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2010-06-28

金光大神(1)

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金光教祖の教えは「生神金光大神 天地金乃神一心に願 おかげは和賀心(わがこころ)にあり 今月今日でたのめい」という「天地書附(てんちかきつけ)」に端的に示されています。

「天地書附」は、礼拝の目当てとして与えられるお札のようなものですが、あくまで信仰対象ではなく礼拝の「目当て」であると強調されています。天地の神は宇宙に偏在しているので、どこにいても、どこに向かっても礼拝は可能なのですが、それでは普通の人にとっては心許ないので与えられたものです。

「神に会おうと思えば、にわの口を外へ出てみよ、空が神、下が神」(金光教祖御理解)

しかし、内容を見れば「おかげは和賀心にあり」というように、信心の持ち方について書かれています。「和賀心」というのは、「我が心」とめでたく和やかな心を掛けたものです。

つまり、「一心に願え」「今月今日でたのめい」とあるように、神様が守ってくださっていることを信じ、よぶんな心配はせず、恐れや不安を持たずに一心に願いなさいということです。神様の恩恵はすでに与えられているのですが、問題はそれを受け取る自分の心にあるということを強調しています。

もう一つの特徴は、日柄・方位といった俗信にこだわらないことです。

「日柄方位は見るにおよばぬ。普請作事は、使い勝手のよいのが、よい家相じゃ。よい日柄というは、空に雲のない、ほんぞらぬくい、自分に都合のよい日が、よい日柄じゃ。いかに暦を見て天赦日じゃと言うても、雨風が強うては、今日は不祥のお天気じゃと言うではないか。日のお照らしなさる日に良い悪いはないと思え」(金光教祖御理解)


「人間は勝手なものである。いかなる知者も徳者も、生まれる時には日柄も何も言わずに出てきておりながら、途中ばかり日柄が良い悪いのと言うて、死ぬる時には日柄も何も言わずに駆けっていぬる」

極めてわかりやすい説明で、非常に合理的です。しかし、合理主義に基づいて俗信に対決しているのではなく(合理主義者というのは、あるはずがないからあるはずがないというような、意外に信仰的な発想をするものです)、深い信仰と、誰でも納得せざるを得ない当たり前の道理に基づいているので、聞いても抵抗感がありません。

もともと金光教祖は非常に勤勉で、信心深い人柄でした。当時、岡山のあたりでは金神信仰が盛んで、何事をするにも日柄・方位を見てするべきものとされていましたが、金光教祖もそういったことを大変気にかけていました。しかし、その限界を通過して神と出会い、因習にとらわれない世界へと到達したわけです。

その宗教を知るためには、その教祖の歩みを知るのが一番の近道ですが、金光教祖というのは非常に興味深い人物であり、信心の鑑のような人です。

金光教祖は、金光大神(こんこう だいじん)と言います。これは、明治元年に神様から与えられた神号です。ただし、戸籍には神の字を使うことが許されなかったため、金光大陣となっています。

金光大神は文化11年(1814)8月16日(新暦では9月19日)、備中国浅口郡占見村香取(かんどり)(現在の岡山県浅口市金光町占見)に、香取十平(かんどり じゅうへい)、しも夫妻の次男として生まれました。幼名は「源七」といいます。

この日は村の氏神である大宮神社の祭礼の日出、両親はこれも何かの巡り合わせであろうと喜んだそうです。

父親は実直な人柄で、また、非常に信心深い人でした。暇を見つけては、源七を背負い、氏神である大宮神社をはじめとする神社やお寺に参拝していたため、十平の着物は背中からすり切れて破れていたといいます。

12歳の時、大谷村(現在の浅口市金光町大谷、金光教の本部がある)の川手粂治郎(かわて くめじろう)、いわ夫妻のもとへ養子に入りました。いわの実家が香取家と親類であったことから、子どものいない川手家への養子話が出てきたようです。

川手家というのは由緒のある家柄だったそうですが、一度断絶しています。その後、先祖の位牌を赤沢家が引き受けて祀っていましたが、その赤沢家も断絶します。それを、久米治郎の曾祖父である八兵衛が再興し、川手を名乗っていたようです。

川手家は八兵衛の子(粂治郎の祖父)である文治郎の頃までは裕福でしたが、その子・善兵衛の代あたりから困窮し、粂治郎の代になるとすっかり没落してしまっていました。

しかし、粂治郎という人は非常に勤勉な人で、家の最高を志し、領主である蒔田氏の江戸屋敷で奉公し、帰郷後も熱心に働いて一家を建て直しました。そして、40を過ぎてからいわを妻に迎えています。

源七は川手家へ養子入りすると、曾祖父の名を譲られて文治郎となります。近所の人たちからは文治と呼ばれたそうです。

続きます。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

参考:
『金光大神』『金光教教典』(金光教本部教庁)
『新訳 金光大神御覚書』(金光教日本橋教会)


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ありがとうございます

>カズ様

はじめまして。ご指摘ありがとうございました。
早速訂正させていただきました。

諸事情で更新が滞っていますが、いずれ再開したいと
考えておりますので、今後ともよろしくお願いします。
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