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2010-04-29

昭和の日に思うこと

昭和の日、おめでとうございます。我々が生まれ育った頃は天皇誕生日、平成になって「みどりの日」となり、平成19年より「昭和の日」となりました。

祝日法では次のように定義されています。

昭和の日 四月二十九日 激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす。

激動の昭和とはいえ、私は高度経済成長を遂げた最後の三分の一しか知りません。物心がついた頃、うちのテレビはまだ白黒でしたし(祖父母のところにはカラーテレビがありましたが)、小学校に上がる頃まで自宅に電話がありませんでした。隣に住んでいた伯父さんの家には電話がありましたから、我が家に用事があるときもそちらに電話してもらい、わざわざうちまで呼びに来てくれていました。

考えてみると、のどかな時代でした。

当時は、伯父が田んぼで米を作っていましたが、田植えと稲刈りは親戚中総動員ということになっていました。あれも一種の教育だなあと思うのですが、小さい子どもも子どもなりに、手伝いというか、手伝いの真似事をしていたものです。

しかし、来年から私も田植え・稲刈りをするという年に機械を導入したため、田植えも稲刈りも真似事をしただけで、本格的な作業というのはしないままになりました。まあ、それでも稲刈りや脱穀の時に稲を運んだり、ということはしましたが。

稲刈りは非常にやりたかったのですが(刃物に関心を持つのは子どもの習性ではないかと)、正直、田植えをせずにすんだのは、子供心に嬉しかったものです。というのは、田植えにはヒルがつきものだというイメージが強かったもので。

裸足で泥の中に足を突っ込むのですが、あの何とも言えないモニャモニャとした感触はいいとして、急に足が痛くなったかと思うと、ヒルが吸い付いているのです。あれは本当に嫌でした。

考えてみれば、ああいった作業が親戚や地域の絆を維持する上で大きな役割を果たしていたのでしょう。田植え、稲刈り、あるいは餅つきや味噌造りなど、共同でする作業というのは一族の年中行事になっていました。別の仕事を持っていても、予定を合わせて一族全員が参加していたものです。

日本のような稲作社会では、自分たちが生きていくために共同で作業をしなければなりませんでした。国民の大半は農家であり、農業、特に稲作に従事するかぎり、仲間とうまくやっていくことは必須条件でした。

日本人の道徳水準が高い、民度が高いというのも、共同体を維持することが自分たちが生きていくためには不可欠であり、そのためには、お互いの人間関係を円滑に保たなければならなかったという面が大きいと思われます。

そういう必要性がなくなった現代日本において、さらに道徳や倫理の教育を破壊しようとする勢力があるのですから、いろいろ不具合が生じるのは当然のことです。

ただ、社会構造の変化ということを考えたとき、単に道徳教育を復活しただけで問題が解決するかというと、そういうことでもないと思います。

確か勝海舟だったと思いますが、明治になって武士道が廃れたと意見に対して、江戸時代はそれで武士は食べていくことができたけれども、今ではそうはいかないのだから、武士道が廃れるのはしかたがないというようなことを言っていました。

そういう意味では、道徳の実践が、結局は自分のためになるという価値観と実際のメリットを提示しなければ、復古的な観点からのみの道徳復興は難しいだろうと思います。しかも、それは孤立した日本という価値観の中だけではなく、世界の中で有効ということを示さなければならないわけです。

道徳や宗教の難しいところは、東洋医学と同じで、本質的だけれども即効性ではないというところです。目先の損得を考えれば、ホリエモンのように法や慣習の抜け道を悪用して、自分だけ設けることを考えたほうが得ですし、世間的にもアピールできます。

しかし、それをする人間が増えれば、当人たちを含む全体が損なわれるわけです。その典型が金融資本主義であり、その末路が現下の世界的な経済の混乱です。マスコミの報道だけを見ていれば、既に世界は回復しつつあり、中国などはめざましく成長しているかのような感じですが、ギリシャの問題を見てもわかるようにまだまだその実態は明らかではなく、とてもこれで治まったとは思えません。

もし治まったとしても、金融資本主義はその性質上、必ずバブルを作り出しますし、バブルは必ず崩壊します。こんなことを繰り返していれば人類は疲弊してしまうでしょう。

そのあたりにこそ、道徳や宗教的価値観を取り戻すきっかけがあると思います。

実際、宗教に対する関心はますます一般化しているようで、月刊宝島の先月号は新宗教の特集、先日発売されたプレジデントの別冊は「「宗教と寺社仏閣」大図鑑と銘打ち、新宗教も取り上げられていました(寺社仏閣…よく見かける間違いですが、出版社の刊行物で見るとは思いませんでした。国語力の衰退でしょうか。正しくは神社仏閣、寺社仏閣ではお寺が重複してしまいます)。

1月にはSAPIOも新宗教の特集を組んでいましたが、伝統宗教はともかく、これほど連続して一般の雑誌に新宗教の特集が組まれることはあまりなかったように思います。

善くも悪くも宗教が関心を集めているのでしょう。

「国の将来に思いをいたす」

宗教というのは政治や経済に劣らず、社会に影響を与える力を持っています。昭和の日に当たり、今後とも国の将来、ひいては世界の将来に思いをいたし、宗教には何ができるのか、宗教はどうあるべきかということを考えていきたいと思います。

本来なら昭和天皇のことなどを書くべきところでしょうが、すっかり思わぬ方向に進んでしまいました。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

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