--------

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
2010-02-13

大本「基本宣伝歌」考(8)

一通り、基本宣伝歌の内容を見てきました。最後に、全体を見ながら整理したいと思います。

昨日も書きましたように、基本宣伝歌は最後の三行において「何をすべきか」ということが明確に説かれています。

ただ何事も人の世は
直日(なおひ)に見直せ聞直せ
身の過ちは宣(の)り直せ。


このことはどれほど強調しても十分ということはありません。信仰をしている人でも往々にして錯覚していることが多いのですが、神様をどんな名前で呼ぶか、神様はどんなお方かなどということは、それほど重要な問題ではありません。大事なのは、我々人間の側の姿勢、あるいは何をするかという問題です。

どんなに「神様、仏様」と言ったところで、信じる側の行為が善でなければ、善い結果など期待できようはずもありません。イエス・キリストも「わたしに向かって、『主よ、主よ』と言う者が皆、天の国に入るわけではない。わたしの天の父の御心を行う者だけが入るのである」と言っています。

ですから、神典や経典、あるいは教義に関心を持つときは、まず自分は何をすべきかということが一番重要で、その他のことは、自分が何をすべきかということを正しく理解し、誤らないための補助として受けとめることが肝要です(何をすべきか、というところだけ見ると、正しく意図を理解せずに、全然別のものにしてしまう可能性があるので)。

あるいは、教団や信者のあり方を見るとき、その教えの善し悪しを見ることも大切ですが、それ以上に、教えを実践しているかどうかを見ることのほうが重要です。なぜなら、教えの善し悪しを判断するのは困難ですが、教えを実践してさえいれば、善い教えなら良い結果が現れ、悪い教えなら望ましくない結果が現れるはずなので、自然に教えの善し悪しもわかるからです。

質の悪いカルト教団というのは、よく見ていると(特に幹部は)教えを実践していません。教えに問題があっても、都合よくつまみ食いをしているので、問題点が明確になりにくいわけです。

あるいは、教えは善いはずなのに教団の現状に問題があるという場合、言うまでもないことですが、まず教えに帰るべきということになります。

さて、そのような観点から大本の現状を少しばかり考えてみたいと思います。

大本は現在、本部信徒連合会愛善苑の三派に分裂しています。大本はすでに家の宗教になっていますから、親類全体が信者ということが多いのですが、分裂の影響で、出口家自体も含めて親類が分裂し、ほとんど交流がないという例さえ少なくないようです。

まあ、三派それぞれにはそれぞれの言い分があり、当事者間においては譲れない内容があるのでしょうが、しかし、外から見れば非常に恥ずかしい話です。そもそも一般的社会通念に基づいて考えれば異常な状態(宗教によって親類が分裂)というだけでなく、教えの面から見てもどうなのか。

そこで、私が基本宣伝歌の最後の三行を強調するわけです。直日に見直し聞き直し、身の過ちを宣り直していれば、どんな経緯があったとしても、今のような状態にはなっていないだろうと思います。

大本の現状を憂い、何とか相互の交流から大同団結に持っていきたいという志を持っている方も少なくないのですが、ただ、私が気になるのは、その人たちが「万教同根(すべての宗教は根を同じくする)という言葉を持ち出すことです。

いや、確かに「万教同根」ということに異論はないのですが、もともと一つの教団で、教祖も同じ、教典も同じ、祭式も同じという大本の三派の間で「万教同根」などと大げさなことを言わなければならないようで、ミロクの世(理想の世界)が作れるのかと言いたくなるわけです。

興味深いのは、三派の中でももっとも王仁三郎聖師とその教えを重視しているのが愛善苑なのですが(教主を立てず、王仁三郎を永遠の苑主とする)、私の知るかぎりでは、このグループが一番内部分裂が激しいらしいということです。

まあ、教えに基づいて善悪正邪・理非曲直を正さなければならないという気持ちはわからなくもないのですが、その前にもっと大事なことがあるだろうと。基本宣伝歌もそうですが、王仁三郎聖師はさらに明確な言葉を説いています。

「世の中に絶対善もなければ、絶対悪もあるものでないことは、霊界物語によって示さるるとおりであるが、しいて絶対善を求むるならば、愛こそはそれであり、憎こそ絶対悪である。」(『水鏡』「絶対善と絶対悪」)

もちろん、ご当人たちは「自分たちは憎んでいるわけではない」と言うでしょうが、でも、現実に親類が自然な交流をすることができないというのは、やっぱりそこに「憎」があるからでしょう。

ここまでややこしくなっているものを回復するためには、まず誰が正しいとか、誰が悪いとかいうことは棚に上げ、互いに直日に見直し聞き直すところから始めなければならないだろうと思います。そうすれば、全員が「ただ何事も人の世は、直日に見直せ聞き直せ」を実践していなかったということが明確になるはずで、最低限、その意味において「身の過ちを宣り直せ」ということになろうかと思うわけです。

とはいえ、これが難しいのは、必ずそういうことをしようとすると、自分の正義にこだわったり、利権や思惑にこだわって抵抗する人が現れ、理想通りには行かないということです。その結果、真面目にやろうとしている人まで「目には目を」に走って人間の力で解決しようとしたり、諦めてしまったりするわけです。

しかし、そうではいけないわけで、そこで重要になるのが「誠の力は世を救う」という一節です。大地が沈もうと、曲津の神が荒ぼうと、誠の力は世を救うというのですから、神様を信じるならば神様が結果を出してくださることを信じ、因果応報を信じるならば必ず善因には楽の果が生じることを信じて、自ら踏むべき誠の道を歩むべきだということになります。

これは大本がどういう方向に進むべきかという話だけではありません。私たちが人生においてどうすべきかを示している内容だと思います。その意味においても、基本宣伝歌というのは非常に意義深い内容があり、もっと一般にも知られていいのではないかと思うわけです。

なお、一言付け加えますと、そういう意味で、五代教主(本来の)のご主人である出口信一氏の活動は非常に先駆的で、大本という立場にさえこだわらず、考え方が違う人(例えば私のような)であっても王仁三郎の精神を中心に協力できるところは協力していこうという広い考え方をしていたので、今後の大本にとって(のみならず宗教界にとって)大きな役割をしていただけるだろうと思っていたのですが、残念ながら昨年60歳で亡くなってしまいました。非常に残念なことです。今後は霊界でのご活躍を信じるとともに、後継の方々のご活躍を期待するや切です。

心神(わがたましい)を傷ましむること莫れ。ありがとうございます。

↓一日一回クリックしてくださった方には、きっと何かいいことが起こると思います。
人気ブログランキングへ

※霊界物語は現在3種類出ていますが、私としては愛善世界社版をお勧めします。内容も本来の版に忠実である上、文庫版なので手軽に持ち運べます。

霊界物語〈第1輯〉霊界物語〈第1輯〉
(2004/06)
出口 王仁三郎

商品詳細を見る
スポンサーサイト

theme : 宗教
genre : 学問・文化・芸術

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

プロフィール

こまいぬ

Author:こまいぬ
古今宗教研究所のブログです。

最近の記事
最近のコメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
カテゴリー
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

ランキングに参加しました
人気ブログランキングへ
ブログ内検索
RSSフィード
リンク
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。