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2009-11-13

十界について(上)

私の師匠は、法話やカウンセリングをする時に、まず「十界(じっかい)」の話から始めるのがいいと言っていました。それは、相手に自分の今の状態、あるいはこれからどうすればいいかを自覚するきっかけとして非常にわかりやすいからです。

だからというわけではありませんが、私も十界の話から始めたいと思います。といっても、もちろん法話やカウンセリングをしようというわけではありません。

十界を理解すれば、私たちが宗教・信心をする目的や、その過程の中で今いる段階が非常にわかりやすくなるからです。

その一方で、長年信心をしたり、宗教団体で指導的立場にいる人でも、意外にわかっていなかったりする内容ではないかとも思います。

十界とは、大乗仏教において、迷いの世界から悟りの世界に至る心の境地を10の段階に分けたものです。

下から順に地獄(じごく)・餓鬼(がき)・畜生(ちくしょう)・修羅(しゅら)・人(にん)・天(てん)の六道(ろくどう)すなわち六段階の迷いの世界と、声聞(しょうもん)・縁覚(えんかく)・菩薩(ぼさつ)・仏(ぶつ)の四聖(ししょう)すなわち四段階の悟りの世界を合わせて十の段階ということになります。

六道については、過去世における業によって生まれ変わる世界という解釈もありますが(いわゆる六道輪廻)、ここでは心の状態のこととして考えます。

それでは、それぞれについて見ていきましょう。まずは六道から。

1.地獄…逃れようのない苦しみの世界。生き地獄という言葉もありますが、借金苦やいじめ、難病、家族の不和など、自分一人の努力ではどうしようもない環境に突き落とされて、苦しんでいる状態です。小さくは、まったく手をつけていなかった宿題に取り組んでいる夏休み最後の日などもプチ地獄かもしれません。

2.餓鬼…かなえられない欲望に身を焦がされている状態です。餓鬼は、サンスクリット語でプレータといい、飢餓に苦しむ悲惨な状態の死者の霊のことでした。仏教では、強欲な人や物惜しみのひどい人が、死後、餓鬼になるとされます。

仏典によれば餓鬼にも種類があって、飲食しようとすると食べ物や飲み物が炎になって何も飲食できない餓鬼から、いくらでも飲食できるが、いくら飲んだり食べたりしても満足できない餓鬼までいるといいます。それと同じように、自分の望みがまったく実現できないという状態から、望みが叶っても満足できないという状態まで餓鬼道に含まれます。

3.畜生…自己の現実的な欲望を満たすことにのみ汲々とし、そのためには道徳・倫理も平気で踏みにじる、弱肉強食、自分の欲望のためなら人がどうなってもいいという状態です。今は保険金殺人やら振り込め詐欺やらが蔓延していますが、まさに畜生道の所行といえるでしょう。国家国民のことを考えず、利権の確保に汲々としている連中も同様です。

以上の三つは特に苦しい世界なので、三悪趣(さんあくしゅ)とか三悪道(さんあくどう)などともいわれます。また、「鬼畜生」というのは餓鬼と畜生を合わせた言葉です。

4.修羅…阿修羅ともいいます。高慢や嫉妬による争いの世界です。阿修羅(アスラ)族は古代インドにおける悪魔のような存在です。非常に高慢で、神々に対して嫉妬し、その地位を奪おうとして戦争を仕掛けているとされます(仏教では、仏教に帰依して仏法を守護する存在になったとされます。興福寺の阿修羅造が有名ですね)。実際に争わなくても、心の中で嫉妬や不満の炎を燃やしていれば修羅の境地です。

ここで、畜生界の争いと修羅界の争いを区別しておくと、現実的あるいは物質的な欲望を満たすために争うのは畜生界ですが、より精神的な欲望に突き動かされて争いの心を起こすのが修羅界だといえます。

例えば、世の中には知り合いの恋人を奪うなどという人がいます。その時の動機が、その恋人というのが美人だったりイケメンだったりして、自分の性的な欲求を満たしたいがために手を出すというのであれば、これは畜生界の所行です。ですから、こういう人を「ケダモノ」と呼びます。

これに対して、美人かイケメンかはともかく、そういう恋人を持つ知り合いに嫉妬して、恋人を奪おうとするのが修羅界の所行です。自分があいつに劣るはずがない、あいつの風下に立つなど我慢ならないという、つまり劣等感や優越感に翻弄される世界といえるでしょう。

地獄・餓鬼・畜生の三悪趣に修羅を加えて四悪趣(しあくしゅ)とか四悪道(しあくどう)ということもあります。

5.人…いわば可もなく不可もない状態、迷いや憂いに満ちた状態です。

6.天…いわゆる天国。喜びや歓楽に恵まれた幸福な状態。過去の善なる業(カルマ、行為)の果報として与えられた悩みや苦しみのない幸せな境地。

いろいろな形で喜ばしいこと、幸福な環境が与えられたときは天界の状態ですし、友人と遊んだり談笑したりして現実的な悩みや苦しみを忘れているときも天界の状態といえるでしょう。ただし、果報が尽きればその喜ばしい状態から離れざるを得ず、その時はかえって苦しみの原因となります。

以上は六道の世界であり、人はこの六つの境地をグルグルと行ったり来たりしています。意地悪な上司に虐められて地獄の境遇を味わい、あこがれの女性に慰められて天界に引き上げられ、その女性が独身のエリート社員と食事をしているのを見て修羅界に落ち…といった調子です。

この六道の境地を抜け出したのが四聖の境地です。

7.声聞…悟りの世界の第一歩。「仏の教えを聞くもの」という意味で、教学的な意味はさておき、ここでは真理(仏様の教え)に触れ、「なるほど、そういうものか」と思っている段階ということで理解したいと思います。

8.縁覚…本来の意味では、師なくして覚りを得た人(独力で覚りの境地に至った=縁起の理法を覚った人)で独覚(どっかく)とか辟支仏(びゃくしぶつ)ともいうのですが、ここでは「縁を覚る」という意味から、真理(仏様の教え)自分自身のものとして知的に理解した段階として理解します。

なお、注釈しておきますと、いろいろ意見はありますが、やはり仏教における覚りというのは「縁起の理法」に目覚めることです。ですから、仏教における真理=縁起の理法といってもよいくらいで、その他の諸々の教説も縁起の理法を基礎としています。縁起の理法については、いずれ取り上げてみたいと思います。

9.菩薩…「上求菩提、下化衆生(じょうぐぼだい、げけしゅじょう)」というように、自分が知的に理解したした真理を具体的に実践し、体得していくという段階です。

※上求菩提、下化衆生…上に向かっては菩提すなわち仏の覚りの境地を目指して修行をしながら、下に向かっては迷える衆生を救い、教え導くこと。

10.仏…苦しみ・悩みのない覚りの境地。

以上四つです。

六道の境地を抜け出して、四聖の境地に進みましょうというのが仏教、特に大乗仏教の説くところです。

ところが、六道(特に天界)と四聖はどう違うのか、どうすれば六道を抜け出せるのかということについて、親切に説明しているところはあまりないように思います。

このことが「心神を傷ましむること莫れ」という内容と深く関わっていますので、次回はそのあたりについて書いてみたいと思います。

心神を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。
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theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

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素晴らしい!

とてもわかりやすいです!
感動しました~。
大変勉強になります、ありがとうございます。
これからも、楽しみにしています!

Re: 素晴らしい!

>しーさー様

過分なほめ言葉、ありがとうございます。
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