--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2009-11-17

遷化

今夜、私の師匠が遷化しました。

頭ではいずれそういうときが来るとは思っていても、やはりそのときが来ると何とも言えません。

本来なら追悼の文を書くべきところでしょうが、私としては、このブログに書いていることすべてが先生との出会いによって啓発された内容であり、教え導かれた中からまとめてきたものですから、ある意味ですべてが私なりの追悼と報恩であり、特別な一文を書こうという気にはなりません。

ですから、敢えてここでは追悼の一文は書かず、ただ報告だけしておきたいと思います。
スポンサーサイト

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

ご冥福を

ご冥福を,,,
数年前にお会いしたのが,最後になってしまったんですね。
先に歩いてる人は先に行くものだとはわかってはいても,その段になるとやはり,きついものがありますね。。。
お悔やみ申し上げます。

Re: ご冥福を

>阿礼さま

ありがとうございます。

そういうものとはわかっていても…

自分の人生の中で代え難い存在だけに、言葉にはしがたいものがありますが、
こういうときにどう考え、どう振る舞うかということこそ、その教えの実践でも
ありますから…

お悔やみ申し上げます。

本当に残念なことだと思います・・・。

ですが、師匠の意志や精神というものをこまいぬさんが受け継いでいかれるのでしょうね。

そのように思える師匠に出会えることが本当に素晴らしいことだと思いました。

私達がこまいぬさんを通して、その意志や精神に触れることが凄く幸せなことだと改めて思います。

そして、頑張ろうと思います。

御本人も御自愛下さいませね

こういう時にどう考え,どう振る舞うかが教えの実践というのは,もっともなことではありますが。
実際,宗教的側面において,自律性というのは特に必要ではありましょうが,こういう時にまで,外的に必要とされる自律性を個人の内面にまで必ずしも要求する必要はないと,私は考えるようになりました。
つまり,そうした外的自律性とは別に,こういった側面では,個人の自然な発露として例えば,食べるとか飲むとか寝るとか泣くとか語るとか,人知れずそういうことがあっても良いのではないかと。それは教えが範とすることと抵触するわけではなく,自律性を損なうものでもないと考えます。
どうぞ,こまいぬ様御自身も御自愛下さい。

Re: お悔やみ申し上げます。

>しーさー様

人生は縁だと言いますが、本当にそうだと思います。

そういう中で、自分自身も、人からよい縁だったと言われるような人生を送りたいと思っています。

Re: 御本人も御自愛下さいませね

>阿礼様

ありがとうございます。ただ、私の考え方とは少し違うように思います。

自律というのは自分が主体であるということです。たとえTPOに合わせた振る舞いをしていても、自分が主体である以上、どう振る舞うかは自分が選択するものです。

阿礼さんがおっしゃる外的自律性というのは、TPOに応じて自分が決めるというより、他人の期待する自分として振る舞うというニュアンスのように思われます。それは自律ではなく他律です。

そもそもブログのタイトルを見てわかるとおり、「わがたましいをいたましむることなかれ」であるわけですから、余計な他人の期待を引き受けて、わざわざ自分に無駄な負担をかけることなどありえません。

お心遣いには感謝しますが、まったく大丈夫です。
プロフィール

こまいぬ

Author:こまいぬ
古今宗教研究所のブログです。

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ランキングに参加しました
人気ブログランキングへ
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。