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2010-01-30

国際福音キリスト教会前主任牧師逮捕

昨日に引き続き、大本の基本宣伝歌について考える予定でしたが、このニュースを外すわけにはいきませんので、予定変更。

女性信者にわいせつ行為 韓国人牧師逮捕(産経新聞)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100128/crm1001281441017-n1.htm


キリスト教系教団「国際福音キリスト教会」の施設内で、女性信者にわいせつな行為をしたとして、茨城県警捜査1課とつくば中央署は28日、準強姦(ごうかん)の疑いで、同教会の代表だった牧師で韓国籍の卞(ビュン)在昌(ジェーチャン)容疑者(61)=土浦市小岩田東=を逮捕した。卞容疑者は容疑を否認している。

同課などの調べでは、卞容疑者は平成19年2月ごろ、同教会の施設内で、県南地域に住む20代の元女性信者に対して乱暴した疑いが持たれている。

卞容疑者のわいせつ事件をめぐっては昨年7月、20~30代の元女性信者ら4人が卞容疑者にわいせつ行為をされたとして、卞容疑者と同教会を相手取り、約4620万円の損害賠償請求を求める訴訟を東京地裁に起こしている。元女性信者側は「(牧師は)指導者の霊的権威は絶対不可侵であるなどと欺瞞(ぎまん)的説法を繰り返し、被害女性を抗拒不能にさせた」と主張している。

被害を受けたという女性は産経新聞の取材に対し「『君には癒やしが必要だ』といってセクハラをエスカレートさせた。衝撃的すぎて声も出なかった。嫌だと感じるのは自分の信仰が足りないせいだと思ってしまっていた」と話していた。
(ここまで引用)

国際福音キリスト教会は、宗教法人としては「小牧者訓練会」と称し、文化庁管轄の単立法人です。

偏見といわれるかもしれませんが、どうも韓国から日本に来ている宗教者というのは、あまりいい評判を聞きません。出稼ぎ感覚というのでしょうか。

まあ、それはさておき、「こんな牧師はけしからん!」などというだけであれば、余りにもひねりがなさ過ぎて、わざわざ取り上げる値打ちがありませんので、ちょっと観点を変えてみたいと思います。

なぜ聖職者の性犯罪というと、キリスト教ばかりが目立つのか?

もちろん、キリスト教の聖職者の圧倒的多数はそういう問題は起こしていない、そういう問題に関しては極めて厳格な人たちだと思います。宗教年間によれば、キリスト教の聖職者(教師)は3万人ぐらいいるそうですから、1%の割合で恥知らずがいても300人、まあ、多少変なのが混ざっていてもしかたがないのでしょう。

それにしても、他の宗教の聖職者が信者に対するセクハラで逮捕されたとか、訴えられたという話を聞かないように思うのですが、いかがでしょうか?

まあ、お寺のお坊さんや神社の宮司さんにそういう問題が起こりにくいのはわかるのです。お寺や神社に関しては信者というより檀家や氏子であって、住職さんや宮司さんが個人的に信者を抱えているというケースは少ないと思いますので、聖職者の権威を利用してセクハラするなどということは不可能だろうと思われるからです。

以前もちらっと書いたと思いますが、そういう意味では、日本のキリスト教というのは、伝統宗教より新宗教に近いわけです。

で、新宗教ですが、噂としてそういう問題が聞こえてくることがないわけではありませんが、なかなか警察沙汰になったり、裁判沙汰になって社会を賑わすということはありません。強引な勧誘や寄付の強要、非常識な行動が話題になることはあっても、セクハラというのはあまり聞きません。

ここのところを考えてみたいわけです。

聞いた話によれば、某巨大教団など、地域の指導者と女性信者との間で関係があるなどというのは普通のことだとか。そこだけが例外というわけではなく、むしろ日本の宗教団体では珍しいことではないのではないかと思われます。

とすると、多くの教団では性的なことについてはあまりタブー視されていないのではないかと。そして、そこがキリスト教会だけがセクハラ問題で目立つ原因ではないか、という推測が成り立つように思うわけです。

つまり、キリスト教はもともと姦淫には厳しい宗教です。まして日本のキリスト教は「ハイソな新宗教」的な存在ですから、信者も「姦淫してはならない」という戒律について自覚的だろうと思われます。性的な問題に関しては、他宗教よりも潔癖な信者が多いだろうと推測されるわけです。

さて、セクハラというのは、両者合意の上で性的な関係があった場合は成立しません。いくら指導者と信者の間に性的な関係があったとしても、信者がそれを問題にしなければセクハラにはならないわけです。信者が性的な問題に対して潔癖でなければ、尊敬する指導者とそういう関係になることを問題にしないどころか、むしろ歓迎するかもしれないので、なかなかセクハラにはならないと考えられます。

それに対して、キリスト教に入信する、しかも熱心な伝道で信者が増えているような教会へ行こうという人は、教えに忠実な、つまり性的な問題に対しては潔癖な人が多い、というかほとんどがそうでしょうから、合意の上で関係を持つということは難しいはずです。

そういう信者に対し、教会での立場を利用して性的関係を強要した場合、どうなるか…。断固拒否する人は、教会に来なくなるでしょう。しかし素直な人は、上の記事にあるように、嫌だけれども「嫌だと感じるのは自分の信仰が足りないせいだ」などと思い、やむなく従うことになるとはいえ、必ず葛藤が生じます。そして、何かの拍子に目覚めて、自分がセクハラを受けていたのだという事実を認識するわけです。

ところが、牧師の側では、セクハラの存在を認めると、自分の立場のみならず教会の存続にまで深刻なダメージを受けることになります。なので、認めない。その結果、訴訟沙汰になったり警察沙汰になったりして、世の中を賑わすことになってしまいます。

と考えると、聖職者の側の違いではなく、信者側の違いによってセクハラが問題になりやすいのではないかと考えられます。そういう意味では、キリスト教の牧師は少々不利な立場かもしれません……いや、そもそも自分の身を謹んで、聖職者として当然の生活をしていればいいだけのことなんですが。

それにしても、いつも不思議に思うのですが、こういう人たちって本当に神様を信じているんでしょうか? 信じていてこういう問題を起こしたのだとしても、信じてないけど牧師をしているのだとしても、どちらにしても最低です。

もともとは本当に熱心に信じていたのかもしれません。でも、「指導者の霊的権威は絶対不可侵」などと言いだしたら終わりです。人間なんて弱いものですから、常に苦言や批判を受けるようにしておかないと、間違いなく堕落していくものです。まあ、そのあたりも聖職者を見極める目安になるだろうと思います。

変な聖職者に引っかかって、心神(わがたましい)を傷ましめないよう、よくよく気をつけたいものです。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

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