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2009-12-18

業(カルマ)について(1)

さまざまな仏教用語の中でも、カルマというのは誤解されていることが多い言葉の一つだと思います。

よく見かけるのは、「前世で犯した罪がカルマとなって…」というような言い方ですが、これは二重の意味でカルマの意味の半分しかとらえていません(ということは、カルマの意味のうちの1/4ということ?)。

「カルマ」はもともと「行為」を意味するサンスクリット語で、漢訳して「業(ごう)と言います。仏教では、行為そのものだけでなく、その行為によって生じた潜在的な力も含めて「カルマ=業」と言います(後者を「業力(ごうりき)ということもあります)。

どういうことかというと、例えば人を殴ったとします。その「殴る」という行為自体がカルマ(業)ですが、それと同時に、殴るという行為は「殴り返される」とか「警察に連行される」とか「知り合いに見られて悪い評判を立てられる」とか、何らかの結果をもたらします。「殴る」という行為=カルマが因(原因)となり、何らかの果(結果)を生じさせるわけですが、そこに潜在的な力が働いていると見なして、その力もカルマ(業、もしくは業力)とするのです。

つまり、上記の「前世で犯した罪云々」という例では、カルマは業力の意味でのみ用いられていますが、「前世で犯した罪」自体が本来的な意味でのカルマですから、カルマの意味の半分しかとらえていないということになります。

※同様に、上記のような言い方を「間違い」というのも、カルマの意味の半分しかとらえていないと言えます。

次に、カルマというのは単に「行為」という意味であって、特に善悪の区別はありません。善業・悪業というように、善なるカルマもあれば、悪なるカルマもあるわけです。

ところが、「宿業」とか「業が深い」などという言い方があるためか、どうもカルマ=悪というイメージがあるようです。上記の例でも、たぶん、カルマ=罪というようなイメージで使っていることが多いように思います(中にはカルマとは仏教でいう罪のこと、などという説明をしている人もいるようです)。

カルマには善悪両方がある(厳密には、善悪どちらでもない無記のカルマもあります)にもかかわらず、カルマ=悪ととらえているので、その意味でもカルマの意味の半分しかとらえていないというわけです。

ということで、業(カルマ)の意味を整理すると、以下のようになります。

業(カルマ)とは、人間の行為のことです。普通、仏教では業を身業(しんごう)・口業(くごう)・意業(いごう)の三種類に分け、身口意(しんくい)の三業(さんごう)と呼びます。これはそれぞれ身体で行う動作(行動)、口で言う言葉、心で意志する考えに相当します。人間の行為はその三種類にすべて含まれると考えられるからです。

同時に、仏教では、ある行為が残す潜在的な力も業(カルマ)あるいは業力と呼びます。身・口・意よってなされた善悪の行為が結果をもたらすことを、過去から未来へ存続して作用する一種の力と見なしたことによります。

つまり、自分に関わる因・縁・果のネットワークの中で、自分(前世及び先祖を含む)が意志を持って行なった行為(身体による動作・口で言った言葉・心で考えたこと)を業(カルマ)というといえばよいかと思います。

さて、ここで注意すべきことは、ある業(カルマ)が因(原因)となって何らかの結果をもたらすにせよ、それが「いつ」「どのような」結果になるかは決まっていない、ということです。なぜなら、あくまでどのような縁(条件)と結びつくかによって変わるためです。

次回は、そのあたりについて、もう少し詳しく考えてみます。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

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