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2010-07-01

金光大神(3)

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金光大神(2)

前回は、川手文治郎(後の金光大神)に義理の弟(養父母にとっては実の息子)の鶴太郎が生まれたこと、領主の代替わりに伴い、川手粂治郎・文治郎親子がそれぞれ多郎左衛門・国太郎と改名したところまででした。

ところで、金光教祖について書く場合、名前を何と書くかということに少々悩みます。

正式には「金光大神(こんこう だいじん)ですが、これはわかる人にはいいものの、知らない人には人名とは思えないでしょう(そもそも神様から与えられた神号=神としての名前なので、しかたがありません)。金光大神その人がメインであれば、当然、それでいいのですが、ちょっとした引用の時など考えてしまいます。

戸籍では「神」という字が許されなかったために「金光大陣」とされたのですが、これを使うのはかえって失礼な気がします。

では、それ以前に使っていた名前はというと、何度か改名しているために、これが元の名前と決められる名前がありません。

年代順に改名の経緯を見ると、次のようになります。

文化11年(誕生時) 香取源七(かんどり げんしち)
文政8年(12歳) 川手文治郎(かわて ぶんじろう)通称 文治
天保3年(19歳) 川手国太郎(かわて くにたろう)
天保7年(23歳) 赤沢国太郎(あかざわ くにたろう)
天保15年(31歳) 赤沢文治(あかざわ ぶんじ)
慶応2年(53歳) 金光河内(こんこう かわち)
明治元年(55歳) 金光大神(こんこう だいじん)

一般的には川手文治郎、または赤沢文治がよく使われるようです。例えば不二龍彦氏の『日本神人伝』では川手文治郎で統一しています。また、金光教本部教庁編纂の教祖伝『金光大神』では、国太郎への改名は記さず、文治で統一しています。

私が初めて金光教祖の話を聞いたときも(平成元年に四国八十八ヶ所をまわっていたとき、ある人から、金光教祖は偉い人だということで教えてもらいました)、川手文治郎という名前で教えてもらったものですから、私としてはそれが一番しっくりします。

とはいえ、川手文治郎であった時代というのは十代の7、8年だけで、一番長いのが赤沢文治です。しかも、川手文治郎であった時も通称は文治ですから、『金光大神』に準じ、文治で統一したいと思います。

さて、鶴太郎の誕生まで順風満帆であった川手家ですが、その後、不運が訪れます。

まず天保7年(1836)6歳になった鶴太郎が急逝します。それに力を落としたのか、半月後には養父の粂治郎が亡くなりました。

粂治郎は、臨終に際して川手の姓を赤沢に戻すよう遺言します。川手姓は大谷村では由緒のある姓ですから、これを名乗ることについては村人から快く思われておらず、しかも他村生まれの文治がそれを名乗ることに対する反発に配慮してのことだろうといわれます。

養父の死を受けて、文治は家督を相続し、隣家の古川家の長女とせを嫁に迎えます。

この頃は天保の大飢饉がもっとも厳しかった頃ですが、文治は周囲で評判になるほど勤勉に働き、家督を継いで2年後には田畑を1.5倍に広げました。稲作に加えて綿作も行い、積極的に収入を増やしました。

また、住まいの東側に風呂と便所も建てました。それまでは、当時の多くの農家がそうであったように風呂やきちんとした便所がなく、風呂は時々近くの裕福な農家へもらい湯に行っていたようです。

一方で、自分のことばかりを考えるのではなく、常に周囲の人のためを考えていました。あぜ道が壊れていたりすると、人知れずこっそり直したり、自分の田の水を見回りに行くときは、よその田の水にも気を配りました。

また、周囲の人から「信心文さ」と呼ばれるほど非常に信心深く、日柄方位についても失礼がないように気を使っていました。嫁を迎えるときも、きちんと日を選んだ上、方位が悪いからということで、嫁入りの一行はわざわざ遠回りをして家に入ったほどです。

文治の人柄を示すエピソードが残っているそうです。

ある時、文治が近くの町へ下肥(ふんにょう)をもらいに行ったのですが、肥桶にはきちんとフタをして荷車に積んでいました。それを見た通行人が、「お前は農民なのに、肥が臭いのか」と馬鹿にしました。すると文治は「私は慣れていますが、今は朝食時で、道筋の皆さんにご迷惑を掛けますから」と答えたそうです。

妻も働き者で、村人の人望も厚く、家運は上向きでした。天保10年(1839)には長男の亀太郎が生まれ、文治の人生は順風満帆と思われていたのです。

続きます。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

参考:
『金光大神』『金光教教典』(金光教本部教庁)
『新訳 金光大神御覚書』(金光教日本橋教会)


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