--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2010-02-04

大本「基本宣伝歌」考(3)

基本宣伝歌を1章から見ていきます。

朝日は照るとも曇るとも
月は盈(み)つとも虧(か)くるとも
たとえ大地は沈むとも
曲津(まがつ)の神は荒(すさ)ぶとも
誠の力は世を救う


内容ははっきりしています。世の中がどんなに大変になったとしても、たとえ天変地異が起こったとしても、「誠の力」は世を救うという宣言です。

ここで注目しておきたいのは、第一に「曲津の神」について、第二に「誠の力」とは何か、第三に「世を救う」ということです。

それでは見ていきましょう。

朝日は照るとも曇るとも
月は盈(み)つとも虧(か)くるとも


朝日が照ると曇る、月が満ちると欠けるという対比は、世の中が明るいときと暗いときと考えられます。まあ、いい時も悪い時もということでしょう。大本では、月に出口王仁三郎、ひいては救世主の意味を掛けることがありますので、希望がある時もないように見える時もという意味があるかもしれません。

たとえ大地は沈むとも

天変地異が起こったとしても、ということですね。

曲津の神は荒さぶとも

曲津(まがつ)の神というのは、簡単に言えば邪神・悪神ということです。つまり、邪神が荒れる、活発に活動するということですが、映画の『ハムナプトラ』みたいに悪霊みたいなのが人を襲うということではありません。思想の乱れや人間性の荒廃、特に誤った宗教や思想の蔓延を指しています。

霊界物語の中では、世界を救済するために神素盞嗚大神(かんすさのおのおおかみ)三五教(あなないきょう)という宗教を立て、そこに集った神々が霊主体従(れいしゅたいじゅう/ひのもと)の教えを宣べ伝えます。基本宣伝歌は、この三五教の宣伝歌です。

この正神界の経綸を妨害しようとするのが体主霊従(たいしゅれいじゅう/われよし)ウラル教力主体霊(りょくしゅたいれい/つよいものがち)バラモン教です。

体主霊従とは物質中心の刹那的快楽主義、あるいは利己主義です。「われよし」というように、自分さえよければいい、今さえよければいいという考え方です。ウラル教にも宣伝歌があるのですが、次のようなものです。

呑めよ騒げよ一寸先や暗(やみ)
(やみ)の後には月が出る
時鳥(ほととぎす)声は聞けども姿は見えぬ
見えぬ姿は魔か鬼か


そして、ウラル教に心を奪われた人たちは、この宣伝歌のさまざまなバリエーションを歌いながら「ヨイトサ、ヨイトサ、ヨイトサノサッサ」と酒を飲み、踊り狂うわけです。

これに対して力主体霊とは、「つよいものがち」という言葉で表されるように、優勝劣敗・弱肉強食の思想です。まず力の強いものが他を支配し、それから物質、最後が心という価値観です。体主霊従が自分さえよければいいという利己主義であるのに対し、力主体霊は他の者をも力で従わせようとします。自由民主党や鳩山首相が体主霊従とすれば、小沢氏が力主体霊ということになるでしょうか。

この力主体霊、宗教になると苦行主義(信者に苦行を強いる)になります。そして、教主は特別の存在として君臨し、信者たちを力で従わせるわけです。その様子は、霊界物語ではバラモン教として描かれるのですが、実にこれがオウム真理教のような雰囲気なのです。

そういえば霊界物語のバラモン教の教主は大自在天すなわちシヴァ神、オウムの主神もシヴァでした。まあ、麻原彰晃に自分の教団をバラモン教になぞらえるセンスがあったとは思えませんが、興味深い符合です。とはいえ、「だからオウムを予言していたんだ」などといって、あまりそういう一致にこだわると、そこから普遍的な教訓を読み取れなくなりますので、力主体霊という志向が典型的に現れた例として見ておけばいいのではないかと思います。噂に聞く小沢秘所軍団などもバラモン教的です。

まあ、それはともかく、「曲津の神は荒ぶとも」というのは、利己主義・刹那的快楽主義や弱肉強食・優勝劣敗という風潮、あるいは信者を奴隷化するような宗教の蔓延によって、日本古来の霊主体従(ひのもと)という精神が失われてしまいそうな状況を指しているといえるでしょう。まさに現代のような状況です。

続きはまた明日。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

↓一日一回クリックしてくださった方には、きっと何かいいことが起こると思います。
人気ブログランキングへ

※霊界物語は現在3種類出ていますが、私としては愛善世界社版をお勧めします。内容も本来の版に忠実である上、文庫版なので手軽に持ち運べます。

古事記言霊解古事記言霊解
(2005/01)
出口 王仁三郎

商品詳細を見る
スポンサーサイト

theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

三五教という名前は何度か拝見したことが
ありますが、このような文脈で用いられて
いることは初めて知りました。記事も大変
興味深く拝読。三五といえば十五夜の満月
で、欠けるところが無いから「あなない」
と理解して宜しいのでしょうか。一切事前の
知識がありませんので、妙な思い込みでした
らお笑いください。

三五教

お返事が大変遅くなり、申し訳ありませんでした。

三五を「あなない」という理由はよくわかりません。

出口王仁三郎は瑞月と号し、月と深く関わります。また、王仁三郎の
神格は素盞嗚尊であり、これまた月と関わります。亀岡の天恩郷には
月宮殿が築かれ、官憲に破壊された跡には月宮宝座が築かれ、至聖所
とされています。そういう意味では、確かに関連があるのかも
しれません。

大本では出口なお開祖の霊系を「厳の御魂(いづのみたま)」、出口
王仁三郎聖師の霊系を「瑞の御魂(みづのみたま)」と称し、記紀神話
では天照大神と素盞嗚尊にあたります。また、天の安河で天照大神と
素盞嗚尊がうけひをしたとき、五男三女神が誕生しますが、この三女神を
瑞の御魂、五男神を厳の御魂とします。すなわち厳(いづ)=五(いつ)、
瑞(みづ)=三(みつ)で、その二つの霊系を合わせたのが三五教と
なるわけです。

どの箇所だったかは覚えていないのですが、霊界物語の登場人物が、
「教えに穴がないからあなない教だ」というようなことを言っていた
ような記憶もあります。

お礼

期待以上の素晴らしいお答えありがとう
ございました。
真理を否定辞で表現するという形はギリシア語
と同じです。
王仁三郎の言語空間に解釈学という手法を
適用している宗教学者が実在しますが、彼ら
の見方が正しいようだと確認できました。
王仁三郎は日本語の根源に生きている豊穰性が宗教を
賦活することを見抜いていたのかもしれま
せんね。
また、質問させてください。
プロフィール

こまいぬ

Author:こまいぬ
古今宗教研究所のブログです。

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ランキングに参加しました
人気ブログランキングへ
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。