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2010-02-05

大本「基本宣伝歌」考(4)

続けて基本宣伝歌第一章を見ていきます。

誠の力は世を救う

一見すればごく簡単、読んで字のごとくですし、まったくその通りなのですが、なお注意を払う必要がある一節だと考えます。

まず「誠の力」とは何かということから。

出口王仁三郎聖師を救世主と信じる人であれば、王仁三郎聖師を通して表される神の力ということになるのでしょう。以前、霊界物語の講演会に参加したとき、愛善苑の人が基本宣伝歌の解説をされたのですが、誠の力についてはあっさりとそういう説明でした。

しかし、私はそういう誰かを特別な存在にするのは嫌いですし、第一、まだ世の中が救われていないという現実があります。大本の教理では後継の教主を中心として御神業が進められ、弥勒の世ができあがっていくということになっているので、現在そちらに進んでいる最中だという見方もできますが、現実には世界を救うどころか大本自体が三派に分裂している状態です。

とすれば、将来どうなるかはさておき、現状ではそういう安易な説明で納得することはできません。誠の力とは何か、自分たちとの関わりにおいてどういう意味があるかを真剣に考える必要があるだろうと思うわけです。

さて、霊界物語の中には、誠の力ということについて次のような内容があります。

至仁(しじん)至愛(しあい)至誠(しせい)至実(しじつ)の身魂(みたま)は、いかなる烈火の中も、その身魂を害(そこな)ふこと無く、いかなる濁流に漂ふも、その身魂は汚れ溺るること無きは、全く『誠の力は世を救ふ』の宣伝歌の実証なり。(『霊界物語』第6巻霊主体従巳)

これは、この世界の主宰神である国祖・国治立命(くにはるたちのみこと)とその后の豊国姫命が邪神の策謀によって退隠することとなり、幽界の霊を救うために天教山(富士山)の火口に身を投じる場面に続きます。二柱の神は、自ら罪を犯したわけではないものの、反逆した神々の罪を自ら背負い、さらなる救済の働きをするために、自らもっとも厳しい選択をしたわけです。

言い換えれば、自身の損得勘定はおろか、主張して当然の権利をも主張することなく、衆生のために自らを犠牲にする。これを至仁・至愛・至誠・至実という言葉で示しています。

伝教大師の『山家学生式(さんげがくしょうしき)』に「悪事を己に向け好事を他に与え、己を忘れて他を利するは、慈悲の極みなり」という言葉があり、「忘己利他(もうこりた)と言いますが、これと同じことのように思います。すなわち菩薩の精神です。

ですから、ここでいう「誠の力」を仏教の言葉で言えば菩薩の精神、あるいは菩薩行の実践ということになるだろうと思います。

また、誠というのは神道においてもきわめて重要な徳目です。例えば明治天皇の御製には「目に見えぬ神の心に通うこそ 人の心のまことなりけり」また「目に見えぬ神に向かいて恥じざるは 人の心のまことなりける」とあります。

菅原道真公(天神様)の神詠とされる「心だに誠の道に適いなば 祈らずとても神や守らん」という歌は、かつては日本人なら誰でも知っていました。それは、自分自身の心と行いが天地神明に対して恥じることがなければ、わざわざ祈らなくても神様に守られるということです。

以上のような精神や生き方の持っている力が「誠の力」だと考えられます。

次に「世を救う」について考えたいと思います。

「世を救う」という一見当たり前の言葉に気をつけるべき理由は、救われる対象を信者に限定していないというところです。万民救済であり、自分たちだけが助かるというような考え方ではありません。誠の力が何かということを考えれば当然のことです。

そこで思い出していただきたいのが、霊界物語が口述筆記されるに至った背景です。当時、大本は大正十年立替え説を唱え、多くの人々を集めていました。すなわち大正十年に終末が到来して、古い世界とともに邪悪な人々(自分たちに反対する人々)は滅び、新しい理想の世界が、それにふさわしい人々(自分たち)によって始まるというわけです。

そして、鎮魂帰神法による神懸かりによって、世の立替えが切迫しているけれども、大本の本部がある綾部に来れば助かるという託宣が降ったり、霊眼が開けて、龍神が綾部を取り巻いて守っている姿を見る人が出たりということが次々起こり、一種の狂乱状態を引き起こしていました。

まあ、霊視や霊言、自動書記などは、その人の精神が世ほど高められていない限り(自我に対する執着がなくならない限り)、自分の潜在意識の願望がそのまま現れたり(自分が見たいものを見る)、低級霊にたぶらかされたりして、ろくなことにはなりません。ですから、チャネリングなどをありがたがるより、自分の霊格を高めるべきなのです。このことは王仁三郎聖師も忠告しています。

それはともかく、当時の大本に集まっていた人たちの大半は、世界は滅びるが、自分たちは生き延びられると考えていたわけです。

それに対して、誠の力は世を救うというのは、自分を犠牲にしても人を救い、世界を救おうという精神と実践が世界を救う、当然、自分もそれによって救われるということです。逆に言えば、自分を犠牲にしても人を救い、世界を救おうという精神と実践がなければ、世界は救われないし、当然、自分も救われないということになります。

これは、たとえ世界は滅びても綾部にいれば助かる、などという精神とは正反対です。

「誠の力は世を救う」というのは、私たちが自分を犠牲にしても人を救い世を救う、あるいは自らの損得や評判にとらわれることなく天地神明に恥じない生き方をするならば、どんなに大変な世の中になっても、必ず世界を救うことができるという宣言です。言い換えれば、一人ひとりが心の立替え立直しを行うことによって、世界の立替え立てしを実行するという神様の経綸に参加するよう呼びかけているのです。

信じるものは救われるなどというような安易な話ではありません。このことは、二章を見ればさらにハッキリします。

ということで、明日に続きます(多分)。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

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