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2009-11-19

最後の挨拶をして

昨日、師匠に最後のご挨拶をしてきました。

自分なりには、長年、生とは何か、死とは何かということを教えられ、さまざまな教えを受けた上、さらに闘病期間を通じて心の整理がついたつもりでいたのですが、それでも、亡骸を前にするとこみ上げてくるものがあります。

一昨日は「敢えてここでは追悼の一文は書かない」などと格好の良さそうなことを書いたわけですが、亡くなって時間がたつにつれ、自分にとって先生の存在の大きさをひしひしと感じ、追悼のためにというより、自分の気持ちを形にしておきたいと思いました。

昨日、先生の前で、長年先生のそばでお世話をしてきた弟子の方と話をしたとき、言葉にしていれば書く必要もなかったのでしょうが、言葉にしようとすると、さまざまな思いがわき出し、言葉の代わりに涙が出そうになって、結局、言葉にはならなかったのです。

誰にでも人生を変えるような出会いがあるでしょうし、その影響の大小を問わなければ、すべての出会いが自分の人生を変えているといえるわけですが、私にとって先生との出会いというのは、それこそ人生観を根底から変えるものでした。しかも、私のみならず、家族をはじめとする周囲の人々の人生を変えました。

人生を変えるような出会いというのは、一度ないし数度の出会いで大きなインパクトを受け、その後の人生が変わるというものもあるでしょうが、継続的なつきあいの中で変わっていくというものもあります。私と先生の出会いはまったく後者でした。

私が人生の師と仰ぐ日韓佛教福祉協会の柿沼洗心先生に初めて会ったのは、平成4年(1992)11月25日、岡山県備前市の鼻塚で行われた法要の場ででした。

当時、私は(統一教会のダミーとされる)天地正教の広報部門にいました。入信して約3年、本山(本部)関係の所属になって1年足らずの頃でしたが、幹部の日常の姿を見て、これは単に個々人の問題ではなく、教えそのものに人を変える力がないと感じ始めていた頃でした。

最初の一年間は、行けば嬉しく、気持ちよくなるけれども、言っていることは当たり前のこととしか思えず、この先生は偉いのか普通の人なのかわからないという気持ちで訪ねていました。

それが、一年ほど経ったとき、ある場面を見ることで、実はものすごい人なのではないだろうかと思うようになりました。しかし、これは自分では自分に違和感を感じさせない姿しか見られないから、いつまで経ってもわからないだろうと思い、同じ職場にいた二人の人を誘って、月に一回とか二回とか通うようになりました。

しかし、先生は仏教用語を使って話をするわけですが、こちらは仏教の素養がないので、言葉の意味からなかなかわかりません。その上、統一教会的な世界観・人間観・霊界観・宗教観といったものとは根本から違うので、先生が言わんとしていることを理解するのは非常に困難でした。

それで、先生の言葉をヒントとして、仏教書や自己啓発所を読みあさるようになりました。

そのようにして約2年、先生と出会ってから3年ほど経過して、その言わんとするところがようやくわかるようになり、この先生はすごい先生だと実感したのでした。

で、当時の私はなんだかんだ言って非常に潔癖なところがあり、「渇しても盗泉の水を飲まず」といった価値観を持っていたものですから、統一教会の教えに否定的になり、文鮮明氏がメシアであるなどとは爪の先ほども信じなくなった以上、当然のこととして仕事を辞めようと思いました。単に信じられないというだけでなく、そこでもらう金というのは、誤った教えで信者を苦しめた結果として集められた金であるわけですから。

※とはいえ、これはきちんと書いておきますが、当時の天地正教においては、一方で実際にいろいろな恩恵を受け、喜んで寄進をしていた人がいたことは厳然たる事実です。しかし、基本的には金を出させるのが、その人の救いになるという統一教会的価値観が支配していましたから、喜んでいた人がいるということによって正当化できるわけではありません。

ところが、それを先生に言うと、答えは「辞めるな」でした。

それで、その言葉に従って3年間仕事を続けたのですが、この3年ほど、自分にとって勉強になった期間はないと思います。特に私のような人間にとっては。

「渇しても盗泉の水を飲まず」というのは、孔子が旅の途中でのどが渇いたとき、そばに泉があったのですが、その名が「盗泉」ということを聞いて、高潔の士はそういう賤しい名前を持つ泉の水を飲むことを恥とする、として飲まなかったという話です。

ところが、私がその仕事を続けるというのは、名前どころか、実質、盗人からの上納金から給料をもらうようなものです。知的に価値観が変わるどころか、否応なく実質的な価値観が変わらざるをえません。心臓を守るため、せっせと心臓に毛を生やさなければならないわけです。

また、カルト的な教団の中で、心の中ではまったく信じていないけれども、表面的には周囲に合わせ、かつ、自分の信念は曲げないというのは、まあ、修行でした。と同時に、きわめて有意義な人間観察の期間でもありました。

それでも我慢ならなくなるときがあり、3年間に3度、辞めて田舎に帰ると言いましたが、そのたびに「辞めるな。自分から辞めたら、単なる負け犬だ」と言われ、気持ちを取り直して続けているうちに、統一教会による天地正教の乗っ取りがあり、自然に辞める結果となったのでした。

その後も何かある度に、我慢がならなくなる度に先生の顔を見に行って気を取り直し、それでも我慢ならないときは愚痴ったり、こぼしたりして、なだめられたり、教え諭されたりして、もう少しがんばろうと思い直したりすることを通して、単に知的に価値観が変わるというのではなく、そういう生き方のできる自分になってきたわけです。

先生に初めてお会いした頃、自分の理想の死に方は、電車の吊革につかまっていて、周囲の人も気づかないうちに死んでいたというものだと言っていました。

それが、一年余りにわたって壮絶な闘病生活をされたわけです。

その間は、先生ほどの人でも、死は自由にならないものだろうかという思いがあったのですが、亡くなってみて、ああ、この期間に自分は先生のいない人生の準備をさせてもらっていたのだと実感しました。

それなりにお元気なうちは、顔を見に行って、話をして、でも負担はかけてはいけないと思い、愚痴や不満は心の中に止めて、先生と接する中で自分なりに決着をつけるようにしていました。

病状が重くなり、最後は面会謝絶で会うこともなかなか叶いませんでしたが、その間において、顔を見なくても自分の中で決着をつけざるを得なくなりました。しかし、今にして思えば、先生がいる、いずれまた会って話ができるのではないかということが大きな心の支えになっていたわけです。

もし、先生がポックリと亡くなっていたら、どうなっていたことか。想像もつきません。

先生に心配をかけながら、それも何についてかも明確でありながら、それを生きているうちに応えられなかったことが悔やまれます。

しかし、死は終わりではない、自分が死んだら、自由の身になって、みんなを後ろから「がんばれ、がんばれ」と応援するとおっしゃっていた先生の言葉を思い、たとえ先生が亡くなった後でも、それを実現していくことが恩返しになると思うのです。

イエス・キリストの復活とはそういうことではないだろうか。イエスが肉体をもって復活しようとしまいと、弟子が奮起しなければ何の意味もなかったわけです。弟子が奮起したからこそ、今のキリスト教があることを思えば、客観的事実とは無関係に、やはりイエス・キリストは復活したといえるでしょう。

ここまで書いて、ロウソクからロウソクへと火が受け継がれていくように、自分の教えが伝わっていけば、それは自分の生命が永遠に続いていくということなのだという先生の言葉を思い出しました。

私が、このブログそのものが先生に対する追悼と報恩であるというのもそういうことであり、もし、これを読む人の心に明かりを灯すことができれば、そこに先生の命が伝わっていくのだと思います。

また、それが私を通過してのものであれば、先生の命と同時に私自身の命も伝わっていくのでしょう。

書くつもりはないといっていた一文ですが、書いてよかったと思います。やはり、偉そうなことを不用意に言うべきではありませんね。

心神を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。
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