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2009-11-30

『完全教祖マニュアル』架神恭介・辰巳一郎著

書評です。

書評の一冊目からマイナス評価はゲンが悪いということで二冊目に回した本。と書けば、まあ、だいたいの評価はわかると思いますが…

『完全教祖マニュアル』架神恭介・辰巳一世著(ちくま新書)

「教祖になるためのマニュアル」という視点から書かれた宗教分析というところでしょうか。たぶん、著者も本気で、これで教祖になれるとは思っていないと思います。

そういう意味では類例のない斬新な視点ではないかと思います。

また、諸宗教について、書物からの知識とはいえ、よく調べています。たぶん、普段からこういうことに関心があって読んできたというのではなく、この本を書くために読んだのだろうと思いますが、なかなか多岐にわたり、感心します。

また、取り上げている事象についての分析や評価は、一面的かつ皮相的な(つまり多面的かつ本質的ではない)見解という断りをつければ、ほぼ妥当なものが多いと思います(著者自身の見解というより、ソースとなっている書物の中から採用した分析や評価というべきでしょうが)。

宗教に関わっている人であれば、立場上言えないことや気がつかないことも少なくないのですが、しがらみかないだけにあからさまに書いてあったりして、なかなかいいと思います。

まあ、宗教に関わったことのない人が書いたものとしては、なかなかのものと言えるのではないでしょうか。

宗教に関わったことのない人がかいたものとしては、ですが。

この本を一言で評価するなら、書物だけの知識で宗教を知ろうなんておこがましい。まして、一般信者でもよくわからない「教祖」というものについて。

言ってみれば、一度も泳いだことがなく、プールに入ったことさえない人間が、水泳に関する書物を読みあさり、オリンピックのビデオを見まくったりして、水泳でオリンピックに出場するためのマニュアルを作ろうというようなものです。

ソースはそれなりに確かだから、一見すると的確なことを言っているように見えても、百聞は一見にしかずで、実際に見ると、自分が思い描いていたこととまるで違っていたというのはいくらでもあることです。

ただ、まあ、そんなことを言えばミもフタもないので、まずは具体的なことを何点か。

先に、取り上げている事象についての分析や評価は、ほぼ妥当なものが多いと書きましたが、まったくお話にならないのが、仏教の悟りに関する内容です。

著者たちは、自分たちも悟っていないから、「悟り」が何なのかよくわからないと言いつつ、禅者の体験などを引用し(例えば白隠禅師が師匠に殴られたり、老婆にほうきで尻を叩かれたときに悟ったというようなこと)、さらにティモシー・リアリー(マジックマッシュルームやLSDの使用による意識の変革を唱えた心理学者)を持ち出して、悟りとは「脳みその錯覚」ではないかなどという推測をしています。

仏教とは、釈迦が発明した意図的に錯覚を起こさせる方法や思考法ではないか、というわけです。

なんじゃそれはと思って、参考文献を見ると、なんと中村元先生をはじめとする日本の仏教学の大家と呼ばれる先生方の書物が一冊もありません。

せめて宗教を論じるのであれば、中村先生の本は最低一冊でも読むべきです。特に原始仏教に関する入門書でも読んでいれば、こんな馬鹿な結論には至らないでしょう。

ほかにもいろいろあるのですが、もう一点。

著者は「反社会的な教えを作ろう」として、大ブレイクをした宗教は、どれも反社会的な宗教ばかりだから、教義は反社会的なものにしたほうがいいと言います。

しかし、これは本末転倒で、>反社会的な宗教というのは、反社会的であることを目的にしたのではなく、結果として教えの中に反社会的とされる要素があったということです。

反社会的であることを目的とするのなら、それは革命とかアナーキズムとかの類であって、宗教にはなりません。なぜなら、反社会的であることというのは、一般社会と同一次元の中で「アンチ現状」を唱えているに過ぎないからです。

宗教は、一般社会とは別の次元の価値観を提唱します。その中には社会に適合した部分もあり、反社会的に見える部分もありえます。根本となる価値観がないから、教義は反社会的なものにしたほうがいい、などという変な話になるわけです。

各部分の問題をいちいちあげるときりがないので、この本がマニュアルとして成立しうるかどうかについて触れておきたいと思います。

この本ではマニュアルになりません。

簡単なことですが、例えば世界的企業の創業者たちのやってきたことを研究し、それぞれ有効だと思われる部分を集めてきて、それを列挙したからといって世界的企業の社長になるマニュアルができるでしょうか?

誰もそんなことは思わないし、そもそもそんなマニュアルを作ることができるなどとすら思わないでしょう。だって、それぞれ個性も環境も社会情勢もすべてが違うわけですから、ある程度の参考になっても、同じことをするだけで社長として成功できるなどということはあり得ないからです。

そもそも、松下幸之助氏がやったことと、井深大氏がやったことと、本田宗一郎氏がやったことのポイントをすべてやろうとしてもできるわけがありませんし、やれば混乱して失敗するだけでしょう。

それと同じことです。

まあ、教祖になるためのマニュアルというのはネタで、著者も本気でマニュアルとして役に立つとは思っていないでしょうが。

でも、本当は、教祖になるためのマニュアルというのは作れるんですよね。しかも、もっと簡単に。というか、マニュアルというほどご大層なものは必要ありません。

それを実践している人は、世の中にも結構います。そこそこの才覚があれば、誰にでも可能です。

しかし、本書にはまったくその当たりは書かれていません。たぶん知らないのでしょう

で、最後に根本的な問題を。

著者は、なぜ教祖になるためのマニュアルを作ったかということについて、教祖ほどステキなビジネスはほかにないからだ、と言います。多くの人をハッピーにしながら、大きな尊敬を集めることができるから。

これこそ宗教の実態を知らない証拠です。そんな甘いものではない。

教祖なんて、>神様から強制的に選び出されて否応なくやらされる人>か(例:ムハンマド)、自分の苦悩を解決して、それを他の人にも伝えることのできる人か(例:お釈迦様)、以上は本物の教祖ですが、以下に偽物として、人が苦しもうが何しようが、自分の利益のためなら平気で犠牲にできる心臓に針金のような剛毛がびっしりと生えている人か、自分が特別に選ばれた人のように錯覚できる超ご都合主義の人か、まったく自分の意志がなく、人に流されて教祖に祭り上げられる人か、以上五種類の人間以外にはできません。

なぜなら、著者が教祖の要件としてあげる「多くの人をハッピーにする」ということがきわめて大変なことだからです。周囲で見るほど、教祖というのは楽なものではありません

著者は、周囲の人を喜ばせる感覚で言っているのでしょうが、現実にはそんな甘いものではありません。教祖のところへは、医者に見捨てられた病人や、自殺以外には道がないなどという悩みを持った人、その他、およそ簡単なカウンセリングで解決できないような人が来るのです。

しかも、それを確実に解決できるという保証はありません。実際に解決できないこともあります。そのプレッシャーに耐えなければならないわけですから、一般人は手出しすべきではないのです。

さらに、著者のいう教祖は教団のトップでしょうが、宗教団体というのも人間の集団であって、それで成功するためには組織運営者としての才覚も要請されます。

組織運営者としての能力がなければ、まあ、小グループでやってもいいのでしょうが、いずれにしても、一般の団体以上に嫉妬の強い世界ですから、相当神経を使う必要があります。

教祖なんて重労働ですよ。教祖としての報酬は、相応の努力や犠牲の結果なのです。それは人類共通であって、例えば詐欺師はうまいことやっているように見えたとしても、それには詐欺師なりの努力が必要です。

幸か不幸か、私も上記の五種類の人間には入っていませんので、教祖になる方法はわかっていますが、それを実践するつもりはありません。

教祖なんて重荷はまっぴらなので。

というようなことで、それでも宗教に無関係の人がよくここまで研究したということを高く評価して。

★★(星二つ)


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