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2010-05-06

六根清浄の大祓(4)

六根清浄の大祓(3)

六根清浄の大祓(古今宗教研究所)

人は則ち天下の神物なり 須らく静謐を掌るべし

前回は「人は則ち天下(あめがした)の神物(みたまもの)なり」について、人間は誰しも神様の分霊(わけみたま)をいただいた尊い存在であるということだというところまで説明しました。

その尊い存在である私たち人間が何をしなければならないかというと「須らく静謐(しずめしずまること)を掌るべし」ということです。

文字通りに解釈すると、「静謐(せいひつ)」は静かで安らかなこと、特に世の中が静かに治まることと辞書にあります。「四海静謐」というと、世の中が平和であることです。「掌る」というのは「司る」と同じで、辞書には「官職として担当する。その事務に当たる」とあります。

つまり、「神の分霊をいただいた存在として、世の中を静かで安らかにする役割を果たすべし」ということなのですが、祝詞全体から考えて、少々大げさな気もします。

これについて、柄澤照覚氏は静謐(しずめしずまる)とは精神を静謐にすることを言っているとします。心は、外からの刺激や情報、あるいは自分の中のさまざまな考えや感情などにとらわれやすく、それによって動揺しやすいので、心を静かにするよう努めるのが神道の基本であるというわけです。

私たち人間は天下の神物、すなわち神様の分霊をいただいた尊い存在であり、無限の可能性を持っていますが、心が動揺していたのでは、とうていその力を発揮することはできません。

武道家でも、スポーツマンでも、動揺したり緊張したりしていては能力を発揮することができません。心を静かにする、さらに無念無想といわれる状態になったときに、普段以上の力を発揮することができます。

あるいは、日常生活で実感するほどのことは滅多にありませんが、さまざまなトラブルや危機に陥り、絶体絶命と思われるようなとき、このことを実感させられます。私たちは神様の分霊をいただいているのですから、どのような危機や試練でも、それを乗り越える(あるいはやりすごす)だけの力があります。

神仏は絶対に自分が乗り越えられないような試練は与えませんし、どれほど困難に見えることでも、必ずそれを越えるための道が準備されています。

ところが、動揺したり緊張したりしていると、神様から与えられている力を発揮できなかったり、準備されている道を見落としたり、やらなければいいようなことをやったりして、自分で自分の首を絞めることになります。

神仏が私たちを導くといっても、事前にどういうことが起こるかなどは知らされません。滅多に私たちが思っているとおりにはならないどころか、往々にして私たちの思いを裏切るような形で展開するものです。

以前、知り合いの女性のご主人がリストラになりました。リーマンショックの頃で、しかも田舎ですから、職探しは大変だったのですが、こういう試練も何か意味のあることだと考え、一切夫を責めることをせず、逆にこういう機会にしかできないことをしようということで、家族で旅行に行ったりしたそうです。

ご主人のお母さんというのは、人並み以上にキチッとした性質の人なものですから、大変心配し、自分の息子の性格はわかっているのでしかたがないにしても、奥さんが焦らないのは問題ではないかとやきもきしていたそうです。

それがストレスになって、体まで具合が悪くなってしまい、病院に行くことになりました。そこでお医者さんに嫁の苦情を言うと、逆に「そんないい奥さんは滅多にいない」と言われたそうです。

そこでハッとして、他の友人などにもそのことを話すと、みんな、一人の例外もなく、いいお嫁さんだと褒めます。もともと性格がかなり違い、しかも互いに気性のきついところがあるので、結婚当初ほどではないにしても、いろいろ思うところがあったようですが、みんなからそう言われて完全に見方が変わり、ああ、このお嫁さんに任そうと思ったそうです。

そうするうちに、職業訓練学校に行かないかという話があり、そこでの成績が優秀だったので条件のよい就職先を紹介され、40人中1人という倍率を突破して、就職することができました。

実は以前の職場は本人にとっても非常に不本意な職場で、仕事に行くことががストレスになっていたのですが(だから、リストラになってもそれほど悩まなかったらしい)、今度の職場はやりがいもあり、給料も以前より上がって、本当によかったと家族ともども喜んでいるそうです。

その上、お姑さんが彼女を見直し、息子のことも孫のことも全面的に任せようというようになったので、嫁姑関係も非常に円満になったといいます。試練を通して、思いもかけない幸福がやってきたのでした。

人間としての小さな考えや力でジタバタしても、決してこんなことにはならなかったでしょう。ある意味、流れに任せた結果としてそうなったのですが、それができたのは、彼女が自分の心を動揺させず、また、家族や関係者の心も動揺させないようにしたからです。

彼女は特に信仰をしているわけではありませんが、そういう世界には非常に関心があり、江原啓之氏などの影響を受けており、また、信頼している拝み屋さんもいるようです。ごくまれに、私にも意見を求めてくることがあります。そのあたりから、すべては意味のあることだという考え方を持つようになり、それが支えになったようです(江原氏についてはいろいろな評価があり、また、その霊能力については思うところもありますが、彼の説くところによって支えられている人もたくさんいますから、その点では高く評価しています)

私もその話を聞いて非常に感心したものですから、彼女に「よく、そこまでできたねえ」と言いましたら、本人が言うには、やはり内心では相当の葛藤があったそうです。しかし、ここで自分が騒いだところでどうなるわけでなしと思い、夫を責めたり、家の雰囲気が暗くなったりするようなことは一切するまいと心に決めたのだそうです。

それでも、大変だったと言っていました。

自分の頭で考えれば、絶対に不都合だというような展開を通して、自分が思ってもいなかったような好都合な結果になったわけですが、しかし、その最中に結果が知らされているわけではありません。過去を振り返らず、先々を心配せず、ただただ自分の心を静め、周りの心を明るくするように努力しながら、その時その時を(必ずしも一生懸命ではなく)生きていった結果、自分たちでも期待していなかったような結果になったわけです。

これこそ見事な「須らく静謐を掌るべし」の実例であろうと思います。

次回に続きます。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

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ステキなお話ですね。
いざとなった時、心を静めるのがいかに難しいか。日々感じています。

ステキな奥様ですね。

本当の強さ

>chiharu様

私も、この話を聞いたときは本当に感心しました。

人にもっともらしいことを話したりするタイプでないどころか、どちらかというと自分はダメだと思っている自己評価の低い人なのです。それだけに、本物だなあ…と思いました。

大上段に構えないで、できることをやっていこうというのが本当の強さになるのかもしれませんね。

私なんか、偉そうに言っていても、まだまだです。
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