2010-05-08
総社六所宮(大國魂神社)

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5月5日は大国魂神社(東京都府中市)のくらやみ祭でした。
平成15年から昨年までは府中に住んでいましたので、特に用事がないかぎりは3日の駒比べ、4日の山車行列、5日の神輿渡御、6日早朝の神輿還御と見にいっていました(参考:平成15年のくらやみ祭)。今年はどうしたものかと思ったのですが、やはり、御先払いの太皷の音を聞かないと落ち着かないということで、5日の神輿渡御のみ見てくることにしました。
六張りの大太鼓が神輿の先導をするのですが、その先頭を進む御先祓大太鼓は皮の直径が約2m、刳り抜き胴の太鼓としては日本でも最大級の太鼓です(昭和60年にできた当時は日本一だったとか)。
五・六之宮の御太鼓。この人は、今回見た中でもっとも力強い打ち方をしていました。直径1.87mで、大国魂神社の太鼓では2番目の大きさです。
さて、タイトルを「くらやみ祭」としていないように、今日はくらやみ祭そのものを取り上げようというのではありません。大国魂神社は、江戸時代までは総社六所宮、あるいは六社明神と呼ばれたように、武蔵国の主だった六つの神社の神様をお祀りしています。
大国魂神社というのは、御祭神を見ればわかるように複雑な成立をしていると考えられています。
まず中殿には大国魂大神(おおくにたまのおおかみ)・国内諸神・御霊大神(ごりょうのおおかみ)、東殿に一の宮小野大神(おののおおかみ)、二の宮小河大神(おがわのおおかみ)、三の宮氷川大神(ひかわのおおかみ)、西殿に四の宮秩父大神(ちちぶのおおかみ)、五の宮金佐奈大神(かなさなのおおかみ)、六の宮杉山大神(すぎやまのおおかみ)を祀るとされます。
主祭神の大国魂大神は、武蔵の国土を神格化した国魂神(くにたまのかみ)ですが、後に大国主命と同一視されるようになります。社伝によれば武蔵の国造が代々奉仕したとされています。律令時代になると、この地に国府が置かれたことから国衙(国府の役所)の斎場とされ、国司が奉仕して国内の祭務を総括するところになりました。
当時、国司にとっては国内の神々をお祀りするというのが重要な仕事でした。しかし、国全体を巡拝してまわるのは大変ですから、平安時代の中頃になると、国衙の近くに国内の神々を勧請してお祀りしました(つまり、それぞれの神社の分霊を一ヶ所にまとめてお祀りし、一度にお祭りができるようにしたわけです)。これを総社といいます。
国によっては総社として新しい社殿を建立したところもありますが、すでにある神社に合祀したケースもあり、武蔵国の場合は大国魂神社に合祀して総社としました。これが、中殿に祀られている国内諸神です。
さらに、国内の主だった六つの神社を国衙に勧請し、六所宮・六所神社と呼ばれるようになった神社が各地に残っていますが、その中には総社に六所の神を合わせ祀った場合もあります。武蔵国もその一つで、当時、武蔵国内で有力であった六つの神社の御分霊を祀っています。それが一の宮から六の宮までになります。
大国魂神社は総社で、かつ六所宮であったことから総社六所宮と呼ばれるようになったわけです。くらやみ祭は、もともと国府祭といって、これら国内の主だった神々を祀る国府の神事でした。
鎌倉時代には、それぞれ元の神社から神輿が集まっていたようで、府中市の人見稲荷神社は氷川神社の御旅所であったという板碑が見つかっているそうです。その伝統を復興して、江戸時代から昭和三十年代まで多摩市の小野神社の神輿が参加していました。
因みに相模の国府祭では、現在でも六社を出御した神輿が集まりますが、相模に比べて範囲の広い武蔵の場合、特に秩父神社や金鑚神社など大変だっただろうと思います。
最後に残る御霊大神は、平安時代に始まる御霊信仰によるものと考えられています。御霊とは、政争に敗れるなどして、恨みを残して非業の死を遂げた人々の霊で、それを慰霊するために行われたのが御霊会(ごりょうえ)です。
くらやみ祭では、御本社(大国魂大神)と一の宮から六の宮までの七基の神輿が旧甲州街道を渡御するのに対し、御霊宮(御霊大神)の神輿は府中街道(鎌倉街道)を渡御します。これは、もともと別であった御霊会が国府祭(くらやみ祭)と一緒に行われるようになった名残ではないかと考えられています。
というような歴史を知っていれば、同じお祭りを見ても興味が増すのではないかと思います。
ということで、一の宮から六の宮までの神輿とそれぞれの御本社を。

一之宮 小野大神 小野神社(多摩市一ノ宮)

二之宮 小河大神 二宮神社(あきる野市二宮)

三之宮 氷川大神 氷川神社(さいたま市大宮区高鼻町)

四之宮 秩父大神 秩父神社(秩父市馬場町)

五之宮 金佐奈大神 金鑚神社(児玉郡神川町二ノ宮)

六之宮 杉山大神 杉山神社(横浜市緑区西八朔町)

御本社(大国魂大神)と御霊宮(御霊大神)

言うまでもなく大国魂神社に祀られています。
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まず中殿には大国魂大神(おおくにたまのおおかみ)・国内諸神・御霊大神(ごりょうのおおかみ)、東殿に一の宮小野大神(おののおおかみ)、二の宮小河大神(おがわのおおかみ)、三の宮氷川大神(ひかわのおおかみ)、西殿に四の宮秩父大神(ちちぶのおおかみ)、五の宮金佐奈大神(かなさなのおおかみ)、六の宮杉山大神(すぎやまのおおかみ)を祀るとされます。
主祭神の大国魂大神は、武蔵の国土を神格化した国魂神(くにたまのかみ)ですが、後に大国主命と同一視されるようになります。社伝によれば武蔵の国造が代々奉仕したとされています。律令時代になると、この地に国府が置かれたことから国衙(国府の役所)の斎場とされ、国司が奉仕して国内の祭務を総括するところになりました。
当時、国司にとっては国内の神々をお祀りするというのが重要な仕事でした。しかし、国全体を巡拝してまわるのは大変ですから、平安時代の中頃になると、国衙の近くに国内の神々を勧請してお祀りしました(つまり、それぞれの神社の分霊を一ヶ所にまとめてお祀りし、一度にお祭りができるようにしたわけです)。これを総社といいます。
国によっては総社として新しい社殿を建立したところもありますが、すでにある神社に合祀したケースもあり、武蔵国の場合は大国魂神社に合祀して総社としました。これが、中殿に祀られている国内諸神です。
さらに、国内の主だった六つの神社を国衙に勧請し、六所宮・六所神社と呼ばれるようになった神社が各地に残っていますが、その中には総社に六所の神を合わせ祀った場合もあります。武蔵国もその一つで、当時、武蔵国内で有力であった六つの神社の御分霊を祀っています。それが一の宮から六の宮までになります。
大国魂神社は総社で、かつ六所宮であったことから総社六所宮と呼ばれるようになったわけです。くらやみ祭は、もともと国府祭といって、これら国内の主だった神々を祀る国府の神事でした。
鎌倉時代には、それぞれ元の神社から神輿が集まっていたようで、府中市の人見稲荷神社は氷川神社の御旅所であったという板碑が見つかっているそうです。その伝統を復興して、江戸時代から昭和三十年代まで多摩市の小野神社の神輿が参加していました。
因みに相模の国府祭では、現在でも六社を出御した神輿が集まりますが、相模に比べて範囲の広い武蔵の場合、特に秩父神社や金鑚神社など大変だっただろうと思います。
最後に残る御霊大神は、平安時代に始まる御霊信仰によるものと考えられています。御霊とは、政争に敗れるなどして、恨みを残して非業の死を遂げた人々の霊で、それを慰霊するために行われたのが御霊会(ごりょうえ)です。
くらやみ祭では、御本社(大国魂大神)と一の宮から六の宮までの七基の神輿が旧甲州街道を渡御するのに対し、御霊宮(御霊大神)の神輿は府中街道(鎌倉街道)を渡御します。これは、もともと別であった御霊会が国府祭(くらやみ祭)と一緒に行われるようになった名残ではないかと考えられています。
というような歴史を知っていれば、同じお祭りを見ても興味が増すのではないかと思います。
ということで、一の宮から六の宮までの神輿とそれぞれの御本社を。


一之宮 小野大神 小野神社(多摩市一ノ宮)


二之宮 小河大神 二宮神社(あきる野市二宮)


三之宮 氷川大神 氷川神社(さいたま市大宮区高鼻町)


四之宮 秩父大神 秩父神社(秩父市馬場町)


五之宮 金佐奈大神 金鑚神社(児玉郡神川町二ノ宮)


六之宮 杉山大神 杉山神社(横浜市緑区西八朔町)


御本社(大国魂大神)と御霊宮(御霊大神)

言うまでもなく大国魂神社に祀られています。
心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。
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