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2010-01-16

『偽書「東日流外三郡誌」事件』斉藤光政著

戦後最大の偽書とされる『東日流外三郡誌(つがるそとさんぐんし)。地元紙の記者として、この書物を巡る事件を追及してきた斉藤光政氏が、その顛末をまとめたのが『偽書「東日流外三郡史」事件 』(新人物往来社/新人物文庫)
。2006年に出版された書籍を、その後の事情を加筆して文庫化したものです。

私は昔、古史古伝に非常に興味があった時期がありましたので(古史古伝や超古代史への関心から、毎月『ムー』を読むようになって、結構影響されていたというのは、ばれてもいい「ここだけの秘密」です)、当然、『東日流外三郡誌』についても知っていました。ただ、反体制的な志向が濃厚なので、あまり関心は持てなかったのですが。

それはともかく、この本は文句なく面白いです。

ただし、裏表紙の紹介にある「なまじの推理小説よりはるかに面白い」という言葉には違和感があります。

というのは、推理小説は謎を解いていくことにおもしろさの中心があるのに対して、この書物は謎解きそのものよりも(真相はほとんど最初からわかっています)この書物を巡って人間心理が織りなす「小説より奇なる現実」こそこの書物の興味深いところなので、推理小説と比較することに抵抗があるためです。

ともかく、まあ、全編にわたって、人間というものについていろいろなことを考えさせられます。

まず、元カルト信者である私にとってもっとも印象深いことは、擁護派といわれる人たちについては、こういうとご本人たちは怒るかもしれませんが、カルト教団の信者と同じような心理状態なのだなあということです。

私も統一教会を離れて十年以上になりますから、周囲にはほとんど現役信者はいなくなったのですが、つきあいのある元信者の周囲には現役の人もいるので、たまに接する機会もあります。

で、はっきり言って、今の統一教会はどうしようもないグチャグチャな状態になっており、教義的な説明もつかないほどほころびています。しかし、そういう現実があり、なおかつそれで大変な苦労をしていても、なんだかんだと根拠にならない根拠を見つけては、それを根拠に信じている(信じようとしている)わけです。

まあ、その気持ちもわからんではないですが…(これで間違っていたら、自分の人生は何だったのか、とか、本人にとっては切実でしょうから)。

それはともかく、ここまで偽書であることが明らかにされたにもかかわらず、いまだに本物と主張し続けている擁護派の人たちの姿が、不都合な現実に目をつぶり、第三者から見ればまったくバカげた指示を実践しようとする統一教会の現役信者の姿とオーバーラップするのです。

追い詰められれば追い詰められるほど、自分たちは一般人には理解できない、あるいは受け入れることのできない真実に目覚めたているのだと確信を深め、ますますガッチリとしがみついて…。幸せなのかもしれませんが、哀れです。

古田史学の会関係のサイトを見ると、今も熱心に本物であることを信じているようです。

しかし、それも特殊なことではなく、人間誰しも持っている心理なのだろうと思います。ただ、そういう場面に行き会うか、行き会わないか、あるいはそこから抜け出す結城があるか、ないかの違いだけで。

また、『東日流外三郡誌』ができるまでの経緯、さらにそれが本物と信じられるに至る過程も、非常に興味深いものです。誰かが完全な構想を持ってプロデュースしたのではなく、さまざまな要素が絡まり合う中で、戦後最大の偽書といわれるまでに成長したことがよくわかります。

その過程についても、あくまで取材によって得た情報のみを淡々と提示し、そこから当然導かれるような内容であっても、あくまで想像は控えています。それだけに、かえって説得力が増すわけです。

さて、この書物に登場する人物の中で、もっとも興味深い人物は、やはり『外三郡誌』の作者と目されている和田喜八郎氏でしょう。

擁護派の人たちというのは、いわば『外三郡誌』に酔っぱらった人たちです。しかし、和田氏はまったく酔っぱらっていない、もしかすると偽書派の人たち以上に醒めていたかもしれなかったわけです(なにしろ最初から最後まで絶対に信じなかったはずですから)。

そういう醒めた人が、信じ切っている人たちの真ん中にいて何を考えていたのだろうか、というのはとても興味深いことです。信者ともいうべき熱心な擁護派の人たち、特に名の通った歴史研究家である古田武彦氏の存在についてどのように思っていたのだろうか、とか、偽書として取り上げられるのは不本意だろうとしても、本物としてあれほど大きく取り上げられ、ある種の権威すら持つようになったことについてはどうだったのだろうか、とか、興味は尽きません。

斉藤氏によれば、和田氏が古文書の偽造を行ったのは、怪しげな骨董品を売るためだったようです。とすると、ある程度行政もしくはアカデミズムのお墨付きがあるのは便利だとしても、あまり派手にスポットライトが当たるのは決して望ましいことではないはずです(嘘がばれやすくなる)。

そういう意味で、当時、すでに歴史研究家として名高かった古田武彦氏が熱心な擁護派になったというのは、和田氏にとっていたしかゆしだったのではないか、とか。

そういえば、昔、私の師匠に「文鮮明氏は自分がメシアじゃないことを自覚しているんでしょうか?」と聞いたとき、「やめるにやめられなくなっているんだろう」という答えだったことを思い出します。

和田氏にしても、古田氏や熱心な信者(擁護派)の人がいるかぎり、やめるにやめられない状況だっただろうと思われます。自分の仕事がずさんであることは和田氏も知っていたはずで、それでも熱心に信じてくる古田氏や信者(擁護派)の人たちをどう思っていたか,
自分の置かれた状況に対してどう思っていたか、といったこと等、極めて興味深い問題です。

いずれにせよ、非常におもしろい本です。読み物としてもおもしろいのですが、人間心理を考える上でも興味深いものです。『外三郡誌』に関わったばかりに深い心の傷を負った人も少なくないそうですが、そういう問題を含めていろいろなことを考えさせられます。

お勧めです。

お勧め度:★★★★★(星五つ)

偽書「東日流外三郡史」事件 (新人物文庫 さ 1-1)偽書「東日流外三郡史」事件 (新人物文庫 さ 1-1)
(2009/12/07)
斉藤 光政

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theme : 書評
genre : 本・雑誌

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「反日亡国論」の宣伝ツールの一環として
重宝がられていた偽書であるというのは
確定していますよね。最終的には天皇家と
国家を解体して「多文化地域」の統治体に
するのが目的。この偽書に心酔していた先生
の弟子が離反して書いた本を読んだことが
ありました。「どう見てもボールペン字で
あることを指摘したら「原本の再現過程に
おいてその指摘は否定される」という意見
があったが、クリーニングすればボールペン
字がはっきりするだけです」とかいう記述
を読んでかなり笑ったことを覚えています。

そうですね

>うるの飼主様

そして、さらにこの本で興味深いのは、もともと和田氏は偽の骨董品を売るためのツールとして古文書偽造を始めたようで、『外三郡誌』もその一環だったようです。

実際、個人から地方公共団体までが彼の詐欺に引っかかっているそうで。

ある種の使命感が犯罪行為への荷担につながるところなども、非常に反社会的カルトと似ています。某政権党と独裁幹事長の関係とか。いろいろ考えさせられるところです。
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