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2010-06-25

金光教祖の御理解 その3

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金光教祖も初期には般若心経や大祓とともに六根清浄大祓をあげていたようです。そのため、御理解の中にも六根清浄大祓を引用したものがいくつかあります。

「金乃神のお祓が、ちと違うぞ。大晦日に借銭を払うてしまうがよし。これが金乃神のお祓ぞ」
と巳の年(金光教祖は信者を干支で呼ぶことがあった)に理解あり候。
「なんぼう金神に信心しても、借銭をこしらえては腹をいためるぞ。そこで、信心は腹からといおうがな。腹をいためるは不信心なり。それで、金光が教えてやるぞ。『心はすなわち神と神とのもとのあるじたり。わが魂をいたましむることなかれ』ということがあろうがな」
とお話しあり。また、
「金神をまつっても、その身の魂をいためては、信心にならず」
(市村光五郎の伝え)


めいめいに信心しなさいと言うのは、六根の祓にも、「霊と同体なるがゆえに、なすところの願いとして成就せずということなし」とあるごとく、神様のような心でおれば神様と同体である。かような心になり、こういう考えで信心しなさい。めいめいに願うて、直々のおかげが受けられます。また、六根の祓にもあるごとく、目耳鼻口身意(こころ)、諸の不浄がありても、この六つの物がまめにあるからおかげであると思うて信心しなさい」
(山本定次郎の伝え)


これはおもしろい解釈です。六根に諸の不浄があっても、そのことを問題にするのではなく、目耳鼻口身意が達者であるおかげだと思いなさいというのですから、確かに心神を傷ましむることはないでしょう。とてもプラス思考です。

信心する氏子、一日に木綿一反織れる人が、六根の祓にもあるとおりの潔き心持ちで朝より一反半織るつもりになれば、一反半成就する。よそへ行く人でも、一日に十里歩ける人が、十五里は運びができるぞ。
(山本定次郎の伝え)


六根の祓にもあるごとく、「静め静まることをつかさどるべし」というて、一家では主人、家主が、家内を治める司で、村では庄屋、国では殿様、日本では天子様、とかく大きな治めをする人が司をしておられる。かくのごとく心得て信心するがよい。
(山本定次郎の伝え)


私たちが幸福でいるためには、世の中が安定していなければなりません。これは個人では何ともならないわけで、ですから健全な民衆宗教はむやみに反体制になどなりませんし、原理主義からは縁遠くなります。

とかく宗教といえば反体制でなければならないかのように考えている人がいますが、そういうのは異様です。反体制の宗教なんて、たいていの場合、自分たちを頂点とする新しい体制を作ろうとしているだけであって、非常に有害です。

そのあたりが宗教を見極める一つのポイントになります。

金光教祖は「慎誡」の第一に神国の人に生まれて神と皇上(かみ)との大恩を知らぬこと」としているように、むやみな反体制とはまったく無縁です。といっても、信仰に関わる部分では、官憲に対して一歩も妥協していません。

そういう意味でも、極めて健全な民衆宗教であると思います。

「静め静まることをつかさどるべし」と六根の祓にもあるが、あれは神様を拝むことばかりではない。家の内でも司といえば取り締まるものである。それがうろたえてはいけない。病気の時でもじっと静まって、うろたえないようにしないと、法者(祈祷者)だ、医者だと言って、うろたえてしまう。
(樋口鹿太郎の伝え)


末の安心が得られるかどうかは懐妊十月の間にある。その間、親が心を磨いていなければならない。赤い物を見れば子に赤いあざができるというが、それは形の上のことである。心にあざができると、せっかく大きく育てても、後で困るようなことになる。母の胎内は器である。水は方円の器に従い、人は善悪の共によるというが、その器であるから、母親が心を改めて、自身からおかげを受けていかなければ、心にあざのできた子が生まれる。
この懐妊中の心得が信心のもとであるから、そのためには家内中、円満にして、懐妊中の者を泣かしたり、怒らしたりしないようにしなければならない。嫁と姑の仲がよければ天下が騒ぐというが、とにかく仲良くしなければならない。
六根の祓にも「静め静まることをつかさどるべし」とあるが、家では家のあるじの女が司である。司が心得をよくして子供のよいのを産めば、信心が伝わる。人に笑われないようにならなければならない。これを信心の目的にして、子孫に伝わるような信心をしなければならない。
(山本定次郎の伝え)


同じ「静謐(しずめしずまること)をつかさどるべし」でも、説く相手によって微妙に内容が違いますが、しかし、それぞれの範囲において心と環境を静かに落ち着かせることの大切さを説いていると言えるでしょう。

六根清浄の大祓を唱えて霊験をいただいたという話もあります。

お広前には絵馬がいっぱいあった。それについて金光様は、
「一生懸命にお願いすればおかげがいただけると船乗りの人に教えておいたところ、その船が難破しかけた時、六根の祓をあげたら船の傾きが直って、おかげをいただいた」
と言われた。その人のお供えした絵馬で、難破しかけた船と、空にご神米か何かが現れている様子を描いた絵を指して、
「このようなおかげをいただきなさい」
と仰せられたことがあった。


読んでわかるように、六根清浄の大祓そのものの御利益というよりは、「一生懸命にお願いする」というところに重点があります。形式は大きな問題ではありません。おかげはわが心にあるというのが金光教祖の教えだからです。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

※御理解は『金光教教典』(金光教本部教庁)による。

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