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2009-12-15

縁起について(4)

仏教には「三法印(さんぼういん)というものがあります。これは、仏教の教えの特徴を端的にまとめたものであると同時に、仏教と他の教えを区別する指標ともされます。

諸行無常(しょぎょうむじょう)すべてのものは常に変転してやむことがない。
諸法無我(しょほうむが)すべてのものは因縁によって生じたもので実体性がない。
涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)悟りの世界(涅槃)は安らぎ(寂静)である。

これに「一切皆苦(いっさいかいく)」…一切は苦である…を加えて四法印ということもあります。

※仏教でいう「苦」は単に苦しいとか苦痛という意味とは違い、思い通りにならないことによって生じる苦しみというニュアンスです。私たちは苦しいことは避けたいけれども、避けることはできません。また、楽しいことは続いてほしいけれども、いずれ終わりが来ます。そのように、自分の思い通りにならないときに生じる苦しみを「苦」と呼ぶわけです。

仏教は縁起という考え方に基づいていますから、三法印・四法印も縁起に基づいており、縁起による世界観と、仏教による救済観を理解するためには非常に便利です。

そこで、縁起による世界観から仏教の四法印を整理して、とりあえず縁起についての考察を終えることにしたいと思います。

縁起の考え方からすると、因縁果の1セットは、それだけで完結しているわけではありません。因や縁は必ず他の因や縁の果として生じたものですし、果も新たな因や縁となり、他の因や縁と結びついて新しい果を生じます。

ヒマワリの種と花の例でいえば、ヒマワリの花はそれで終わりなのではなく、新たな種を作り、次の世代へと生命を引き継いでいきます。種ができるためには、ハチが飛んできて蜜を集めるついでに花粉を運んで受粉します。そして、ハチが集めた蜜はハチの幼虫の餌となります。ハチばかりではなく、茎には汁を吸うアブラムシが集まり、アブラムシの分泌する液を集めるアリや、アブラムシを餌にするテントウムシも集まってきます。ヒマワリの種は次世代のヒマワリを咲かせるとは限らず、鳥の餌になるかもしれません。そして、ヒマワリそのものは枯れてバクテリアに分解され、土に帰って次世代のヒマワリか、他の植物の養分となるわけです。

この因縁果の関係が時間的にも空間的にも無限の広がりを持ちながら、刻々と展開し続けているというのが縁起の世界観です。一瞬一瞬、あらゆるものが常に何かを新しい縁として変化し、さらにまた新しい何かを縁として変化していく。

ですから、仏教においては「最終的な結果」というものはありません。どこまで行っても、次の展開があります。また、「第一原因」なるものも想定しません。どこまでいっても、必ず因と縁によって成り立っていると考えるので、その出発となる「第一原因」は存在し得ないのです。

このような因縁果の関係による永遠に変化し続ける世界の有様を表したのが「諸行無常」、すべてのものは変転してやむことがないということです。

また、一切のものは因と縁によって成り立っており、その因と縁も必ず何かを因と縁として生じています。つまり、あらゆるもの因と縁によって仮に成立し、他の縁と結びつくことによって別のものへ変化していくものですから、固定した実体というものはありません。あらゆるものの性質や状態も、因と縁によって今現在そういう性質や状態であるというだけのことです。これが「諸法無我」、すべてのものは因縁によって生じたものであり、実体性がないということです。

現在の状態というのは、過去の因縁の結果として成立したものですが、あくまで現時点においてそうだというだけで、新たな縁によって別の状態へと変化していきます。そこにおいて、変わらないというものはありません。

つまり、「現在」は常に通過点でしかないわけです。

ところが、人間はどうしても、単なる通過点であるにすぎない「現在」を最終的な結論のように錯覚し、あるいは過去の因縁の結合による仮の姿でしかない「今の状態」を絶対的なもののように錯覚することによって、悩んだり、腹を立てたり、悲しんだり、心配したりして「心神(わがたましい)を傷まし」めています。このことを「一切皆苦」、すべてのものは苦である、といいます。

そして、この世界が縁起によって成り立っており、「諸行無常・諸法無我」であることを悟ることによって(釈尊の悟りは「縁起」でした)、その時その時の状態に一喜一憂することもなくなり、平安な心を保つことができるようになります。それが「涅槃寂静」、涅槃つまり悟りの世界は安らぎである、ということです。

以上、縁起の観点から四法印を整理しましたが、同時に「莫令傷心神(わがたましいをいたましむることなかれ)」というのが仏教でいう「涅槃寂静」と共通することがおわかりいただけたのではないでしょうか。

そして、四法印と縁起の関係は、六道の世界から四聖の境地に解脱していくことに相当しますが、六道の中でよりよい世界を目指す内容に深く関わるのが縁起と因果応報の問題です。

縁起がわかれば、通俗的な因果応報の誤りは明白だと思いますが、さらに理解を深めるには、前提となるいくつかの問題を整理する必要があります。

というわけで、引き続き、仏教において大切な概念でありながら、非常に誤解の多い業(カルマ)について考えていきたいと思います。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

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theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

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ありがとうございます。

ご説明、どうもありがとうございます。
よく分かります。引き続き、よろしく
お願いします。

Re: ありがとうございます。

>荻野様

ありがとうございます。

前提が回りくどくならざるをえないのですが、今しばらくお付き合い願えれば有難いです。
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古今宗教研究所のブログです。

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