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2010-07-08

金光大神(7)

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さて、牛二頭を含めて七つの墓を築いたわけですが、それからしばらくは平穏な日々が続きました。

とはいえ、金神の祟りは、知って無礼を犯せば家の主から命を取り、知らずに犯せば牛馬七匹で七つの墓を築かせるとされますから、知らず知らずに犯している金神へのご無礼があるのではないかと気にかかっていたのではないかと思います。

そして安政2年(1855)、文治は本厄の42歳を迎えます。この年が大きな転換点になりますので、これも詳しく見ていきたいと思います。

まず、その前年の安政元年(1854)12月25日、文治夫妻に五男が生まれました。

当時、「四十二の二つ子」といって、親が42歳になったときに2歳になる子は「親を食う」という俗信があったのですが、ちょうど五男がそれに当たります(当時は数え年なので、生まれた時点で1歳、1月1日に2歳になる)。それで、「この子は育てないほうがいい」と言う者もいましたが、養母のいわが「私が育てる」と言ったので、養母に任せて育てることになりました。

そして、念のために翌年の正月生まれとしようといういうことになり、お七夜に当たる1月2日生まれとすることにしました。1月2日生まれであれば、文治が42歳の年に1歳ということになるからです。

年が明けて元旦、早朝から歳徳神をはじめとする神々にお礼をし、氏神様(浅口市大谷の加茂八幡神社)に参拝して四十二歳の厄晴れを祈願しました。そして、神主の神田筑前に頼んで五男がこの年に生まれたことにまつりかえてもらい、守り札を納めてもらいました。

そして、念の入ったことに、本当は寅年生まれですが、卯年生まれだということで、名前も宇之丞(うのじょう)としました。

さて、少々ここで問題にしたいのは、誰が「四十二の二つ子」を気にしたかということです。『金光大神覚書』の原文を見ると、誰が言ったかがよくわからないのですが、少なくとも文治自身も気にかけていたことは間違いないと思われます。

ここの部分を見ると、次のようになっています。

「同じく十二月二十五日夜四つ時に妻安産、男子生まれ。私四十一歳。四十二の二歳子悪しと申して、置かんと申し。母とめ、わしが育てると申し。母に任せて育てあげ」

「四十二の二歳子悪し」「置かん」と言った人物については主語がありません。こういう場合、文治が自分で言ったときは「私申し」というような書き方をしますし、他の人が要った場合も、たいていは誰が言ったかわかるような書き方をしています。

となると、誰と特定できるわけではなく、周囲の人々が言ったという可能性もありますが、文治自身が言ったという可能性もないとは言えません。いずれにしても、文治が関係ないと言っていれば、それですむ話ですから、少なくとも文治も「四十二の二つ子」を気にしていたことは間違いありません。

人間というのは、どうしても自分が尊敬している人に対しては、はじめから偉かったと言うことにしたがるものですが、私はそうは思えません。はじめから偉かった人よりも、人生経験の中で変わっていった人のほうが価値があるし、また、自分にとっても意味があると思うのです。

最初から偉い人など、凡人である私にとっては真似のしようがないということになりますから、自分の人生とは無縁の人です(一方的に救ってもらうというのなら別ですが、そんな都合のいい話はありません)。ならば、自分と同じ凡人であった人が立派になったというのなら、資質の違いもありますから同じというわけにはいかないでしょうが、それでも、自分だって変わることができるという希望が湧きますし、その人を手本として実際に変わることができます。

まして、生きているうちから、本人や周囲の人が「最初から素晴らしい人」と祭り上げるような教祖は、間違いなくニセモノですから注意する必要があります。というか、ニセモノだからこそ、そうやって祭り上げなければならないわけです。

次のような御理解があります。

「周防のお方、私のことを人が、神、神と言いますが、おかしいではありませんか。私が、なんの、神であろうぞ。私は、何も知らぬ、土を掘る百姓であります。東京辺りから官員方がたくさんにみえまして、「人が神になると言うが、違いない。人が神になるのじゃ」と言われます。あの鴨居に張ってある名刺をご覧なさい。たくさん張ってあります。これへおいでなされるお方が神様であります(参る人を指して、神と言われたり)。あなた方が神様のお子でありましょうが。生神ということは、ここに神が生まれるということであります。私がおかげの受けはじめであります。あなた方もそのとおりにおかげが受けられます」(徳永健次の伝え)

「人は此方(金光大神)のことを生神であると言うが、此方でも、あなた方と同じ生身の人間である。信心しておかげを受けているまでのことである。大阪には天神祭という賑やかなお祭りがあるそうだが、その天神様も、あの役行者も弘法大師もみな、もとはただの人間である。わが心から神にも仏にもなられたのである。あなたも、神様の仰せどおり真一心に神信心をしておかげを受け、人を助けて神にならせてもらうがよい」(福嶋儀兵衛の伝え)


やはり、こういう人が本物だと思います。

続きます。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

参考:
『金光大神』『金光教教典』(金光教本部教庁)
『新訳 金光大神御覚書』(金光教日本橋教会)


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