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2010-07-20

金光大神(14)

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安政5年(1858)7月13日、文治の口を通して金乃神が直接に言葉でお知らせを与えるようになりました。これ以降の金乃神と文治の関係は、単に金乃神がおかげを授けるというだけではなく、文治を教育しているように見えます。

この年の秋、稲の穂が出る時期にうんか(稲の害虫)が大発生し、どこの家でも田んぼに油を入れました。当時はうんかが発生すると、田んぼに鯨油などを流し込み、稲をたたいてうんかを油の中に落として窒息死させるという方法で駆除していました。

ところが、文治に金乃神から意外なお知らせがありました。田に油を入れるなというのです。

これは、いくら文治でも簡単にそうしますとは言えません。何しろ、うんかに稲を食われてしまうと、一年の収穫がフイになってしまいます。そこで金乃神は、一つの実験を指示しました。

「うんかが稲を食うか食わないか、今夜、お前は神前で寝てみよ。蚊に食われるか(蚊に刺されるか)。お前は、日頃蚊に負けてほろせ(赤い発疹)が出る。ほろせがでるか、蚊に負けるか。蚊が食わなければ、うんかも食わないと思え。もし封じもれの蚊が食うたら、手で押さえておけ。いつでも少々はうんかもいるものだ。蚊に負けなければ、蚊も食わぬのじゃ」

そこで、文治は金乃神の指示通り、神前で寝ることにしました。蚊がワンワンと飛び回って寝ることができませんでしたが、蚊に刺されることもなく、蚊に負けてほろせがでることもなく、かゆくもありませんでした。

午前一時頃になって、金乃神からお知らせがありました。

「もう今夜も八つ(午前一時)であるから、蚊帳の中に入れ。熟睡する時に寝ておかなければ、明日の仕事が勤まらない」

文治は恐れ入り、お礼を申しあげてから、蚊帳の中に入って休みました。うんかの駆除のために油を入れないというのは、それまで積み重ねてきた農家としての知識や経験を否定するものでしたが、文治は金乃神の指示通りにすることに決意しました。

金乃神の指示は細やかなもので、「とうない田」という一枚の田を簡単に仕切って共同工作する田んぼにだけは人並み、もしくは人の二倍油を入れるようにということでした。特にうんかの集まっているところには多く入れるよう、ただし、稲が傷むのであまり何度もうんかを追って歩くなと教えられました。

文治は教えられた通りにしました。

秋になるとその結果が如実に現れました。この年はうんかの害のため、どこも収穫を減らし、油を三度入れても1反で1俵も収穫できないとか、まったく収穫のない田もありました。

ところが、文治の田んぼは見事に稔り、通りかかる村人が「熟れ色がよい。大谷中で、これほどの田はない」というほどでした。油を入れたところより、油を入れなかったところのほうが出来がよく、上米が7俵から9俵も獲れた田もありました。

文治がもち米を植えた田の隣には古川参作ももち米を植えており、しかももみ種は文治から譲り受けたものだったのですが、近所の人たちが「参さの稲と文さの稲は植え物が違うのだろうか」と言うほどでした。

文治は金乃神の加護を実感したに違いありません。

この現象そのものを素人なりに考えてみると、油が問題ではないように思われます。金乃神の指示の中に、稲が傷むから、あまりたびたびうんかを追って歩くなということがありました。

油は農薬や殺虫剤ではありませんから、田に入れただけでは効果を発揮しません。油を入れるということは、それだけうんかを追わなければならないということですが、それは意根を傷めるということでもあります。傷んだ稲は抵抗力が弱いので、うんかに狙われやすいと考えられます。

文治の田んぼには油を入れず、また、あまりうんかを追って歩くなという指示もありましたから、相対的に田の田んぼの稲より傷んでないはずです。「蚊に負けなければ、蚊も食わぬものじゃ」というように、うんかも文治の田の元気な稲より、三度も油を入れて、たぶん熱心にうんかを追った(稲を傷めた)田の稲を狙ったはずです。

言い換えれば、もしみんなが文治と同じことをしたとしたら、同じ効果があったかどうかは極めて疑わしいところです。

とはいえ、神様の目的は新しい農業法を教えることではなく、文治が自分の観念を脱ぎ捨て、素直に神様の意思に身を任せるようになるための教育ですから、神様の指示を信じて実行すれば必ずよい結果になるという事実を体験すればよいわけです。まして、超自然的な奇跡など起こさないに越したことはありません。

それはずるいと感じる人もいるかもしれませんが、しかし、もしここで文治が周囲の人に油を入れるなと言って回ったとしても、みんな耳を貸さないどころか、文治の気が触れたと思ったことでしょう。

普通の人は、結果を見てから信じるものです。結果を見ても信じない人だってたくさんいます。そういう中で、自分の知識や経験、観念を捨てて神様の言うことを信じる最初の一人を育てるというのは大変なことです。

また、導かれる人間の側も大変で、ただ素直に「ハイ、ハイ」といっていればいいというような甘いものではなく、それこそ清水の舞台から飛び降りるような覚悟を迫られます。そういう経験を通して、自分の小さな観念から解き放たれるわけです。

この逸話で興味深いのは、この段階では、ちゃんと文治が人間関係を悪くしたり、周囲の信頼を損ねたりしないよう配慮していることです(とうない田には油を入れる)。これ以後には、周囲の目よりも信心を優先させるような指示が出るようになりますが、金乃神がきちんと配慮をした上で文治を育成しているということを感じさせられます。

続きます。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

参考:
『金光大神』『金光教教典』(金光教本部教庁)
『新訳 金光大神御覚書』(金光教日本橋教会)


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