、そちらばかりに傾くと、宗教者としての求道の障害となります。誠実にこなそうとすれば、これほど厳しい立場はありません。

大津で雲歩和尚に「勤め方、大事にされよ」と言ったのも、そういうことではないかと思うわけです。

そして、桃水自身はそういうことを熟知した上で、自らの求道を極限まで突きつめようとしたのではないかと思います。しかも、それは僧侶としての出世を一通りこなし、衆生救済のために評判の悪い領主の菩提寺の住職まで引き受けるという、反対側の極限を通過した上での選択であったわけです。

まあ、そういう見方も私の想像に過ぎないわけですが。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

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