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2009-12-25

クリスマス考(下)

昨日は、クリスマスがキリスト教の最大のライバルでペルシア起源の密儀宗教であるミトラス教の祭典を取り込んだものだということを説明しました。

しかし、ペルシアの宗教の影響は、クリスマスをお祝いするような枝葉の部分ばかりではなく、もっとキリスト教の本質的な部分に及んでいます。今日はそのあたりについて考えたいと思います。

では、どういったところがそうなのかといいますと、本当に本質的な部部でありまして、そもそも救世主という存在がペルシア起源なのです。

そのあたりから説明していきましょう。

言うまでもなく、イエス・キリストというのは「名前(ファーストネーム)+名字(セカンドネーム)」ではなく、「名前+称号」で、「キリストであるイエス」を意味します。このキリストというのはヘブライ語の「メシア」をギリシア語に訳した「クリストス」からきています。つまり「メシアであるイエス」ということです。

まあ、それぐらいのことは知っているという人が多いとは思いますが、問題はその先、「メシア」とは何か、ということです。

一般の認識としては「メシア」は「救世主」だろうということになるだろうと思いますが、実は違います。本来、メシア=キリストに救世主・宗教的な救済者という意味はありません

ですから、原始キリスト教会では「イエス・キリスト」に救済者を意味する「ソーテール」という称号をつけ、「イエースス・クリストス・ソーテール」すなわち「救世主イエス・キリスト」と呼んでいたのです。

では、メシアとは何かというと「油を注がれた者」すなわち「聖別された王」を意味します。すなわち神の権威の下で理想的な統治をする王様のことです。ですから、旧約聖書に登場するサウルやダビデ、ソロモンなどもメシアです。

ところが、その後、イスラエルが南北に分裂し、北のイスラエル王国はアッシリアによって滅ぼされ、南のユダ王国も新バビロニアの侵攻を受けて滅亡し、国王はじめ多くの人々がバビロンに連れ去られます。

そして、約50年後、新バビロニアがアケメネス朝ペルシアのキュロス大王によって滅ぼされると、エルサレムへの帰還が許されました。エルサレムに帰ったユダヤ人たちは、新バビロニアによって破壊された神殿を再建しますが、政治的には一時期を除き、ペルシア・セレウコス朝シリア・ローマ帝国の支配を受けます。

当時のユダヤ人にとってのメシアとは、そういう異教の外国勢力を追い出し、ダビデの王国(唯一神ヤハウェの権威に基づく神権国家)の独立再興をもたらす王のことでした。それは、サウル・ダビデ・ソロモンがそうであったように、預言者によって聖別され、神の力の援助を受けて他民族(異教徒)に勝利する存在でした。

民衆(イエスの弟子を含む)が「ナザレのイエス」をメシアと見なしたというのは、イエスがそういう意味でのメシアとして、ユダヤを独立させる王になるだろうと期待したということです(だから危険人物として処刑されたのです)。

イエスの起こす奇跡に関心が集まったのも、神様から遣わされて王様になる人ですから、当然、そういう力を使ってローマを倒すことが期待されたからです(そうでなければ、どうして強大なローマ勢力を追い出すことが期待できるでしょうか?)

そのあたりを考慮すれば、十二弟子のヤコブとヨハネの母が、イエスに対して「王座におつきになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください」と願ったというのも不思議ではありません。また、これを聞いた残りの10人が腹を立てたというのも、皆、同じような期待を持っていたということを示しています。

つまり、彼らはイエスの活動を宗教運動と思っていたわけではない可能性が高いのです。ただ、彼らが期待したのは神権王国ですから、神の教えや奇跡も不可分のものであって違和感はなかったということです。

ところが、ローマを追い出してユダヤの王になると期待していたイエスが十字架に架けられ、さらにキリスト教会が異邦人に広がっていく過程において、イエス・キリストの位置づけが、異教の勢力を追放してダビデの王国を回復するユダヤの王から、悪の勢力から人類を救う神的な救済者に変わっていきました。

ところが、この神的な救済者という観念こそ、ペルシアの宗教、特にゾロアスター教に起源を持つわけです。

もともとのイスラエル・ユダヤ王国の宗教は、一神教といっても、多くの(同格の)神々の中から一柱の神と契約を結び、その神のみを崇拝して他の神は崇めない「拝一神教」でした。

それが、バビロンに連れ去られ、ペルシアによって解放された際(帰還後もペルシアの支配を受けています)、世界最古の創唱宗教であるゾロアスター教の影響を受け、至高の唯一神や悪魔、天使の存在、善と悪の勢力の闘いと最後に善が勝利を収める世界の終末、そして終末に現れる救世主という概念を受け入れるのです(これらはもともとユダヤの伝統にはありませんでした)。

これらを見てわかるとおり、キリスト教の特徴と思われるものはほとんど含まれています。

しかも、ゾロアスター教の救世主であるサオシュヤントは、処女から生まれるのです。

それを踏まえた上で、福音書にあるイエスの言葉のみに注目すると、唯一なる神(父なる神)への信仰を強調するのは当然ですが、積極的に他の神の存在を否定に言及しているわけではありませんし、善と悪との勢力の中で自分が役割を果たすというようなファンタスティックな観念もありません。

それらは後世の弟子たち、特にパウロをはじめとするイエスを直接知らない人たちによって形成されていった教義です。

もちろん、そこにはイエスの教えやユダヤの伝統が大きな柱になっているとはいえ、ペルシアの救済宗教から来た要素がもっとも基本的な枠組みを形成していることがわかるでしょう(そもそもユダヤ教自体が唯一神教であることからはじまって、ペルシア宗教の大きな影響を被っているわけですから)。

まあ、そういうことを考えると、クリスマスが異教的などと目くじらを立てるのはまったくバカげたことです。むしろ、キリスト教がどういう宗教かということを考える上で、ミトラスの誕生日が救世主の誕生を祝う日として採用されたということに、たぶん、それを選んだ人たちは考えもしなかったであろう意義を感じるわけです。

それでもって、そういう考え方になれば、宗教が争いの原因になって、人類歴史の害悪みたいにいわれる必要もなくなるだろうと思います。

宗教の価値を論じるときに、それが他の宗教から隔絶した地位を神様から与えられた故に価値があるなどというのではなく、それを信じている人が「なるほど立派な人だ」と尊敬されることによって価値があるというようにしていかなければなりません。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

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楽しんで読ませて頂きました。今でも
イランのケルマーンあたりで行われている
「サデ祭」というのと東大寺の御水取りと
関係あるかもしれません。今後も応援させ
ていただきます。

Re: 応援

>うるの飼主様

ありがとうございます。

現代に誕生した救世主はここにいるといって
ウルタ君のところにリンクを貼ろうかと思ったのですが、
ウクシュヤット・ウルタが三代目のサオシュヤントと
いうことまで説明すると長くなるので、今回は諦めました。

いずれ…
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