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2010-02-02

大本「基本宣伝歌」考(2)

大本の基本宣伝歌、せっかくですから実際に歌われている動画はないものかと探してみたところ、YouTubeに愛善苑東京豊玉分苑所属の垣内政治さんという方がアレンジし、霊界物語朗読ライブで発表した様子がありました。

基本宣伝歌《五六七調》+八


愛善苑というのは、現在、大本は三派に分裂しているのですが、その中でも王仁三郎聖師絶対主義をとることを特徴とするグループで、霊界物語を極めて重視します(もちろん、他の二派も霊界物語を重視しますし、特に信徒連合会は各地で霊界物語の勉強会を開いていますが)。キリスト教で言えば、プロテスタント的な雰囲気を持っている人たちで、教理に関する関心が強く、勉強熱心ですが、その分内部で衝突しやすく、分裂しやすいという印象があります。

それはともかく、現代風にアレンジされているとはいえ、何となく宣伝歌がどういうものかという雰囲気は感じられるのではないかと思います。

※なお、最後のほうで「ああ惟神(かんながら)惟神、御霊(みたま)幸倍(さちはえ)ましませよ」というのは大本の祈りの言葉、「神素盞嗚大神(かんすさのおのおおみかみ)」と呼びかけるのは、愛善苑は大本・大本信徒連合会とは異なり、神素盞嗚大神を主神とすることによる。

宣伝歌にはいくつかの節回しがありますが、それらは王仁三郎聖師の三女である八重野の婿・出口宇知麿が王仁三郎に確認しながら作ったものです。

ただし、昔、たしか八幡書店から出ていたと思うのですが、弾圧をくぐり抜けた王仁三郎聖師の音源を集めた「言霊録」というのがありまして、その中に王仁三郎聖師自身が歌った基本宣伝歌があったのですが、かなり自由奔放な歌い方でした。盆踊りとして歌ったものもあったりしましたから、霊界物語における本来の宣伝歌のイメージは、あまり型にはまったものではなかったのかも知れません。

因みに、出口宇知麿・八重野夫妻の長男が出口和明氏で、王仁三郎聖師にとっては初めての男の孫。東進ゼミナールの人気講師である出口汪氏は和明氏の長男。

話がずいぶん脱線しました。基本宣伝歌について考えます。

啓示や教典を考察する上で絶対に忘れてならないことは、それは確かに普遍的な真理に基づいているとはいえ、同時に、それが著された時代的・社会的背景を踏まえて考える必要があるということです。それを無視すると、まったく見当外れな解釈になる恐れがあります。

そこで、まず霊界物語の口述筆記が始まった背景を見ておきたいと思います。

大本には出口なお開祖と出口王仁三郎聖師という二人の教祖がいます。草創期から教団の中には開祖を重視する勢力と聖師を重視する勢力があり、全体としては開祖派が力を持っていました。

当時、浅野和三郎をはじめ、多くの軍人・華族・知識人が入信していました。彼らの多くが大本に関心を持ったのは、当時、大本が最大の売り物にしていた人為的に神懸かりを起こす「鎮魂帰神」によってでしたが、大本に身を投じる気にさせたのは開祖の人柄とお筆先の内容に感銘を受けたからでした。ですから、彼らの多くは開祖派だったわけです。

開祖は大正7年に昇天しますが、彼らは開祖のお筆先を解釈し、大正10年に終末が到来するという「大正十年立替え説」を主張して、熱狂的な宣教を行いました。また、当時は大々的に「鎮魂帰神」が行われていましたが、そこでも終末が近いという託宣が次々に降りました。大本の本部がある綾部には終末の到来を信じる人々が押し寄せ、熱狂的な状態になっていたのです。

王仁三郎聖師はこれらの動きについて、正面から否定はしなかったものの距離を置いており、時期を特定した終末予言についてはやんわりとたしなめていたようです。しかし、浅野和三郎を中心とする人々はますます立替え立直しを鼓吹し、不穏な世情に不安を持つ人々の間に浸透していきました。さらに大正8年には「大阪日々新聞」を買収。マスメディアを通じて大正十年立替え説を大々的に喧伝したのでした。

この動きに危機感を持ったのが治安当局です。世の立替え立直しを主張し、一般大衆から軍人・華族などまでに浸透する大本は、国家の根幹を揺るがす危険な団体と見なされるようになったのでした。

そして大正10年2月12日早朝、当局は王仁三郎聖師ら幹部を検挙、第一次大本事件が始まります。開祖の墓は改築を命じられ、本部の神殿は破壊されました。このような時、王仁三郎聖師が明治31年に高熊山の修行で見聞した霊界の事情を世に出すようにという神命を受け、著されたのが霊界物語です。神殿が取り壊される轟音の中で口述筆記が始まったのでした。

そして、霊界物語は開祖のお筆先の真意を伝える書として位置づけられ、大本神諭(開祖のお筆先を王仁三郎聖師が整理したもの)から霊界物語を中心とする教えに切り替えられていきます。また、それまで大本に多くの人を惹きつけていた鎮魂帰神(王仁三郎自身が大本にもたらしたものであった)も封印されることになったのです。

このことは、霊界物語が大正10年の弾圧に至る失敗を修正し、本来あるべき姿に導くことを大きな目的にして現されたことを示しています。では、その失敗とは何か。ここが重要なところです。

まず第一は、お筆先(大本神諭)という預言書を勝手に解釈し、時期を定めた終末預言に結びつけてしまったことです。さらに、知識人が入信し、ヨハネの黙示録や弥勒経典と結びつけて熱心にあおり立て(自分たち自身も自分たちにあおられていたわけですが)、狂乱状態に陥ってしまいました。

第二は、鎮魂帰神が、各自の精神を高めるという基礎を抜きにして暴走したため、それぞれのレベルの霊言が跋扈し、大正十年立替え説と結びついて、さらなる狂乱状態を作ってしまったことです。

そこには、神とは本来いかなるお方であるかとか、人間はいかに生きるべきかという観点がまったく欠落してしまっています。とにかく、世界の終末になっても、大本にさえ入っていれば自分たちは救われると思い込み、優越感を持っていたわけです。

そのような状況を立直すべく、霊界物語の刊行が始まったのでした。第一次大本事件、すなわち大正10年立替え説とは、現実的には大本教団自体の立替え立直しだったわけです。

ここには今現在に通用する教訓があります。マヤ暦などによる2012年アセンション説とチャネリングです。社会に対する影響力は雲泥の差ですが、構造は同じです。

霊界物語と2012年アセンション説をくっつける向きもありますが、そもそもの性格から考えて、私は無理があるだろうと考えます。まあ、2012年の12月にはわかることですが…。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

※文中、故人は原則として敬称を省いていますが、開祖・聖師、及び生前お会いしたことのある方について敬称を略した書き方をすることに抵抗がありましたので、例外としました。それ以上の意図はありません。

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