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2010-04-30

大岡越前守と池上本門寺の門

先日、東京都大田区池上の長栄山本門寺、通称池上本門寺に参拝しました。平成17年以来、二度目の参拝だったのですが、前回はちょうど大堂の改修中だったため、写真を撮り直したいと思っていたのです。



天気も上々、言うことなしでした。ただ、さすがに参拝者が多いので、どうしても写真に人が入るのはしかたのないところ。

因みに、前回の参拝時はこうでした。



池上本門寺は日蓮聖人の入滅の地として知られる日蓮宗の大本山で(厳密には、麓にある大坊本行寺の「ご臨終の間」が、日蓮聖人が亡くなった場所とされる)、日蓮宗の宗務院もこちらに置かれています。

先の大戦の空襲で大堂をはじめ多くの建物が失われたのですが、いくつかの建物は焼失を免れました。その一つが五重塔で、関東の五重塔ではもっとも古いものだそうです。



しかし、今回、一番見たかったのは、実は池上本門寺の門でした。

大岡裁きで有名な大岡越前守忠相が寺社奉行になってからの話です。

因みに大岡越前守といえば町奉行として有名ですが、町奉行は旗本がなるのに対して、寺社奉行は大名でなければなれません。後に領地が増えて大名にはなりますが、当時の大岡忠相はまだ旗本でしたから、寺社奉行になるというのは破格の昇進でした。いかに将軍吉宗の信頼が厚かったかがわかります。

それはさておき。

「宗論はどちらが負けても釈迦の恥」といいますが、特に日蓮・法華系と浄土系は、『宗論』という狂言もあるぐらい犬猿の仲だったようです。仕掛けたのは「念仏無間」と言った日蓮聖人のほうでしょうが、念仏側も負けていなかったようで、狂言の『宗論』では浄土僧がしつこく宗論をしかけています。

さて、ある時、何者かが池上本門寺の門に「南無阿弥陀仏」と書いた紙を貼り付けていました。これを見つけた本門寺の僧徒は大いに怒り、直ちにはがして、ズタズタに破り捨てました。

ところが、一日二日もすると、また「南無阿弥陀仏」と書いた紙が貼り付けられています。怒って破れば、また貼っている。いつまで経っても同じことの繰り返しで、ついに寺社奉行の大岡越前守のところに訴え出ました。

これを聞いた大岡忠相、慌てもせずにニッコリ笑うと「なんとも奇怪な悪戯よのう。よしよし、試しにこれを貼っておくがよい」というと、筆を執り、「西方の主と聞きし阿弥陀仏 今は法華の門番ぞする」と書いて渡しました。

本門寺の僧徒は大いに喜び、これを門に貼り付けておいたところ、ぴたりと悪戯が止んだということです。

さすが大岡裁きというところでしょうか。

それで、問題の門ですが、池上本門寺の門というと、総門と三門(仁王門)の二つがあります。総門は石段の舌の境内入り口、三門は石段の上にあるのですが、問題の門がどちらかはわかりません。

こちらが三門ですが、戦災で焼失し、現在のものは戦後に再建されたものです。



そして、こちらが総門。悪戯として効果的なのは境内の内部になる三門でしょうが、実際には危険が多いですから、総門のほうだったのではないでしょうか。



戦災を免れた数少ない建築物の一つで、元禄年間に建造されたものだろうとのこと。とすると、この門に何者かが悪戯し、大岡忠相の狂歌が貼り付けられたということになります。

それにしても、何かと真正面からの批判や攻撃が多くてギスギスした現代、大岡越前のようなひねりのきいたやり方を見習って、もう少し生きやすい世の中にしたいものです。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

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