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2010-02-09

大本「基本宣伝歌」考(6)

今日は更新が遅れました。寝込むほどではないのですが、なかなか体が本調子に戻りません。

大本の基本宣伝歌、2章の続きを見ていきます。

月日と地(つち)の恩を知れ

月と太陽と大地の恩を知れということで、文字通りに受け取ってよいでしょう。大本は大地、お土というものを非常に重視します。なのですが、私としてはもう少し考えてみたいと思います。

私がこれを見て、いつも思い出すのは、金光教の「慎戒(しんかい)」の一項です。

天の恩を知りて地の恩を知らぬこと

およそ日本の宗教の中で、信仰・信心というものについて、もっとも突きつめた教えを持っているのが金光教だと思うのですが、この言葉も非常に信仰のあり方について鋭いところを突いていると思います。

だいたい、熱心な信仰者といわれている(自負している)人というのは、神様に熱心になるほど、自分の身の回りから受けている恩というのを忘れがちになるものです。何か、自分だけが、周りの世話になることもなく、神様から生かされているかのような傲慢さを漂わせていたり。

神様から生かされているといっても、実際には周囲の人々を含む環境によって生かされているわけですから、天の恩ばかり知って、地の恩を知らないというのは、確かに信仰者として重大な欠陥があるといわざるをえません。

「月日と地の恩を知る」というのも、月日を天の神の象徴と見なせば、同じような意味を含んでいるのではないかと思うわけです。因みに、天理教のお筆先では「月日」が神様の意味で使われています。もちろん、それをそのまま大本に適用することはできませんが。

この世を救う生神(いきがみ)
高天原(たかあまはら)に神集う


これは5日のエントリーで書いたとおりで、大本に集まっている人は、救われるために来たのではなく、この世を救う神業に参加するために来ているのだということです。高天原については、綾部の大本の本部のことを「地の高天原」といいます。

続けて3章を見ていきます。

神が表に現れて
善と悪とを立別ける
この世を造りし神直日(かんなおひ)
心も広き大直日(おおなおひ)
ただ何事も人の世は
直日(なおひ)に見直せ聞直せ
身の過ちは宣(の)り直せ。


非常に興味深い内容です。特に最後の2行は、第1章の最後とともに、我々自身が何をしなければならないかということが明快に説かれており、非常に重要だと思います。

神が表に現れて
善と悪とを立別ける


キリスト教などの終末観(最後の審判など)では、神や救世主などの審判者が、その人の行為の善悪の分量(もしくは信仰の有無)によって、すべての人々を天国行きと地獄行きに別けるというイメージです。しかし、出口王仁三郎は、最後の審判とはそのようなものではないと述べています。

「最後の審判は、閻魔大王が罪人を審くと同様なる形式において行わると考えている人が多いようだが、それは違う。天国に入りうるものと、地獄に陥落するものとの標準を示されることである。この標準を示されて後、各自はその自由意志によって、自ら選んで天国に入り、あるいは自ら進んで地獄におつる。そは各自の意志想念の如何によるのである。」(『水鏡』「霊界物語は最後の審判書なり」)

つまり、「神が表に現れて、善と悪とを立別ける」とは、善悪の基準としての教え(この場合、具体的には『霊界物語』)が示され、後は各自の自由意志によって生き方を選択することになる、というわけです。

とりあえず、今日はここまで。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

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※霊界物語は現在3種類出ていますが、私としては愛善世界社版をお勧めします。内容も本来の版に忠実である上、文庫版なので手軽に持ち運べます。

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