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2010-05-27

六根清浄の大祓(16)

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六根清浄の大祓(15)

六根清浄の大祓(古今宗教研究所)

(こ)の故(ゆゑ)
目に諸(もろもろ)の不浄を見て 心に諸の不浄を見ず
耳に諸の不浄を聞きて 心に諸の不浄を聞かず
鼻に諸の不浄を嗅(か)ぎて 心に諸の不浄を嗅がず
口に諸の不浄を言ひて 心に諸の不浄を言はず
身に諸の不浄を触れて 心に諸の不浄を触れず
(こころ)に諸の不浄を思ひて 心に諸の不浄を想はず


口に諸の不浄を言ひて 心に諸の不浄を言はず

問題の部分です。

最初にも書いたとおり、六根清浄の大祓というのは、仏教用語を用いて神道の思想を説いた祝詞(祓詞)です。そもそも六根清浄というタイトルからして仏教用語なのですが、本来の意味に忠実な使い方をしているわけではありません。それがよくわかるのが、この「口に諸の不浄を言いて…」の部分です。

仏教における「六根」とは、(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)ですから、もし仏教用語としての用法に忠実に従うなら、ここは舌根(ぜっこん)、つまり味覚のことでなければなりません。

ところが味覚ではなく、言葉の問題が取り上げられています。ここが注意の必要なところです。

「口に諸の不浄を言いて」というのは、身口意の三業(行為・言葉・思考)のうちの口業(くごう)に相当します。

口業のことを語業(ごごう)ともいいます。というのは、口には言葉を発することと、ものを食べることに二つの役割があるので、より正確な表現をするために語業、つまり「言葉の業」という表現をするわけです。

逆に、六根の場合の舌根は、食べるという行為に伴う味覚(を感知する感覚器官)を差すのですが、ここでは口のもう一つの役割である言葉を発するという機能のほうが取り上げられているということです。

これでは、正確にいえば六根にはなりません。

では、味覚は関係ないのか、というと、決してそんなことはないでしょう。やはり、不味いと思って食べれば、マイナスのデータとして阿頼耶識に蓄積され、美味いと思って食べれば、プラスのデータとして阿頼耶識に蓄積されます。

伊達政宗の遺訓に、「朝夕の食事はうまからずとも褒めて食ふべし。元来客の身に成れば好き嫌ひは申されまじ(朝夕の食事は美味しくなくても、美味しいと言って褒めて食べなさい。もともと客としてこの世に生きているのだから、好き嫌いを言ってはいけない)とあります。

これは処世術として言った言葉でしょうが、阿頼耶識の観点からも非常に重要です。食事というのは生きていく上で欠かせない、毎日毎日のことですから、その積み重ねは膨大な影響を及ぼすことになるからです。

因みに前段では「倹約の仕方は不自由なるを忍ぶにあり、この世に客に来たと思へば何の苦しみもなし」とあるのですが、「不自由なるを忍ぶ」とは言っても、嫌々でも我慢しろというのではなく、「この世に客に来た」と思う、つまり発想を転換することによって「何の苦しみもなし」という心の状態にすることを勧めています。

つまり、阿頼耶識という観点から見れば、不自由であるという現実は変わらなくても、発想を転換することによって心の状態が変わり、不満がなくなることによって阿頼耶識にマイナスのデータを貯まらないということです。

政宗なりの、阿頼耶識にマイナスのデータを蓄積しないためのコツが、自分は「この世に客に来た」と思うということだったのでしょう。

まあ、不味いものも美味しくいただくとはいっても、極端に不味いものは、どんなに頑張っても不味いものです。それでも、客として招かれたとき、本人に「不味い」とは言えないわけですから、あきらめるしかありません。

まあ、そういう心境で日常も生きていれば、不満を覚えることが少なくてすむということでしょう。不満が少なければ、阿頼耶識に貯まるマイナスのデータも少なくてすみます。つまり、自分自身にとって得なのです。

そういうと、「現実を変えなくては問題が解決しないじゃないか」というかもしれません。確かにその通りですが、腹を立ててガアガア怒鳴っても、問題が改善されるとは限りません(無論、解決されることもあるでしょうが)。

しかし、阿頼耶識にマイナスのデータを貯めないことを最優先にすれば、まずマイナスの感情を起こさず、その上で、やはり現実が変わったほうがいいわけですから(美味いものを食べたほうが、阿頼耶識にプラスのデータを貯めやすい)、問題解決のために有効な手段を取ればいいわけです。

そのためには、(腹を立てずに)ガアガア怒鳴ることがあってもいいでしょうし、優しく言い聞かせてもいいでしょう。多少のことなら、見て見ぬふりをしたほうがいいかもしれません。

いずれにせよ、自分の許容範囲が広いほうが、阿頼耶識にマイナスのデータを入れずに済みますし、冷静に有効な対処をすることも可能になります。

すっかり話がそれましたが、舌識だって阿頼耶識にとっては重要です。しかし、ここで口業が入っているということは、六根清浄の大祓が問題にしているのが、六根すなわち「視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚の五つの感覚器官と、認識し、思考する心。眼・耳・鼻・舌・身・意のこと」(仏教語大辞典)だけではないということです。

だからといって、六根+口業という解釈も不適切で、ここは六根+身口意の三業、つまり阿頼耶識に蓄積される全情報を問題にしていると解釈するのが妥当でしょう。

続きます。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

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