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2010-04-20

統一教会談議(中編)

統一教会談議(前編)

前回は、A氏が、統一教会の問題は、文鮮明氏の弟子たち(つまり統一教会の幹部たち)が、文鮮明氏の教えを理解せず、自分に都合よく誤解・曲解することによって、教会をサタン圏にしてしまったことにあるという主張をしたところまで書きました。

つまり、A氏の主張では、文氏及びその教えは正しいが、幹部がそれを理解していないために、組織はまったく間違ったものになった。教会員が教会に失望するのはしかたがないが、それが文氏や教えの間違いにつながるとはいえないという立場です。

それに対して、B氏が猛然と「責任」という観点から反論し、私もやや違う立場から、同じく「責任」の問題を論じました。

まず、B氏は自分がもともと統一教会や文鮮明氏に懐疑的だったわけではなく、人並み以上に理想に燃え、『原理講論』も42回読み、御言も読んで、言われることを実践し、納得ができないことは教えを請うために人を求めていったという歩みがあったことを最初に断りました(確かにそれは私も知っており、初めて出会った頃は信じたい心と信じられない心が葛藤している最中でしたが、それでもかなり熱心で真摯な信仰を持っていました…それだけに葛藤も大きかったのでしょうが。その後、統一教会はインチキであるというスタンスが明確になっていきました)。

わからないことがわかるようになると、そこからさらに大きな疑問が生じてきます。それが解決すると、またさらに大きな疑問が起きます。しかし、教会内部で質問すると、「それは考えてはいけない」という回答が返ってくるというわけです。教会の幹部たちは、自分も信者も思考停止状態に置くことによって、組織を維持しようとしていたからです。

※私は、そればかりではなく、単に幹部たちにもわからず、答えようがなかったという要素も大きいと思います。そもそも、統一教会の教えは俗諦レベルにとどまるものですから、その範疇を超える問題には答えようがありません。ただし、俗諦レベルにとどまるからこそ、一見わかりやすく、もっともなもののように見えるわけです。

しかし、B氏はそれでも追求を続け、教えの整合性を維持しようとしているうちに、ふと、もしすべてがインチキであったと仮定したら…ということを思いついたのだそうです。そして、恐る恐る「すべてがインチキである」という前提で考えると、見事にすべてのつじつまが合ったというのです。

それと同時に、日本の統一教会では、文鮮明氏の真意を巡って、いろいろな信者が文氏の言葉からさまざまな解釈を引き出しているのですが、本当に本人がそういう意図で発した言葉かどうか、誰も確認していないということに気がついたそうです。

そして、どうも日本人には、言葉を発した本人が深く考えずに言った言葉から、本来の意図にはない深い意味を汲み取ってしまっているのではないか、それが文鮮明氏の真意として信じられ、勝手に感心している可能性があるのだが、それは非常に危険ではないかというわけです。

このあたり、内田樹氏が『日本辺境論』で書いていた、辺境人の「学び」は効率がいい、という内容にもつながるなあと感心しました。

そして、B氏も統一原理や文鮮明氏の教えに魅力があることは認めます(私も条件付きで認めます…宗教を深く学んでないけれども、関心や多少の知識がある人にとっては極めて魅力的です)。少なくとも、一見すると首尾一貫しており、非常に納得できる内容が説かれているからです。

※まあ、私に言わせれば宗教的に無知だから(過去の自分自身も含めて)ということになるのですが、しかし既成のキリスト教などより納得できることは間違いありません。なぜなら、深く宗教を知らない現代人にとって、キリスト教で納得できない部分を合理的に(常識的に、とは限らない)説明しようとする意図から始まっているからです。

しかし、B氏は、それこそがインチキであることの根拠になりうるとします。

というのは、彼は教会を離れた後、仕事上などで何度も詐欺師に騙されたのですが、詐欺師に共通するのは、まったくインチキ臭さがない、とても詐欺師とは思えないことだというのです。それは当然で、詐欺師らしければ詐欺などできません。そして、話の内容も首尾一貫し、きちんとしている(ように見える)というわけです。

そのような体験を通して悟ったことは、世の中にはそういう人種、つまり最初から騙そうとしている人たちがいるという事実でした。そして、彼らは結果に責任をとろうとはまったく思っていないので、もっともらしいことをいくらでも言えるのだ、自分の思うとおりに物事をコントロールするためなら、どんなことでも平気で言えるのだということだったそうです。だから、コロッと騙されてしまう。

もし、最後まで責任をとるつもりがあれば、自ずから話せることは限られてしまいます。最初から責任を持とうとは思っていないので、どんなことでも言えるわけです。

それがわかった時、B氏は「同じだ!」と思ったといいます。

大勢の人たちが希望と理想に燃えて統一教会に入ってきたにもかかわらず、それらの人たちの大半は悲惨な状況にある。一部の良心が欠落したような人たちだけがうまい汁を吸っている。しかし、常にもっともらしいことを語り続けて人を引き寄せた文氏は、それに対してまったく責任をとろうとしていません。

とするなら、最初から文氏は責任をとるつもりなどなかったと考えると、すべてのつじつまが合うというわけです。

そして、文氏を擁護する人たちが言うように、組織は間違っているけれども文氏は正しいと仮定すると、統一教会の末端で起こっている悲劇について誰が責任を取るのか、ということが問題になると指摘します。

弟子たち(幹部たち)が悪いためにさまざまな問題が起きているのだとしても、文氏を別格の存在として責任がない立場に置くと、その下の誰も責任を取ろうとしませんから、自己破産だの自殺だのまで起きている事態に対して、末端にいる当人たちが責任を被るしかなくなります。

でも、それなら、人類でもっとも優れた資質を兼ね備えたはずの真の父・メシアが責任を取らないのに、もっとも末端の弱い人たちに責任が取らせるというのは酷だし、責任を取れるはずがないではないか、それでいいのか、というわけです。

そして、幹部たちがみんな金集めに狂奔し、その結果として末端信者が苦労しているわけですが、それは本当に幹部の独断だったのか、本当に文氏の指示はなかったのかということについては疑問が残るとします。文氏が指示が一切ないのに、すべての幹部が献金集めに走るということがありうるか、ということです。

さらに、文氏の指示ではないとした場合、末端信者の悲惨な状況に対し、真の父母・救世主であるはずの文氏が、組織の状態を知らなかったのだとすると、知らないという点で文氏は無能だということになりますし、組織の状態を知っていたけれども、それを改めなかったとすると、過ちを改めることができないという意味で、やはり無能だということになります。どちらに転んでも無能だというわけです。

B氏は、文氏と教えが正しいと擁護する人たちは、組織が悪い、誰が悪いということは言っても、末端信者の悲惨な状況に対して誰も責任を取っていないという現実に対しては誰も正面から向き合っていないと糾弾します。分派を含め、いろいろな人と話したけれども、誰もその一番見たくない現実は見ようとしない。

なぜなら、文氏と教えが正しいという前提を維持しようとしたとき、他のことについてはどんな屁理屈でもつけることができますが、その悲惨な現実に対してだけは答えの出しようがないからです。

もし、文氏が本物であるというのなら、自ら責任を取るべきであろう。また、文氏が正しいと主張するのであれば、そう主張する人が自ら文氏の身代わりとなって責任を取り、文氏を守ろうとするべきではないか。それを誰も責任を取らずに、末端の信者がバタバタと倒れているというのはおかしい。

文氏を擁護するのであれば、その問題に正面から向き合うべきであって、それをしないのであれば、どれほど立派なことを言っても現実逃避に過ぎないというのがB氏の主張です。

そして、その現実に正面から向き合えば、詐欺師が徹頭徹尾もっともらしいことを言い続けるように、文氏には最初から責任を取るつもりなどなく、出発点(すなわち動機)からすべてがインチキだったと解釈するのがもっとも合理的な結論だろうということになるわけです。

これに対し、A氏はそれはその通りで、一切反論のしようがないと答えました。だからといって、ご自分の考え方が変わったわけではないようですが。まあ、ご本人がその答えを求めて模索している最中ですから、結論を押しつけられてもという感覚もあるのだろうと思われます。

ということで、私の考えは次回に…

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わが父 文鮮明の正体わが父 文鮮明の正体
(1998/11)
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