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2009-12-03

慧春尼(1)

11月29日の日曜日は、御朱印拝受のために神奈川県南足柄市の大雄山最乗寺、通称「小田原道了尊(おだわら どうりょうそん)」に参拝しました。


最乗寺 結界門

このお寺は、室町時代の応永元年(1394)、了庵慧明禅師(りょうあん えみょう ぜんじ)によって開かれた曹洞宗(禅宗)のお寺です。

このお寺は道了尊と呼ばれる天狗の信仰で知られ、稲荷信仰で名高い愛知県の豊川稲荷、龍神信仰で知られる山形県の善宝寺とともに曹洞宗の三大祈祷所に数えられます。

道了尊は、相模坊(さがみぼう)道了尊者(どうりょうそんじゃ)といい、もともとは修験道の行者として大峰山や熊野三山で修行され、大変な法力を身につけた方です。

了庵禅師の弟子となり、最乗寺の開創に尽力しました。その力は一人で500人力の仕事をしたといいます。応永18年(1411)了庵禅師が遷化(せんげ)されると、「以後、山中に入って大雄山を護り、衆生を利済する」と言って、火焰を背負い、右手に杖、左手に縄を持ち、白狐の背中に乗った天狗の姿に身を変じて、山中に身を隠したと伝えられます。

※遷化…高僧がお亡くなりになること。

以来、所願成就の信仰を集め、小田原道了尊として広く知られているのですが、今回は道了尊ではなく、了庵禅師の妹である慧春尼(えしゅんに)という方のことを取り上げたいと思います。
最乗寺の駐車場から、本堂ではなく、了庵禅師の御廟(お墓)である開山堂のほうへ向かっていくと、途中に慧春尼火定跡(えしゅんに かじょうあと)があり、慧春尼を祀るお堂があります。


慧春尼堂

火定(かじょう)の「定」は禅定(ぜんじょう)のことで、火の中で座禅を組み瞑想するという意味です。自ら火の中に身を投じて涅槃(ねはん)に入るという説明もありますが、一般的な見方で言うと焼身自殺です。

火定については後ほど考えてみたいと思いますが、この慧春尼火定跡というのは慧春尼が火定に入られたところ、つまり、ここに薪を積み、火をつけて、水からその中に入って座禅を組み、そのまま焼け死んだところというわけです。

慧春尼は女人救済の悲願を持っており、祈念すれば必ず応えられるということから、女性の参拝者が多いそうです。

お堂の中には炎の中で座禅を組んだ慧春尼の石像があるのですが、天候が悪くて暗かったため、写真にはうまく撮れませんでした。

禅文化研究所から出ている『禅門逸話選』に慧春尼のエピソードがいくつか載っているのですが、いずれも非常にインパクトのあるものです。最乗寺に着くまですっかり忘れていたのですが、慧春尼火定跡の名前を見て思い出し、これは是非ともお参りしなければと思い、参拝してきました。

ということで、慧春尼について書いてみたいと思います。当時、女性は社会的にいろいろなハンディを抱えていたわけですが、その中で有能な男性陣でさえ歯が立たなかったという慧春尼の逸話には、浅薄なジェンダー論など軽く吹き飛ばすような迫力があります。

先にも書いたとおり、慧春尼は最乗寺を開いた了庵禅師の妹でした。非常に美しい方だったそうですが、世俗のことには関心がなかったそうです。

30歳を過ぎてから、兄の了庵禅師のもとで得度(とくど)したいとお願いしましたが、禅師はそれを許しませんでした(得度というのは出家をすることです)。

「出家というのは男のすることで、女子供には難しく、途中でやめてしまうことも多い。簡単に女性の出家を許すと、法門(教え)を汚すものが多くなる」

それを聞くと、慧春尼は黙って退き、火鉢のほうへ行って、火箸を焼いて、それを自分の顔に当てて縦横に焼きました。

そして再び禅師の前に出て、得度をお願いしました。それを見て、さすがに禅師も慧春尼の得度を許したのでした。


この話を聞くと、女性陣は差別だと憤慨されるかもしれません。たしかに時代的背景がありますから、そういう要素もなしとはいえませんが、しかし、特殊事情も考える必要があります。

当時、女性の出家者がいなかったわけではありません。しかし、たいていは既婚の女性が夫の死後に出家して、夫や家族の菩提(ぼだい)を弔うというのが一般的でした。つまり、亡くなった家族の供養のために出家するわけです。

また、それとは別に、人生の無常を感じ、あるいは来世の平安を願って出家する女性もいましたが、そういう方は尼寺、つまり女性だけの寺に入っていたのです。

ところが慧春尼は違います。了庵禅師のもとで得度するということは、その弟子になるということ、つまり男性ばかりの寺に入って、男性と同じような修行をしようというわけです。

個人の問題として、男性と同じ修行をまっとうできるか、ということがあるわけです。これが、禅師の言葉の前半です。

後半は、寺全体の問題です。

男性ばかりの寺ということについて、女性蔑視だという見方をする人がいますが、それこそ女性蔑視だと思います。ちょっと考えればわかることですが、女性に問題があるのではなく、男のほうに問題があるのです。

男というものは、いくら気高い志を持って修行していたとしても、美しい女性がいるとついフラフラとしてしまうものなのです。そういう男を正当化する立場からすると、女性は業が深い(なぜなら、修行しようとする男性を惑わせるから)ということになるわけですが、これは単に男は往々にして悟りの境地より女性に惹かれやすいということを言っているに過ぎません。

これと似たようなことで、イスラームの礼拝では、モスクに入れるのは男性だけで、女性は外で礼拝をします。また、同じ部屋の中で礼拝するときは、男性が前、女性が後ろです。

このことを女性差別ではないかとイスラームの人に聞いたところ、そうではない、という答えでした。男は前に女性がいると、神様のほうではなく女性のほうに意識が行くからだ、というのがその理由なのだそうです。

また、男性は目で堕落し、女性は手で堕落するとも言っていました。男性は目で女性の姿を見ることによって女性に惹きつけられるのに対し、女性は手で、つまりスキンシップをすることで男性に惹きつけられるからなのだとのこと。

それはともかく、いずれにせよ、男性ばかりが禁欲して修行しているところへ、三十過ぎとはいえ大変な美人が入ろうというのです。

修行している僧の中には初心者もおれば不心得者もおり、女性のいない環境だから何とか修行に打ち込めているという人もいたでしょうから、いくら慧春尼自身の志が堅かったとしても、周囲に与える影響が小さいはずはありません。実際、そういう不心得な僧がいたことが慧春尼の逸話の中に伝わっています。

つまり、女性がいると、本人の意図や責任とは無関係に、男の修行者が堕落しやすくなるということで、法門を汚すものが多くなると言ったのではないでしょうか。

多くの弟子を抱える了庵禅師としては、ある意味で当然の答えだろうと思います。

見方によれば女性蔑視ということになるのかもしれませんが、そういうジェンダー間の対立をあおり立てるような見方をするよりは、男性修行者には意志の弱いものも少なくないという真相を見抜く目を持つことが大切でしょう。

それはさておいて、この答えに対して慧春尼は、美しい容姿が問題であるのなら、それをなくせばよいということで、焼けた火箸で自分の顔にやけどを負わせるわけです。

これをどう評価するかは人によるでしょうが、さすがに了庵禅師もそれほどの決意と切望を見て、得度を許さざるをえなくなりました。

今は自由な時代になり、それほどの無茶をしなければ許されないなどということは、ほとんどなくなりました。しかし、それだけに物事に取り組む姿勢も甘くなっているように思います。あるいは、ちょっと断られたからといって、簡単に諦めてしまうことも少なくありません(自分自身も含めて)。

それほどの決意を持って、物事にぶつかったことがあるだろうか。考えさせられます。

ということで、明日に続きます。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

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theme : 宗教
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顔を焼く

出家しようとして、女性が顔を焼くというのは、すさまじいことですね。
私はラフカディオ=ヘルン(平井訳)『心』で読んで、感激をしました。
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