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2010-07-03

小野照崎神社の下谷坂本富士

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さる7月1日、台東区下谷二丁目の小野照崎神社境内にある下谷坂本富士のお山開きに行ってきました。


下谷坂本富士

江戸時代、江戸を中心に富士山を信仰する富士講が大変盛んになりました。富士講の信仰の中心は富士山への登拝ですが、誰でも参拝できるというわけではありません。そこで、富士山に登れない人のためにミニチュアの富士山である富士塚を造り、富士山のお山開きの日に登山するようになりました。

一番最初に造られた富士塚は新宿区西早稲田の水稲荷神社境内にある高田富士で、安永9年(1780)のことといわれています(ただし、早稲田大学の拡張のために移築されたため、原形は失われている)。これが評判になって、各地に富士塚が造られるようになったそうです。

失われた富士塚も少なくありませんが、それでも現在、都内だけで約60基の富士塚が残っているといわれます。

中でも豊島区高松の富士浅間神社にある長崎富士、練馬区小竹町の
茅原浅間神社にある江古田富士、そして小野照崎神社の下谷坂本富士は、江戸時代に造られた富士塚の形をよく残しているということで、国の有形民俗文化財に指定されています。

そして、下谷坂本富士は富士山のお山開きとその前日に当たる6月30日と7月1日の2日間だけ開放され、登ることができる上に、その期間だけ授与する特別の御朱印があるということで、時間の合間を縫って参拝することにしたのでした。



普段はこのように門が閉まって立ち入れないようになっています。



その門が開き、町会の名前を書いた提灯がぶら下げられています。



門の両脇には猿の石像があります。これは、富士山の神使が猿だからです。神使としては、お稲荷さんの狐、八幡宮の鳩、天満宮の牛、鹿島・春日の鹿、日吉(日枝)系統の猿、伊勢神宮の鶏などがよく知られています。

富士山の神使を猿とすることについては、孝安天皇92年(紀元前301年)、一夜にして富士山が湧出したとされ、この年が庚申(かのえさる)の歳であったことから、猿を神使とするようになったと伝えられます(あるいは申の日に出現したとも)。因みに、富士山が出現したとき、近江では国土の二割が陥没して琵琶湖ができたとされます。

豪快な話です。



洞窟の中に、修験道の開祖である役行者(えんのぎょうじゃ)の像があります。



こちらの洞窟の中にいるのは、富士講の中興の祖とされる食行身禄(じきぎょう みろく)です。この人は熱烈な富士信仰の持ち主で、最期は富士山の七合五勺の烏帽子岩の洞窟で断食・入定しました。これをきっかけに、江戸で爆発的に富士講が広がり、「江戸八百八町に八百八講」といわれるまでになりました。



頂上付近。岩でゴツゴツしています。遠方から見る富士山ではなく、登る富士山を忠実に再現しようとしていることがわかります(富士山に登る代わりに富士塚に登ろうというわけですから、考えてみれば当然です)。

しかし、すごいのは、これらの岩が富士山から運んできた溶岩だということです。重機もない時代に、よくもこれだけ運んできたものです。信仰の熱意というのは大変なものです。

ところで、私にとっての主目的は、富士塚に登ることではなくて、お山開き限定の御朱印をいただくことのほうでした。ところが、これは書き置きの御朱印(朱印帳に書くのではなく、すでに紙に墨書押印したもの)を頒布するだけなのだそうですが、すでに全部授与して、残ってないというのです。大変ショックでした。

御朱印を集める人が増えるのは嬉しいことですが、こういうことも起こるのかと。

何とかならないかと聞くと、夜なら宮司さんも手が空いて対応できるかもしれないと言われました。

それで、再度、暗くなって参拝することに。それはそれで風情があって、行ってよかったなあと思いました。


夜の下谷坂本富士

因みに、昼間は撮影し忘れていたのですが(御朱印が…というのにショックを受けたため)、境内の土蔵造の建物に、掛け軸がかかり、富士塚(浅間神社)の御祭神が祀られていました。



中央は「富士浅間大神」、向かって右が「木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと) 天彦火瓊々杵尊(あまつひこほのににぎのみこと)」、左は「大山祇命(おおやまづみのみこと) 磐長姫命(いわながひめのみこと)」とあります。

木花咲耶姫命は富士山の神様で、富士山総本宮の浅間大社なども木花咲耶姫命をお祀りしています。瓊々杵尊はその夫(天照大神の孫で、神武天皇の曾祖父)、大山祇命は父、磐長姫命は姉になります。



で、こちらが小野照崎神社。御祭神は小野篁(おののたかむら)で、学問の神様として信仰を集めています。しかし、江戸の人たちは、学問の神様といえば菅原道真と思っていたのか、江戸時代の末頃に回向院から菅原道真が自ら刻んだと伝えられる尊像を迎え、相殿(主祭神と同じ社殿にお祀りすること)として祀っています。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

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