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2010-06-01

六根清浄の大祓(19)

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六根清浄の大祓(18)

六根清浄の大祓(古今宗教研究所)

口に諸の不浄を言ひて 心に諸の不浄を言はず

前回は、過ぎたことはクヨクヨしないという観点から「心に諸の不浄を言わず」ということを考えました。これは五官から入ってきた情報も同じですし、身業(しんごう)も同じです。

クヨクヨ後悔するぐらいなら、悪いことを善いことだったと強引に解釈し直すほうがまだマシです。世の中では悪人が栄えて善人が苦しんでいるように見えるというのも、そのあたりに原因があります。悪人はクヨクヨ後悔しませんが、善人というのは失敗を気に病んだりクヨクヨしやすいので、必要以上に苦労や苦しみを背負いやすいからです。

そこで問題になるのが、阿頼耶識にマイナスのデータを入力しないということはわかるが、因果応報との関係はどうなのかという問題です。

上の理屈でいけば、極端な話、殺人を犯しても、それが正義のために必要だった、自分はよいことをしたというふうに解釈していれば、阿頼耶識にマイナスのデータとしては入力されず、むしろプラスのデータとして蓄積されるという話になります。

そんなことがありえてよいのだろうか、ということです。

しかし、善いか悪いかとは無関係にそういうことはある、というのが厳然たるこの世の法則です。

ただ、それだけだけで決まるわけではなく、自分の解釈とは無関係に、自分の行為そのものに対して果報を受ける面もありますから、都合よく解釈すればいいというわけではありません。それでも、どちらがより大きく影響するかというと、行為そのものの影響より、どのような解釈が施されたかというほうが大きいようです。

そこで注意が必要なのは、単に頭で考えるレベルで解釈や意義づけをしたというのでは、それほど影響がないということです。むしろ、感情レベルでどう感じたかというほうが大きく影響するのです。

例えば、頭で「いいことをしたんだ」と考えても、心の中に後悔の念が充満していたら、やはりマイナスのデータとして入力されます。

「ウキウキ、ワクワクすることが大切だ」といわれますが、これも、感情レベルでプラスかマイナスかが、阿頼耶識への入力にとっては重要だということから考えればよくわかります。同じことをした場合でも、イヤイヤしたらマイナスのデータとなりますが、ウキウキしながらやればプラスのデータになるということです。

しかも、実際の行為は一回だけでも、それを思い出すという形でリプレイされ、それが再びプラス・マイナスのデータとしてインプットされます。

過去のことが思い出されるというのは、それがよほど嬉しかったこととか、よほど悲しかったこととか、強く後悔していることとか、いずれにしても強い感情を伴っているためです。

ですから、よい出来事であれば、その時に強いプラスの感情を伴って、プラスの情報として阿頼耶識に入力されます。そして、その後も思い出すたびにプラスの感情が起こりますから、そのたびにプラスのデータとして蓄積されます。繰り返せば繰り返すほどにプラスのデータが蓄積されていくわけです。

ところが逆も真なりで、悪い思い出来事は強いマイナスの感情を伴って、マイナスの情報として阿頼耶識に入力されます。そして、その後も思い出すたびにマイナスの感情が起こりますから、そのたびにマイナスのデータとして蓄積されます。繰り返せば繰り返すほどにマイナスのデータが蓄積されていくわけです。

そして、厄介なことに人間というのは、プラスの出来事より、マイナスの出来事のほうが思い出されやすいのです。というのは、プラスの出来事というのは、不快感がないぶん、当たり前のことになってしまいやすいからです。

ここが非常に重大なポイントで、私たちは因果応報によって苦楽の果報を受けると思っていますが、その苦楽の果報のかなりの部分は、行為そのものではなく、後悔の念などのマイナスの思いの悪循環によって阿頼耶識に繰り返し蓄積されていくマイナスのデータによる影響です。

良心のないような人たちというのは、自分が悪いことをしたとは思っていませんから、そういうマイナスの思いの悪循環に陥るということがありません。逆に、善人であるほど、小さな悪事や失敗にクヨクヨしやすく、いつまでも引っ張ってしまう…マイナスの出来事を何度もリプレイして、さらにマイナスのデータを入力していくので、同じことをしても、善人のほうが遙かに大きなマイナスのデータを蓄積していくことになるわけです。

これこそ、文字通り心に諸の不浄を見、聞き、嗅ぎ、言い、触れ、想うということです。

お祓いや懺悔に具体的・現実的な効力があるというのは、もちろん、神仏の力による霊的な要素もあることは間違いありませんが、神仏によって許されたという自覚によって、マイナスの思いの悪循環が断ち切られることによる要素が非常に大きいことも間違いありません。

このあたりが、道徳と宗教の大きな違いだろうと思います。道徳的な観点からだけでは、宗教を理解することはできません。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

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私は、どうやら一生懸命過去の出来事をを引っ張り出して、マイナスのデーターを積み重ねていたようです。多くの時間をもったいないことをしていました。

よいデータを重ねていく作業は、過去を引っ張り出して悔やむより、よっぽど楽しそうですね。自分にも周りにも楽しいデーターを積み重ねて行きたいです。

ウキウキ、ワクワクと

なかなか簡単なことではなくて、私もどれだけできているかというと、お恥ずかしい話なのですが。

一番問題なのは、自分の良心とか、周囲の真面目な人たちから、「そんな不真面目なことでいいのか!」と注意されて、ついつい「やっぱり真面目に考えなければならないのだろうか」と思ってしまうことです。

でも、心の仕組みがわかってみれば、ウキウキ、ワクワクと生きていくことが大切であって、自分の心を傷つけるような真面目さは避けたほうがいいということになります。

ぜひ、実行してみてください。
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