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2010-05-11

六根清浄の大祓(7)

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六根清浄の大祓(6)

六根清浄の大祓(古今宗教研究所)

心は則ち神明の本主たり 心神を傷ましむること莫れ

前回は、私たちが神様の分霊(わけみたま)をいただいた存在であり、自分の心を通して根源の神様とつながっていること、その神様がどのように現れるかは自分の心次第であるということを考察しました。

我々は神様の分霊をいただいている存在ですが、我々と神様の接点が自分の心です。我々の内なる神様は心というフィルターを通して働きますから、心の状態が投影されます。愛の神や裁きの神、福の神や貧乏神などいろいろな神様がいますが、すべて自分の心の現れといってもいいぐらいです。

そういう意味では、自分の心が自分にとっての神といっても言い過ぎではありませんが、柄澤照覚氏が注意を促しているように、自分の心以外に神がないというわけではありません。自分の心が根源の神というわけではなく、また、厳密には自分の心が神の分霊そのものというわけでもありませんが、自分の心のあり方が自分にとっての神の性格を決めているため、自分にとっての神様は自分の心だと言っても過言ではないということです。

自分にとっての神様が、どのような神として現れるかは自分の心が決定しているために「心は神明の本主である」、心が神明の主宰者だというわけです。

さて、神道において自分の心の内なる神を重視することはこれまで見たとおりですが、そうはいっても神道といえば神社とお祭りを連想するように、いわば自分の外にいらっしゃる神様にも礼拝したり祈願したりします。これはどうなるのでしょうか。

いうまでもないことですが、私たち一人ひとりが根源の神様の分霊をいただいた存在であるならば、この世の中の一切のものもまた根源の神様の分霊をいただいた存在です。神社などに祀られている神々も根源の神様の御分霊であるのは当然のことです。

そうであれば、我が心の内なる神も、神社に祀られている神も、あるいは森羅万象の内なる神も、つきつめれば同じ根源の神様の分霊であり、別のものではありません。ですから、ことさらに内なる神のみとか、神社などに祀られている神のみとか、天地創造の神とか分ける必要はないわけです。

ですから、形としてどのような神仏を信仰しているかというのは、あまり意味がありません。また、パワースポットに行ったからといっても、やはりどのような心を持っているかが効果を左右するでしょう。

唯一絶対の神を信仰し、高邁な教えを説きながら、内心では自分の損得を計算している人よりも、素朴な信仰心で熱心に石のお地蔵様を信心するお婆さんのほうが、それこそ根源の神様に近かったりするものです。

そして、「類は友を呼ぶ」というように、高級な神霊から低級な悪霊までのさまざまな霊は、自分自身の心の波長に応じて感応してきます。心が清ければ高級な神霊が感応してくるでしょうし、心が濁っていれば質の悪い悪霊が働きかけてくるわけです。

高級な神霊や低級な悪霊といっても、すべて根源の神様の分霊ということであれば、ちょうどテレビのチャンネルを合わせるように、自分の心の波長に応じた波長の分霊が感応し、働きかけてくるということです。見方を変えれば、自分の心に応じて根源の神様が外から働きかけているとも言えるでしょう。

ということは、神社やお寺などに祀られている神仏、あるいは一神教徒が信じる唯一絶対の神様でもいいのですが、それらの神様がいかなる神や仏として自分に現れてくるかは、やはり自分の心が決定しているわけです。

私たちは自分一人で存在しているわけではなく、また、この世で自分の心の中だけに神様がいるというわけでもない以上、自分の外からの神様の働きかけ、森羅万象の背後にいらっしゃる神様との関わりが重要になります。

自分の心の内なる神様は、自分がいただいている神様の分霊であり、ある意味で自分にとって絶対的なものであるとしても、根源の神様は自分を含む宇宙全体として現れていらっしゃいます。

その心の内なる神様と宇宙全体として働いている神様の接点が、自分と神様の関わりということになるわけですが、それがいかなるものになるかを決定しているのが自分の心です。そこに注目すると、普通なら「かみ」なり「しんめい」と読ませればよい「神明」を、わざわざ「かみとかみと」と読ませる理由がわかるように思います。

我々が神様(神明)、あるいは神様の働きかけと考えているものが、神様の分霊として内側から働く「かみ」と、宇宙全体の神様として外側から働く「かみ」によって成り立っていることを踏まえていると考えるのがもっとも自然な解釈だろうと思うわけです。

そして、内側から働く「かみ」も外側から働く「かみ」も、つきつめれば同じ根源の神様であって、別のものではありません。ただ分析すればそうなるというだけですが、いずれにしたところで、それがどのように働くかは自分の心次第であり、自分にとっての神様の主宰者は自分の心だというのが、「心は則ち神明の本主たり」ということです。

それにしても、読み込むほどに誰が作ったのだろうと不思議に思わせられます。

続きます。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

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