--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2010-04-16

「幸福の科学」考(3)中編

「幸福の科学」考(3)前編

幸福実現党の幸福実現党の2010年4月主要政策に見る幸福の科学の問題について、前回は「霊言」の問題を取り上げましたが、今回は「宗教立国」ということについて考えてみたいと思います。

この冊子の26ページから27ページに「2030年の未来ビジョン」というのがあり、5つの項目があげられています。その5番目が「宗教立国」となっていますので、引用してみます。

5.最高の幸福と繁栄を実現する「宗教立国」を目指します。

人間が尊いのは神仏の子であるからであり、基本的人権の根本には信仰があります。正しい宗教こそ国民を幸福にする基であり、宗教の尊厳を取り戻さなければなりません。
本来、宗教と国家は融合的であり、切り離すことはできません。
よい宗教とよい政治が連動したとき、国民にとって最高の幸福と繁栄がもたらされます。
幸福実現党は、宗教が尊敬される理想の国を目指します。


つっこめないところがないというぐらい見事な内容です。まあ、ありがちな内容ではありますが。

まず「人間が尊いのは神仏の子であるからであり、基本的人権の根本には信仰があります」という一文。統一教会にいたときにも、これと同じようなことを聞いた記憶がありますが、その影響を受けたというより、神の子・仏の子ということの意味を取り違えていることによる共通点ではないかと思います。

たしかに人は神の子・仏の子であり、尊い存在です。しかし、人間が尊いのは神仏の子だからだと言われると、「?」と思わざるを得ません。たとえ人間が神仏の子でなかったとしても、人間であるということにおいて尊い存在であるべきだと考えるからです。

神仏の子というのは、非常にわかりやすそうでいて、しかし、厳密な意味や定義を考えると極めて曖昧で難しいものです。私は、一つには自分を愛し尊び、同時に他者を愛し尊ぶための糸口、一つには神仏との親しさを確認するための糸口であって、人間という存在を分析した客観的事実のようなものではなく、生き方や価値観の問題すなわち主観的真実の問題だと思います。

例えば、人間は罪の子であるなどといって、本質的なところで自己否定的な人に対して、人間は神の子であるということを教え、自己の尊さを自覚させるというのは有意義なことです。また、他者をないがしろにする人に対して、どのような人でも神の子・仏の子であり、尊い存在なんだと教え、他者を尊重するきっかけにできれば、それも素晴らしいことです。

しかし、無神論者のヒューマニストで、人間を大切にしているという人だってたくさんいますし、そういう人に「人間が尊いのは神仏の子であるから」だなどと言ったところで、それは単に宗教や信仰の優位性を説くための言葉にしかなりません。

あるいは、宗教ならどの宗教でも「神の子・仏の子」と言えば受け入れられるだろうという、無知に基づく傲慢さも困ったものです。

例えば、キリスト教で「神の子」といえばイエス・キリストだけであり、一般人を神の子だなどとは認めないでしょう。

イスラームにおいては、神の子などという考え方は絶対に許されません。『クルアーン(コーラン)』の第112章(純正章)に「アッラーは自存され、御産みなさらないし、御産まれになられたのではない」(日本ムスリム協会版)とあるように、神の子などというのはないとはっきり説かれています。神は創造主、人間は被造物であって、その間には厳然たる区別があります。

だからといって、イスラームにおいては人間が尊ばれなかったり、基本的人権がなかったりということはありません。

確かに、近代西洋的な意味での人権という意味では、人権がないという言い方もあります。しかし、イスラーム世界にはイスラーム世界の人権があり、その価値観において尊重されています。というより、もっとも義務や権利について深い関心を持った宗教であろうと思います。

イスラームにおいては、人間と神が隔絶しているということを根拠として神の前に人間はまったく平等とされ、信徒・非信徒間の差別が皆無とはいえませんが、信徒内部においての差別は禁じられています。ですから、イスラームには聖職者がいません(その点では、キリスト教はもちろん、出家・在家の区別がある仏教よりも平等といえるでしょう)。また、非信徒に対しても宗教的寛容、保護と歓待が命じられています(それをどの程度守ったかは別にして)

今から500年くらい前の世界で考えれば、イスラームは世界でもっとも平等な宗教であり、だからこそ多くの人々が強制なしにイスラームに改宗したわけです(東南アジアのムスリムはたいていそうです)。

ですから、神の子・仏の子であることが、人間の尊さの必要条件ではありません。でもって、神の子・仏の子ということを客観的事実としてとらえるような人たちに限って、現実生活においては自己や他者を神の子・仏の子として尊んでいないものです。

だいたい人間はすべて神の子・仏の子ということを客観的事実として突きつめれば、地球霊団の最高指導者エル・カンターレが肉体を持って地上に存在するというのは極めて不都合な話です。人間と神仏の関係は直接的なものであり、その間に他者が介在すべきではないというのが、神の子・仏の子という考え方だからです。

というか、地球霊団の最高指導者エル・カンターレが肉体をもって地上に存在するということ自体が、基本的人権と対立すると私は思うわけです。

「正しい宗教こそ国民を幸福にする基であり、宗教の尊厳を取り戻さなければなりません」

「国民」を幸せにするのは「よい政治」です。まあ、よい政治が宗教的背景を持つこともありますが、正しい宗教が政治を誤らせることもあります。なぜなら、ここで「真俗二諦」すなわち宗教的な真理と世俗的な真理の違いという問題が立ちはだかるからです。

また、宗教の尊厳は政治によって取り戻すようなものではなく(また、そんなことで取り戻されるようなものでもないでしょう)、宗教者自身の努力・精進によって取り戻されるものです。こんなことを政策に掲げると、要は幸福の科学の国教化が目的化と思われるだけです。

「本来、宗教と国家は融合的であり、切り離すことはできません」

これも困ったものですが、次回に回します。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

↓一日一回クリックしてくださった方には、きっと何かいいことが起こると思います。
人気ブログランキングへ

コーラン 上   岩波文庫 青 813-1コーラン 上 岩波文庫 青 813-1
(1957/11)
井筒 俊彦

商品詳細を見る


聖クルアーン―日亜対訳・注解 (1982年)聖クルアーン―日亜対訳・注解 (1982年)
(1982/12)
三田 了一

商品詳細を見る
スポンサーサイト

theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

こまいぬ

Author:こまいぬ
古今宗教研究所のブログです。

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ランキングに参加しました
人気ブログランキングへ
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。