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2010-06-17

六根清浄の大祓(28)

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六根清浄の大祓(27)

六根清浄の大祓(古今宗教研究所)

六根清浄の大祓、思ったより長くなりましたが、一通りその内容を見てきました。最初にも書いたように、深く読み込めば読み込むほど中身のある祝詞です。

しかし、結論は非常に簡単で、「心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ」ということに尽きます。

それは、自分の心(阿頼耶識)の中にマイナスのデータを蓄積しないということです。

そのためには、まずマイナスの情報に接しない、マイナスの行為や言葉、思いをしないというのが第一ですが、それを完璧に守ることは不可能ですから、マイナスの情報や行為・言葉・思いがあったとしても、それをプラスに転換する、あるいはマイナスを受け入れないようにすることが大切です。

それを言霊の力によって実現するのが祓詞というわけです。

心神を傷ましめなければ六根は清浄となり、六根が清浄であれば私たちの内なる神様の分霊(わけみたま)がそのまま現れるので天地の神様につながり、そうなればこの世の一切のものと同体であるからすべての願いは成就する、ということです。

ですから逆の見方をすれば、自分の願いが成就しないのであれば、六根が不浄になっているのではないか、どこかで心神を傷めているのではないかと考えてみる必要があります。

祈りても験(しるし)なきこそしるしなれ 祈るこころに誠なければ

だからといって、六根清浄の大祓は…神道は道徳的に完璧な人間になれと言っているわけではありません。これは仏教も同じで、道徳的に完璧な人間になることを求めているわけではありません。真っ当な宗教というのは、人間は道徳的に完璧にはなれないというところから出発しているからです。

ですから、宗教というのは必ずしも人格的に立派であることに価値を置いているわけではありません。もちろん、人格的にも立派であるほうがいいのは言うまでもないことですが、人格というのは人間的にはより外面的な部分です。

内実は伴わないけれども、人格という外見を整えることが可能なのは、人格的には素晴らしいけれども、どうも近づきたくないという人の存在を考えればわかりやすいでしょう。

そもそも人格的に立派になることが目的であれば、いくらお祓いをしたところで意味があるとは思えません。人格というのは人為的な努力によって身につくものだからです。

しかし、人格の評価というのは多分に人間社会の価値観によって決まるものです。言ってみれば、たいていの場合、立派な人格というのは自分の本心に基づくものではなく、外部の世界に合わせるものですから、往々にして自分の内なる神様の分霊(わけみたま)を覆い隠してしまうほうに働くのです。

もちろん、その人の内面性が人格として滲み出しているような本物の人格者というのもいますが、たいていの場合は、内面を充実させるよりも外見を整えるほうにエネルギーをつぎ込んでいるものです。

自分の心を成長させる代わりに、被っている猫を一生懸命育てているような人が少なくありません。猫が本人を覆い隠すほど大きく成長して、自分も周囲も被っている猫が本人だと思い込んでいることもあります。

しかし、奥に隠れている本人の心は、成長しないままにしっかりと存在していますから、本人も自覚がないままに意地悪をしたり、保身から人を陥れたりと、表面的に見えるその人からは想像もつかないようなことをやったりするわけです。

こういう猫を立派に育てた人というのが一番難しくて、まずは猫を引きはがすところから始めなければならないのですが、本人も被っている猫が自分だと錯覚していますから、必死で猫にしがみつきます。猫を放せば、自分が自分でなくなってしまうように錯覚してしまうからです。

今月の東京都神社庁の「生命の言葉」は度会家行の「神は正直を以て先となし 正直は清浄を以て本となす」です。

正直というのは一般に嘘をつかないという意味で使われますが、これは必ずしも本来の意味とはいえません。いろいろ検討を要する言葉なのですが、まあ、まず自分に正直であることと考えればよいと思います。

大猫を被っているというのは、自分に正直ではありません。猫を被っているというのは、人をあざむく前に自分自身をあざむいているからです。

※もちろん、自分に正直であればいいからといっても、自分の欲望に忠実であることがいいというわけではないことも当然のことです。だから「正直は清浄を以て本となす」というわけです。

人格者であろうと振る舞う、猫を被るというのは、本当の自分をゆがめていることですから、やはり「心神を傷」ましめているのです。それは、今すぐに完璧な人間になろう(人から完璧な人間としてみられよう)とするからです。

それよりも、六根を清浄にし、自分の心を浄化していけば、私たちの内なる神様の分霊がそのままに現れますから、無理をしなくても人から認められるようになっていきます。いわば、心の体質改善をしていくわけです。

つまり、宗教とは心の体質改善をしていくものであり、そこからすれば、六根清浄の大祓は実に最適だと思うわけです。

是非、毎日唱えていただきたいものです。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

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