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2010-02-12

大本「基本宣伝歌」考(7)

昨日、久しぶりに出口すみ二代教主(出口王仁三郎聖師の夫人)の『おさながたり』を読んでいましたら、出口なお開祖が信者の四方平蔵(しかたへいぞう)に芋粥を出した際に言った、次のような言葉がありました。

「平蔵さん、このお土から取れたお米を、日の大神様の御火と、月の大神様の御水で炊いたお粥ぐらい結構なものはありません。ご膳をいただく折には、必ず天地の大神様に御礼を申し上げてから、頂かねばなりませんぞ」

これからすれば、基本宣伝歌二章の「月日と地の恩を知れ」は、私たちを生かしている「火」「水」「大地」の恩徳を知り、日々感謝しなければならないという意味に取るのが正しいかもしれません。

訂正というわけではありませんが、正確を期すためにこのことを付け加えて、引き続き三章を見ていきたいと思います。

この世を造りし神直日(かんなおひ)
心も広き大直日(おおなおひ)


神直日神、大直日神というのは、伊弉諾尊が黄泉国から帰ってきて禊ぎをされた際に誕生した神々の中の二柱で、禊ぎ祓いに関わる神ですが、ここではニュアンスが違うようです。神直日・大直日であって、神直日神・大直日神でないことからも、むしろ古神道の「一霊四魂(いちれいしこん)の一霊である直霊(なおひ)との関連を考えた方がよさそうです。

一霊四魂は古神道における非常に重要な概念で、当然、大本もそれを継承しています。四魂とは「荒魂(あらみたま)」「和魂(にぎみたま)」「奇魂(くしみたま)」「幸魂(さちみたま)の四つで、それらを統括主催するのが一霊である「直霊(なおひ)です。

すなわち、根源の大神様に直結するところであり、良心あるいは神性に相当するものと考えてよろしいでしょう。いわば「内在の神」ということになります。

ただ何事も人の世は
直日(なおひ)に見直せ聞直せ
身の過ちは宣(の)り直せ。


この部分がもっとも重要なところで、私が基本宣伝歌を取り上げようと思ったのも、要はこの部分のためです。たどり着くのに予想外に時間がかかりましたが。

先日も、実家が大本の信者で青年時代までは大本の信仰をしており、結婚後、別の信仰をして、地域で責任ある立場になっている人から、教団の中でいろいろ問題になっていることについて(特に人間関係)、どうすればいいのか聞かれたので、基本宣伝歌の最後の部分に尽きるんじゃないですかと答えると、大変納得していました。

一昨日も書きましたが、この部分は、我々が何をしなければならないかということについて、はっきり示されています。

まず、自分以外のことについては、何事も「直日に」見直し、聞き直すこと。自分のことについては、「身の過ちは宣り直す」こと。非常に明快です。

直日に見直し聞き直す、というのは、神心で見よ、人間心で見るな、ということだと思います。例えば、誰かに悪意をぶつけられて嫌がらせをされたときでも、すぐに「やられた! やりかえせ!」などというような反応をするな、という話です。

では、どう見るのか。例えば、自分自身がそういう悪意を誰かにぶつけたり、嫌がらせをしたりしなかっただろうかと反省するために、そういう姿が現されたのではないかという見方ができます。また、本人がそうするに至った経緯(幼少時のトラウマとか、その時の置かれている立場とか)を見ることによって、自分の腹立ちが収まる場合もあります。あるいは、自分の器を大きくするための試練だというような受け止め方もあるでしょう。

このような考え方は人間関係のトラブルばかりではありません。いずれにせよ、小さな人間心にとらわれなければ、物事はまったく違った見え方ができるようになるものですし、そうすれば対処の仕方も変わってくるものです。それ以外に、この世の問題を根本から解決する方法はありません。

ただし、ここで間違えてはならないことは、決して「見逃せ聞き逃せ」とは言っていないということです。悪事をそのまま放置せよ、という意味ではありません。人間的に怒りをぶつけるのではなく(それでは自己満足はできても、必ずしも悪事がなくなるとは限りません)、そういう悪事ができなくなるように対処しなければならないわけです。

今、20億を超える金の収支報告を不正に操作しながら、単なる形式犯だなどと居直っている図々しい人間と、議員辞職もせずに離党ですます厚かましい子分がいますが、ああいうのに対しても、放置せよなどということはありえません。

ただ、小さな人間心で人間的に怒りをぶつけるのではなく、大きな視点でこの一件を見直してみれば、いろいろ見えてくるものがあります。

例えば、何度かこれまでも書いたように、あの図々しい小父さんのおかげで、日頃もっともらしいことを言っていた正義の味方面の人たちが、言っていることを本当に信じている人と、自分の立場をよくするためだけに表面的に言っていた人にはっきりと分かれてきました。

今は小父さんを擁護するために一生懸命ですから、そのことに気づいてないのかもしれませんが、物事が決着して落ち着いた後、その本当の意味をかみしめることになるだろうと思います。過去を消すことも訂正することもできませんから。

そういうふうに視野を広げれば、すべてのことにプラスの意味があるということです。

そして、「身の過ちは宣り直せ」、自分が失敗したことについては言い直せということです。「反省せよ」とか「懺悔せよ」とかでないところがポイントです。

『ツキの大原則』で取り上げましたが、メンタルトレーニング指導の西田文郎氏は「不調の時は反省するな」と主張しています。実際、失敗したときはくよくよ反省するよりも、気分を切り替えて、とにかく次のことをしたほうが効率がよいものです。

失敗を「宣り直す」とは、失敗した後の気分の切り替えとして非常に有効です。

ところが、宗教というのはどうも基本が生真面目なためか、失敗があったら反省させようという雰囲気が非常に強いものです。しかも、「反省する」ではなく「反省させる」という雰囲気が強い。立場的に上の人は、だいたいの場合、自分のぶんの反省まで下のものにさせる傾向があります。

それを、また、下のものが上のぶんまで反省することに意義を感じたりしているものだから…

私は決して宗教団体が精神的マゾヒストの養成機関であってはならないと思います。

※そういえば、昨晩、我が家に顕○会の信者が布教に来ましたので、富士門流は大嫌いだといってお引き取り願いましたが、ああいうのも精神的マゾヒストの養成機関だと思いますよ。

まあ、それで基本宣伝歌の最後の三行ですが、これはまったく莫令傷心神(わがたましいをいたましむることなかれ)ということと一致していると私は思うわけです。具体的な生き方として考えた場合、何事も直日に見直し聞き直す、身の過ちは宣り直す、これを徹底しただけでも十分ではないかとさえ思います。

もちろん、それがなかなか難しいのですが。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

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